その15

「……あの部屋にはねぇ! 兄ちゃんに会いに行ってたに決まってるでしょう! 声がするんですよ! 声が!」

「そうですねぇ、わかります。心中お察ししますよ」

「でしょう! だいたいねぇ、根も葉もないんですよ不仲説なんてもんは!」

「でしょうねぇ。いやわかります、わかりますよ」


 ――おれには二人の会話を黙って聞いていることしかできなかった。

 ここは二郎氏の私室である。おれたちはここに招かれ、それなりに緊張してこの部屋にやってきたはずだった。

 なのになぜだろうか、いつの間にかテーブルの上にはグラスが三つ置かれ、ウイスキーの瓶とロックアイスが並んでいる。そして二郎氏はすでにテンションがおかしい。

 何もかもおかしい。

「あのねぇー、一郎は本当にいい奴だったんですよ! 聞いてくださいよ先生。兄ちゃんはねぇ、自分が社長になったらロクなことにならないからって言ってねぇ、俺に人紹介してくれたりとか、親父にも色々言ってくれて……だからねぇ、いい奴だったんですよ! わかる!?」

 まだここに来てから一時間も経っていないはずだが、すでに酔っぱらった二郎氏は話がグダグダになっている。先生はといえば、ひたすらそれに頷いている。

「うんうん、わかりますわかります。そうでしょうねぇ」

 うんうん言いながら、空になった二郎氏のグラスに、流れるような手つきでウイスキーを注ぐ。

「やっぱりこういうお家の兄弟っていうのはね、なにかと世間から言われがちですからねぇ」

「そうなんですよねぇ!? まぁね、実際父と母は兄か俺かで揉めてましたよ……でも一郎と俺は別にね……ほんとねぇ……あれですよ……」

「ですよねぇー。それはもう、見たらすぐにわかりますよ。大変ですよねぇー」

 おれは今、ひどい口八丁を見ている。先生ときたら、会ったこともない一郎氏をまるで既知の間柄であるかのように、

「一郎さんみたいなひとはねぇ、甘え上手に見えて、かえって一人で抱え込んじゃったりするんですよね。あるなー、そういうの」

 などと評している。

 正直怖い。目隠しで全力疾走をしている人を見るような怖さだ。幸い当てずっぽうがわりといい線言っているのか、それともただの酔っぱらいになってしまったのか、二郎氏からのツッコミはなかった。

「そうなんですよ先生! 一郎はねぇ、みんなにいい顔したがるんですよ! あんなんでねぇ、こう、何ていうの、こう」

「見栄っ張りっていうんですかねぇ、言葉はよくないですけど」

「そうそれ! そういうとこがあって~」

「あー、わかりますわかります」

 おそらく先生は、一郎氏に悩み事があったかどうか――そしてそれが自殺に至るほどのものなのかを聞き出そうとしているのだろう。怒涛の全肯定モードで、二郎氏から情報を引き出そうとしている。

 それはともかく、ちょっと飲ませ過ぎだと思うのだが……大丈夫かこれ?

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