第21話 楽しい毎日

 僕と美空みそら彩花あやか栗山兄弟くりやまきょうだいと友達になってから、勉強に遊びにと毎日忙しかった。

 うん、とっても充実している。

 毎日寝る頃にはくたくたで、気持ちのいい疲れを感じながら、ぐっすり眠る。

 シグレとシグレの兄弟は、僕等兄妹を海や山や川へと連れて行ってくれた。

 虎吉、豆助、ポン太の三人もいつも一緒だった。

 時には、シグレお気に入りの秘密の場所、小さな洞窟へと探検に行ったりして。

 時々、サクラさんも参加するようになって、とても楽しかった。

 楽しく過ぎた日は、家に帰るとお祭りのあとみたいに寂しくなって余計に父さんのことが心配だった。

 僕には罪悪感もあった。

 父さんが苦しんでいるだろうに、いまだに助けることも出来ていない。なのに僕は友達と遊んだり、学校に行って普通の子と同じように勉強している。

 ――僕は、それで良いのか?

 父さんは妖怪にとらわれているのに、いつもと変わらない日常生活を送ることは父さんを裏切っていることになりはしないか。

 僕が悩んでいると、おじいちゃんや蔵之進さん、それに虎吉、豆助、ポン太たちも心配して相談に乗ってくれた。サクラさんも声をかけて元気づけてくれる。

 友達のシグレにも少しずつ、そんな気持ちを話せるようになっていた。

 僕はシグレの恋愛相談を聞いている。

 いくら語り合っても、二人して解決はしない悩みごと。でも心の内を吐き出すと、不安が少し減るんだ。

 それからもちろん、おじいちゃんのお手伝いもちゃんとするように心がけている。


 駆け足で四月も五月も過ぎて、僕はおじいちゃんの家にも新しい学校にもすっかり慣れていた。

 六月も後半になった頃、おじいちゃんのお店『おにぎり定食屋甚五郎』には、また風変りなお客様が来はじめた。

 そのお客は「ワタシは学校にいるお化けの『トイレの花子さん』です」と名乗った。

 よく学校の七不思議に出てくる、『トイレの花子さん』のイメージとはかけ離れていた。小さな子供というよりは高校生ぐらいの美少女って雰囲気だったし。

「ここのおにぎり定食屋さんは、妖怪やお化けにも優しく対応してくれて、とっても美味しいご飯が食べられるって。ワタシ、友達の雪女ちゃんから評判を聞いたんです」

 トイレの花子さんは、くるくるウェーブの髪の毛をツインテールにして、白とキャラメル色のお洒落なブレザーの制服も着ている。

 このトイレの花子さん、おどろおどろしさも怖さもないし、ニコニコ愛想が良いから陰気でもない。

 ただ、人ではないのは僕にも分かった。

 定食屋さんに来た他のお客さん、ごく普通の人間には誰にも見えていないみたいだった。

 土砂降りの激しい雨の日に傘をささずに来ても、彼女は少しもれていなかったのも、たしかに普通の人間ではない証拠だった。

 ここのところ、お店を閉める時間ぐらいに毎日やって来ては、煮物つきのおにぎり定食を食べて帰って行く。

 おじいちゃんはそんなお客さんにも、特に態度は変わらず、今晩は五目ご飯のおにぎりと梅干しのおにぎりを握り、竹の子と木の芽の煮物に豆腐田楽と、玉ねぎとじゃがいもの赤だしのお味噌汁の煮物定食を出していた。


 何日もずっと雨の日が続き、町の家や建物も山も地面も、なにもかもが湿りっぱなしだった。

 梅雨に入ってからは、空は曇っているか雨が降っているかで、お日様をずいぶん見ていない。天気予報では今年は長梅雨らしいから、まだまだこのなんともいえない、空が重たい感じが続くのだろう。

