一章

ー フュルギアの囁き(1) ー

さわ…と風が頬を撫でる。

新緑の香り。でも風はまだ少し冷たい。


「ん…」

うっすらと目を開けると、窓が少しだけ開いていた。


「なんだか、ひどい夢を見た気がするわ」

ふう、と大きく息を吐きだす。

寝起きにしては、心臓がどきどきしている気がする。


「ヘスティア。あなた、夢枕に立ったわね?」

ヘスティア、と呼ばれた女はニコリと笑った。

そのまま、すぅと消えたかと思うと、カーテンが開く。


「んー、起きるにはちょっと早いわね」

窓の外を見やると、やっと空が白んできた頃合いだった。

しかしヘスティアは着々とすべてのカーテンを開けていく。


————これは、もう起きろということね。

まだもう少し温かいベッドに入っていたかったけれど。

カチャ…と控えめにドアが開いて、モーニングティーが運ばれてきた。


「ヘスティア。今日はなんだってあんな夢を見せたの」

ヘスティアはまた、ニコリと微笑んでみせる。

何も言わないということは、まだ何もないということだ。

…そうね、朝食の時にでも、お父様にご報告しようかしら。


そう、まだ、何もないのだ。

ヘスティアは、【フュルギア】と呼ばれる家の守護霊だ。

フュルギア達の役目は家の安泰を守ることであり、主人の一族が住み良い家となるように日々幸運をもたらしてくれる。

幸運とは言っても通常はささやかなもので、こうして朝にカーテンを開けてくれたり、家の掃除をしてくれたり、物を落としそうになったときに上手く受け止めてくれたり、失せ物が出てきたり、パンの焼き加減がうまくいったりという類のものである。


しかし、主人の一族に危険が迫ると夢枕に立ち、非常に明晰な予言をするといわれている。


————まだ、大丈夫。

そもそも、場所も状況もよくわからなかったし、ふわふわの髪の男性もよく見えなかった。

知り合いにそのような…、愛を語るような、殿方は、いないし…。

夢の最後の記憶がキスだなんて、思い出して赤面する。


「ヘスティア。私はすこし鍛錬をしてくるから、お湯の準備をしておいてくれる?」

優しい微笑みのままコクリと頷くのを確認して、私はベッドから出る。

顔を洗って、着替えて…と。

今日は午前はお休み、午後からはエイル隊のお手伝いだったわね。

一日のスケジュールを頭で反復しながら、準備を整える。


『…どうか、お気をつけて。お嬢様』

その囁きが、私に届くことはなかった。

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