第7章 運命を切り拓く剣 ⑤

 そう悪い人生じゃなかった。自分の立場を捨て置けばそう言えると思う。シャルロットはその瞬間にそう思った。


 魔王が復活したこと、魔王軍に大陸の半分を蹂躙され、そして同時に数多くの兵士が犠牲になったこと――それらは王女という立場からすれば痛ましいこと以外のなにものでもない。


 しかしただのシャルロットとして言えば、この十年がどれだけ楽しかったか。寂しかった少女時代に、突然自分の前に現れた少年――彼と出会って、目に見えるものがどれだけ鮮やかになったことか。彼との出会いが彼の父親の戦死によるものなので、彼には口が裂けてもそんなことを言えないが。


 そんな彼は勇者の生まれ変わりで、きっといずれ魔王を倒す英雄なのだ。その彼を守って死ねるのなら、それは幸せなことだろう。


 悔いが残るとすれば、最期の言葉が馬鹿妹だったことか。最期ぐらい可愛いお姉ちゃんとか言ってくれてもいいのに。本当にジェイクってば朴念仁なんだから!


 まあ、ジェイクが勇者の生まれ変わりなのだから、きっといつか私も生まれ変わるだろう。ジェイクも。その時は今度こそおふざけじゃなく、可愛いって言わせてみせるんだから。


「――ッテ、ロッテ!」


 ジェイクの声が聞こえる――気がする。私を偲んでくれているのだろうか――シャルロットはぼんやりとそんなことを考え――思ったことを念じてみた。


「だったら可愛いとか言ってくれてもいいんだよ?」


「寝ぼけてんのか馬鹿妹が! 目覚めたんならとっとと起きろ!」


 ジェイクの怒声! はっとしてシャルロットが目を開けると、地面に横たわる自分を抱きかかえるジェイクの姿が目に入った!


「あ、あれ?」


 シャルロットは自分の腹をまさぐった! 確かに魔人の拳に貫かれたはず――しかし指先に触れたのは自分のお腹――へそだった。腹に痛みはないし、傷だってなさそうだ。


 じゃあ、この手にべったりとついた血はなんだろう。服は着ているのに、なんで直接腹を触れるのか――


「馬鹿な、確かに致命傷だったはず――そうか勇者、お前もエルフの傷薬を持っていたか」


「――え?」


 無傷の自分を見て憎々しげに言う魔人にシャルロットは違和感を覚えた。回復薬の担当は自分だ――ジェイクはその手のアイテムを携帯していないし、なによりエルフの傷薬はもう使って――いや、使われてしまった。自分が回復する術はなかったはずだし、ジェイクのダメージが回復している理由にも見当がつかない。


「ならば今一度殺してやるまで。娘――いや、シャルロット。勇者の糧になるがいい!」


 三度シャルロットに殺意を向ける魔人。しかしジェイクが黙っていない!


「――軽々しくロッテの名前を呼ぶんじゃねえよ!」


 シャルロットが目覚めたことで、ジェイクは彼女に添えていた手を放して一足で魔人に飛びかかる!


 ジェイクの渾身の斬撃! 魔人はそれを横薙ぎに弾き返す!


「ほう――男らしい顔もできるじゃないか、勇者よ。この分だと娘を殺せばさらに愉しませてくれそうだな?」


「やらせるかっ、そんなこと!」


 ジェイクの連撃! 魔人はそれを軽々と受け流――せなかった! 受け止めた剣を握る手が痺れ、危うく剣を取り落としそうになる!


「なに――」


 逆手で柄頭を握る。片手で剣を振り下ろしたジェイクに対し、魔人は両手で剣を握って抗う形だ。


「俺に両手を使わせるか――本当に愉しませてくれる!」


「ほざけ! ロッテに手を上げやがって――」


 叫ぶジェイクの脳裏に先の光景がよぎる。腹を貫かれ、血を溢し、今にも絶命しそうなシャルロットの姿――思い返すだけで腹の底が熱くなり、視界がチカチカと瞬く。


 それが憤怒だと、ジェイクは自覚していなかったが。


 鍔迫り合い――互いの額がこすれそうな距離でジェイクが唸る。


「ただで済むと思うなよ!」


「――調子に乗るなよ、たかが人間風情が!」


 魔人のぶちかまし! ジェイクは吹っ飛ばされる――が、先と違って姿勢は崩れていない! 追撃に動きかけていた魔人はこのまま追撃するか仕切り直すか一瞬判断に迷う。


 その一瞬で、ジェイクは地面を蹴る。


「うおおおっ!」


 ジェイクの反撃!


 ――魔人はジェイクを決して侮ってはいなかった。多くの手下を下し、自分の前に現れたこと。その上自分に手傷を負わせたこと――剣を交え、この十年の鬱屈を晴らすには足る人物だと見ていた。


 しかし力の差は歴然。本気を出せば容易く殺せてしまうだろう――それではつまらない。十年待った因縁の相手だ。少しずつ削り、命乞いをさせ、無惨に殺してやらなければこの十年は報われない――そう考えて己の力を抑えていた。


 侮ってはいなかったが、下に見ていた。だから見誤った。ジェイクの反撃は予想以上に鋭く、魔人はこれまで通り力を抑えてはかの剣が自分の喉元に届くと判断した。


 だが――それはあってはならない。勝つのは自分だ。人間ではない――


「ぬおおおおっ!」


 魔人の打ち払い! 咄嗟に力を解放した魔人の圧倒的な剣撃はジェイクの斬撃を容易く押し戻す!


