ニュークリア・オプション The Nuclear Option

深山 驚

第1話 ドジなウエイトレス Ditzy Waitress

「キミ、何をやってるんだね?それは、ガラスクリーナーじゃないだろう?あ~あ、監視カメラがべとべとじゃないか!」

「えっ、コレって違うんですか?すみません、支配人。あの、すぐクリーナーを持ってきてきれいにしますから」

「いやいや、これじゃ中まで沁みこんでるよ。業者を呼んで取り外すしかないね。困るね~、シティの条例で、監視カメラが使えないと営業できないんだよ!」


 客の手前、声を落として支配人はぼやいた。このレストランは、日本に進出したアメリカの大手外食チェーンが、昨年シティにオープンしたばかり。ボリューム満点の定食と、客とのコミュニケーションがウリで、最先端技術を駆使したロボティック・レストランが立ち並ぶシティ中心街では、異彩を放っている。


「ごめんなさい、ついうっかり・・・」

「もういいから、キミはウエイトレスなんだから、監視カメラまで掃除しなくていいの!ほらっ、お客様だよ!」

 あきれ果てたという口調で、支配人はウエイトレスを促した。小柄なウエイトレスはぺこっと頭を下げると、踏み台を抱えて小走りに店の奥へ消えた。

 居合わせた客は一様に苦笑いを浮かべてそれとなく見守っていた。

 土曜日の昼食どきで、店内はかなり混み合っている。ウエイトレスたちは忙しく動き回りながら、掃除なんかしている場合じゃないのに困った新人ね、と眉をひそめていた。

 客に名前を覚えてもらって気軽に会話を交わしてもらえるよう、ウエイトレスたちはファーストネームをローマ字表記したネームプレートを付けている。

 最先端の科学技術都市シティの中心街には、科学者や研究者が集まっているのだが、ずば抜けた頭脳の持ち主と来れば、人付き合いが苦手ながり勉タイプが少なからずいるものだ。

 その点、気さくで話しやすいウエイトレスを揃えたこのレストランは、そうしたいわゆる「ナード」たちにも人気があった。


 入って来たのはガーディアンの中村だった。(*) この店の常連客で、昼食はたいていここですませていた。

 いったい何の騒ぎだ?

 支配人が途方に暮れた顔で見上げるパノラマ型監視カメラにちらっと目をくれた。誤ってグリースを吹きつけたらしい。半球状の監視カメラが、テカテカに濡れて光っていた。 

 あれじゃ使いモノにならんだろう、ドジな店員がいるもんだ・・・

 中村は肩をすくめ、店内を見回してからいつも通り壁際のテーブルに向かった。肩に掛けたスポーツバッグには、作業服一式とヘルメットに電気工具が入っている。

 いつになく機嫌が悪かった。

 三日前、シティの外れで大学生を狙った暗殺計画は失敗に終わった。その件で一昨日、昨日と、上司に根掘り葉掘り問いただされた挙句、実行役の大滝に標的の情報を教えるよう迫られ、あわや殴り合い寸前までいったのである。


 今日は今日で、現場から取り外した監視カメラを設置し直すために、土曜日だというのに早朝から遠出して。馴染みのない作業に手間取り、二時間も悪戦苦闘する羽目になった。取り外すのは簡単だったが、取り付けるとなると、配線やら変圧器やら規格やら、専門知識のない中村がマニュアルを読んでも、ほとんど意味不明だったのだ。

 新人の大滝のサポート役に回されたのを腹に据えかね、監視カメラを取り外す作業がぞんざいになり、手順を書き留めていなかったのが失敗だった・・・

 監視カメラともなると、家電のようにスイッチひとつでオンにできる造りにはなっていない。そこへ持って来てレストランに入った途端、監視カメラを汚して揉めている始末だ。

 もう監視カメラはたくさんだ、見たくもない!

 中村はとことんゲンナリしていた。


 そもそも、あんな簡単な暗殺計画が失敗するとは、晴天の霹靂へきれきとしか言いようがない!

 サポート役と実行役は個別に上司に報告する決まりで、今回の事情聴取でも中村は計画が失敗した経緯を知らされていなかった。

 実行役のマイケル大滝は、上層部の意向で前歴が伏せられているが、その戦闘能力は桁違いで、格の差を嫌というほど思い知らされている。恒例の新人イジメを食らわせようとした三人の同僚は、手も足も出ないままあしらわれ惨敗を喫したのでる。実戦であれば文字通り瞬殺されていただろう。


 その大滝がなぜか簡単な標的を仕留めそこなったばかりに、抜かりなく下準備をした自分が、とんだとばっちりを食わされるとは!

 おまけに、日本人とは違い空気を読むということをまるで知らないときていた。任務に失敗したくせに「標的の情報を教えろ」と、ベテランの中村に向かって、敬意のかけらもない態度で食い下がったのである。

「実行役に教えられるか!」

と、突っぱねても引き下がらず我慢も限界だった。

 思い出すだけでムカムカする!

 中村はスポーツバッグをソファに乱暴に投げこんだ。


 テーブルに着こうとした瞬間、「キャっ!」という悲鳴と共に、右腰にどーんと人がぶつかって来た。冷たい水を胸の辺りに浴びた中村は、一瞬左によろめいたが、鍛え上げた足腰ですぐに態勢を立て直した。

 何ごとかと思えば、さきほどのウエイトレスが、床に両膝をついてつんのめっている。足をとられてすっ転んだのか、空のグラスとトレイが床に転がっていた。


「すみませ~ん!ああ、上着がこんなに濡れて・・・ごめんなさい、すぐ拭きますね」

 ウェイトレスは慌てて立ち上がり、テーブルから厚手の紙ナプキンを掴みだして中村のブレザーに当てがった。

 ただでさえイライラしていた中村は、すんでのところで怒鳴りつけそうになったが、申し訳なさそうにこちらを見上げる小柄なウェイトレスの顔を見た瞬間、不意にその気が失せて、まあいいかと思い直した。

「いいよ、ただの水だからほっときゃ乾くだろ」と、ぶっきらぼうに言った。

 あどけなさを残したまだ年若いウエイトレスに、自分の娘の姿が重なったのである。


 そこへ支配人がすっ飛んで来た。

「お客様、申し訳ございません。まだ新人でして、とんだご迷惑を・・・」

 くどくどと詫びを入れるのを片手で制して、

「いやいや、これぐらいどうってことないから大丈夫。新人か?まあこういうこともあるが、めげないでな」と、ウエイトレスに声をかけ、ソファに腰を下ろした。


 ウエイトレスは紙ナプキンを中村に手渡すと、一礼してトレーと空のコップを拾い上げてそそくさと立ち去った。中村は苦笑いせずにはいられなかった。水を引っかけたウエイトレスを励ますとは、オレも柔になったもんだと思う。

 あの気のいい大学生の暗殺が失敗したと聞いて、心のどこかでほっとしたり、歳のせいで丸くなっちまったか・・・

 ロボットが接客するレストランが立ち並ぶ時代だが、ドジなウエイトレスがいるってのも人間らしくて悪くないとさえ感じる。この数日、最悪の気分が続いていたのが嘘のように収まり、くつろいでテーブルのホログラムでメニューに目を通していた中村は、ふとかすかな異臭を嗅ぎ取って目を上げた。



* 「青い月の王宮」第23話「ガーディアン」


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