ー 見えざる手(3) ー

イーダフェルトの調合室へ入るなり、私は目を疑う。

充満する薬草の匂い、淀んだ空気、転がる乳鉢と乳棒、開きっ放しのレシピ本、散乱する書類、そしてなにより…アンデッドのように蠢きながらも、緻密な作業を行う矛盾の体現と化した異様な職員たち。


「あ、あの…お父様…?」

「ああ。最近はずっとこの有様でな。散らかっていてすまない」

そう言いながら、調合台で寝て…いや、気絶している職員の椅子を蹴りつけ、さも当然かのように執務机に向かった。


「っ??」

「うぇ…閣下ぁ?…やだなぁ…夢にまで出てこないで下さいよぉ……」

「もう昼過ぎだ」

執務机に積り上がっている書類に目を通しながら、お父様は事も無げに返事をする。


違う。そうじゃない。

私はひとつ咳払いをしてから、ピシッと姿勢を改めた。


「エイル隊が御大将。そして、誇り高きリントヴルム竜騎士であらせられるアウストリ将軍閣下オクソール。ヘルモーズ隊の一兵卒として、発言をお許し下さい」

「うん?どうした、改まって」

「今すぐこちらの方々に、体力回復薬ヴェクミードを投与すべきだと愚考いたします」


書類からチラリと目だけを上げ、職員の様子を見やって一言。

「…必要性を感じないが…」

「……」


私は、静かに目を閉じる。

ゴリゴリと薬草を練り混ぜる音に混じり、ドタンッ、パリンッ、と何かがぶつかったり割れる音がしたような気がするけれど。受け止めましょう、広い心で…この現実を…。


……。無理だわ!

嘘でしょう。この惨状が平常運転だとでもいうの…!?

いいえ、エイル隊所属ではない私に支援要請が来るくらいだもの。

事前に気付くべきだった。私が配慮すべきだったのよ。

お父様は軍神と称えられる素晴らしいお方。四家の当主が一人。


決して、常人の体力と一緒にしてはいけないのだと。


「恐れながら、看過できかねます。私の手持ちで対処しても?」

「…理由を述べよ」

溜め息混じりに質問を返されて、ぷちりと私の中の何かがキレた。


「では、手っ取り早く私が治癒魔法サナセイズを使いましょう。イーダフェルト全体を適用範囲として、対象者全員の心身の疲労を深くまで癒す威力で。それで良いですね、アウストリ将軍閣下オクソール?」

ニコリと淑女らしい微笑みを添えて捲し立てると、お父様は勢いよく椅子から立ち上がり、いつも変わらないはずの表情に焦りの色を浮かべていた。


体力回復薬ヴェクミードの使用を許可する!!そこの棚に入っているのも使ってよい」

「それは、この死屍累々となっている方々が作ったものでしょう」

「……。そうだな」


お父様は、少しだけ項垂れたご様子で椅子に座り直した。

何故なら、私が治癒魔法サナセイズを使うと言い出したからだ。


私が魔法セイズをほとんど使えないのには、理由が二つある。

ひとつは、神々の娘レギンレイヴである私は、内在魔力ないざいデュナミス量の目安が見目で判断できないこと。

もうひとつは、無意識に自己修復の治癒魔法サナセイズが常時発動しており、そのせいで魔力枯渇デュナミスこかつに陥る恐れがあることだ。


通常、内在魔力ないざいデュナミスを使いすぎると、例え動いていなくとも全速力で走ったかのような疲労という身体症状が出る。また、残りの内在魔力ないざいデュナミス量を測定する魔道具フロネシスによっても判断ができるので、魔力枯渇デュナミスこかつに陥る前に魔力回復薬デュナミードで回復すれば問題ない。

しかし、神々の娘レギンレイヴ内在魔力ないざいデュナミス量を測定できる魔道具フロネシスは存在しない。

キャパシティオーバーなのだ。


では、対処ができずに魔力枯渇デュナミスこかつに陥るとどうなるのか。

それは、死だ。


なので私は、魔法セイズをコントロールできるようになるか、身体成長が見られるまで、鍛錬以外での魔法セイズ使用を禁じられている。


(お父様が娘の私を愛しているからと、卑怯な手を使ったことは認めるわ)

(けれど…あまりにひどすぎるのだもの!!)


ああ、お義母様。今すぐこちらにいらっしゃって。

そしていつものように、お父様に常識を物理で叩き込んで差し上げて下さい。


そんな祈りが届くはずもなく、私は念のためにと常備している体力回復薬ヴェクミードを職員たちに飲ませて回った。

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