「――ぐああっ!」


 そして剣を弾くに留まらない! 魔人のその剣撃はジェイクが身につける軽鎧を斬り裂き、その下の肌を、肉を裂いた!


「――ジェイク!」


 シャルロットの悲鳴が響く中、血飛沫を上げながらジェイクの体は宙を舞い、石畳に叩きつけられた。そのままジェイクはぐったりとして動かない。


「ジェイク、ジェイク――」


 彼に駆け寄るシャルロット――その姿を見ながら魔人は己の剣についた血脂を振り払う。


「ちぃっ――力加減を誤った……殺してしまったか。もっと愉しむつもりだったのだが」


 魔人の呟きもシャルロットの耳には届かない。駆け寄る途中で腰が抜けたのか、シャルロットはジェイクの元に辿り着けずにぺたりと座り込んでしまう。


「ジェイクが、死んじゃった……」


「――……先にお前の希望だったであろう勇者を殺めてしまっては、さすがのお前でもこれ以上は俺を愉しませられないだろうな。心が折れてしまってはそれ以上砕きようがない。今の悲鳴が最後の愉悦か」


 座り込んだまま一切の感情が抜け落ちてしまったかのような表情で伏したジェイクを見つめるシャルロット。そんな彼女に魔人が告げるが、反応らしい反応は見せなかった。


「食い足りんが、仕方あるまい。ともあれ、これで勇者殺しの任務は完了だ。魔王様に報告を――」


「――……勝手に終わらすんじゃねえよ」


 魔人の呟きを遮る声――なんとジェイクが立ち上がった!


「なに――」


 驚愕の表情で魔人が視線を送る。そこには、鎧を砕き胴を袈裟斬りにしたはずの勇者が立っていた!


「ジェイク……」


「確かに殺したはず――傷薬など使う暇は無かったはずだ!」


 信じがたい光景に戦く魔人。しかしジェイクは魔人より先に、呆然と呟くシャルロットに視線を送る。


「お前も勝手に俺を殺すんじゃねえ」


「嘘、なんで……」


 よろよろと立ち上がり、ジェイクに近づくシャルロット。上着が斬らたことで露出した体にぺたぺたと触れるが、衣服に出血の跡はあっても体に傷はない。


「どうして……」


 涙目で尋ねるシャルロットに、ジェイクは皮肉げに笑う。


「お前がなかなか回復魔法を覚えないから、俺が先に使えるようになっちまったよ」


「……いつから?」


「ついさっきだよ――お前があいつに殺されかけて、なんとしても助けなきゃと思ったら――……場所が良かったのかも。一応ルチアの神殿だからな、ここは」


 そんなやり取りをする二人に、魔人は狼狽えて怒鳴り声を上げる。


「――馬鹿な! 即死でなかったとしても致命傷だったぞ! 初級回復魔法ヒール中回復魔法リカバリーでは癒やせない傷だ! 極大回復魔法セイクリッド・ヒールでもなければ――」


 それはジェイクとシャルロット、どちらの傷もそうだった。しかし現に二人は今、生きたまま魔人と対峙している。


「いにしえの勇者は魔法にも精通してたらしいぜ。俺は生まれ変わりだからな――俺にも才能があるんだろうな」


極大回復魔法セイクリッド・ヒールなど人が易々と使えるものではない! この俺でさえ――それを才能? ついさっきだと!?」


「事実だ――今面白いことを言ったな? そうか――お前に致命傷を負わせれば回復できないんだな?」


「――調子に乗るな、人間が!」


 激昂した魔人が剣を振り上げてジェイクに突撃する――渾身の一撃!


「ロッテ、下がってろ!」


 ジェイクはシャルロットを庇うように前に出て、その剣で魔人の一撃を受け止める。かろうじて剣撃を止めるが、その余波でジェイクの腕に、体に無数の裂傷が生まれる。


「ぐっ――セイクリッド・ヒール!」


 ジェイクの極大回復魔法! 自身の傷が瞬く間に回復する!


「なっ――」


 自分が扱えない魔法を人間が使う――信じがたい光景に目を剥く魔人。ジェイクはその隙を逃さない! 魔人の剣をいなして渾身の一撃をたたき込む。


 ――会心の一撃! ジェイクの剣は魔人の左腕を斬り裂いた! 切り落すに至らないものの、噴水の如き血飛沫が上がる!


「ぐおぉおおおっ!」


 慌てて後退する魔人――その目からは初めて余裕が消え、代わりに憎悪の色が灯る。


「勇者ぁあああっ!」


「お前も使っていいんだぜ、セイクリッド・ヒール」


「殺す! 殺す! ――必ず殺す!!」


 魔人の怨嗟の叫び――ジェイクはそれに身構え直して返す。


「それはこっちのセリフだ。言っただろ、ただで済むと思うなってな!」


 ジェイクも叫び、そして地面を蹴った。



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