 彩花が軽い喘息持ちなので、天気に体調が左右されやすく「ケホッケホッ」と今朝から咳が出ているのが可哀相だ。

 おじいちゃんも気にして、何度も部屋に彩花の様子を見に来ていた。

 蔵之進さんが、喘息に効きそうな『香り』をどこからか持って来てくれた。スーッとする香りで、彩花はようやく咳も落ち着いて寝始めて、僕も美空もホッとした。

 美空も彩花の様子に安心したのか眠りに就いて、僕は苦手な地理の教科書を開いた。


 僕は勉強机から、チラチラと部屋の窓を仰ぎ見ていた。雲が広がって、夜空に優しく浮かぶお月さまや、明るく光る星々もしばらく見えずにいる。

 ふー……。ため息をついて、麦茶を飲んだ。おじいちゃんが煮出してくれた麦茶はちょうど良い濃さで、喉を静かに優しく通っていった。

 受験勉強に疲れた深夜、気分転換にと四角い窓枠を開け放ち、夜風を入れる。相変わらず空はどんよりと雲が垂れ込め、いつ雨が降り始めてもおかしくはない空模様だった。

「まだ寝てなかったのかニャ? 雪春」

 妖怪猫又の虎吉が、子供の姿で器用に壁を伝い僕のいる部屋まで登ってきた。

「うん。勉強をしてたから」

「体がビリビリを感じるから、雨が降るニャンよ。湿気がすごいから、この時期の町は苦手ニャ」

 虎吉は窓から部屋に入って来て、その場でバック転を華麗にキメると二本尻尾の猫の姿に戻っていた。

 トンッ……

 静かに着地して、虎吉は僕の勉強机に乗ってきた。

「オイラが勉強に付き合ってやるニャ」

「虎吉が?」

「そばにいてやるだけニャンけどね」

 虎吉はそう言った後、部屋の本棚に行きゴソゴソする。なんの本だか選んで僕の目の前に三冊の本を出してきた。

「これは?」

「雪春たちの母親――あずさはよくオイラ達に絵本や楽しい本を読んでくれたニャ。この部屋は梓の部屋だったニャンよ」

 母さんの部屋だったんだ。そういやよくよく見れば勉強机も本棚も、服をかけるポールハンガーも前々からあった物って感じで、使い込んだ色をしている。

「へぇ、この本懐かしいな」

 僕は虎吉の渡してくれた本を開いた。何度も読んだ証なのか表紙の端はすりきれ、色はあせて茶色に黄ばんだ紙のページからは歳月としつきを感じる。

「母さん、僕らに同じ本をよく読んでくれたよ」

あずさはお気に入りの本のお話を、雪春達にも聞かせてやりたかったんだニャンねぇ」

 パラパラと開いた本のページ。

 宮沢賢治の銀河鉄道の夜、ぐりとぐらにぐるんぱのようちえん……。

 僕は懐かしくて、懐かしすぎて……。

「雪春……、泣いてるニャンか?」

 母さん。母さん、なんで死んじゃったんだろう。

「ごめん、勝手に涙が……」

 僕の頬に温かい涙がとおり、絵本にぽたぽたと落ちた。涙で絵本の文字がにじむ。

 助けて母さん、父さんは連れ去られちゃったんだ。

 ねぇ、母さん。僕はどうしたらいい?

「雪春はもっとオイラに弱音を吐くニャンよ? そしたら……もっと気持ちが軽くなるニャ」

 勉強机にピョンと飛び乗った猫又の虎吉は、僕の顔をペロペロなめてなぐさめてくれた。

「雪春は甚五郎にももっと甘えると良いニャン。甚五郎は梓の話をもっともっとお前達に話してやりたいと思ってるニャ。本当は甚五郎だって梓が病気で亡くなって何年経っても寂しがってるニャ。それに後悔してるニャン」

「――おじいちゃんが?」

「甚五郎、泣いてるニャン。たまにお店や仏壇の前で、一人になった時間に泣いてるニャ」

 そんな、知らなかった。おじいちゃんは涙を見られたくないんだ。

「周りに甚五郎は心配されたくないから、平気な振りしてるニャ。じいさんは頑固ものニャ。雪春が甘えたら甚五郎も少しは心の奥を見せるかもニャンね」

 虎吉はちっちゃな前足の肉球でふにふに僕の涙を拭いて「よしよしニャ」とずっと涙が収まるまで頭を撫で続けてくれていた。

「雪春と甚五郎、なかなか人に弱さを見せられないところは、さすが孫とじいさん……よく似てるニャンね」

「似てるんだ?」

「似てるニャ」

 おじいちゃんと似てるなんて言われて、僕は嬉しかった。


 涙も止まり、僕は虎吉のことは今までなにも聞いてあげてないことに気づいた。虎吉のことも他の妖怪のことも、実はまだよく知らない。

「そういや虎吉っていくつなの? 虎吉の家族はどこに住んでるの?」

「いくつって年かニャ? よく分からないニャァ……妖怪は人間と時の流れ方が違うってポン太は言ってたし、気づいたらオイラはここにいたニャ。甚五郎が抱っこしてくれてたのを覚えてるニャンね。家族? 雪春たちの他には知らないニャ」

 僕は虎吉を抱きしめていた。

「そんなにぎゅうっとするニャ。つぶれるニャァァァ」

「今夜は一緒に寝よう?」

「イヤだニャ。雪春は寝相が悪いから、自分の部屋でゆっくりと寝るニャンから。おやすみ、雪春。もう寝なきゃダメだニャン」

 虎吉は後ろの両足で立ち上がり、器用にドアノブを前足でぐるんと回して、部屋を出て行った。

 なんだ、つれないのな。

 やっぱり虎吉は猫なんだとしみじみ僕は思っていた。




         つづく





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