第1話 邪神官、弟子をとる その2

 翌日から、さっそく弟子探しは始まった。

 早朝から巌の古騎士に叩き起こされ、引きずられ、屋敷から連れ出された邪神官の女は、むくんだ顔に育ちきった寝癖のまま、真竜国のメインストリートを歩かされていた。


「あのさ」

「なんだ?」

「ウチ、まだ着替えもしてないんだけど…」


 そういう邪神官の姿はベットから出たままの姿。いわば寝間着姿だった。


「それに何の問題がある?」

「問題だらけでしょ!?」


 とはいえ、寝間着と言っても身体のラインが出るような妖しい衣装ではなく、ゴワゴワして薄汚れたワンピースだった。

 古騎士の方はというと、使い込んだ革鎧を着込み、竜殺騎士の紋章が織り込まれた外套を纏い、幅広の剣を腰に差し、”ラフ”なお出掛け姿を決めている。


「せめて顔くらい洗わせて欲しいんだけど…」

「そうか。ならそこの馬屋の軒先にある飼い葉桶、そこに溜まった雨水を使うことを許そう」

「絶対コイツぶち殺す。泣くまで犯した上で殺す…」

「どうした? 使わないのか? なら行くぞ」


 本当に飼い葉桶に溜まった水を使うか逡巡していた邪神官は、その細首に嵌められた銀の首輪を引かれ「ぐぇっ」と汚い音を発して古騎士に付き従う。


「これ、ほんと、マジ、何のプレイなのよ…」


 少なくとも、こうして”攻め”られるのは彼女の性的嗜好に反しているので、ただ鬱憤しか貯まらない。鎖を握る古騎士が邪神官の性癖を看破し、嫌がらせと思い敢えて分かってやっているのか、それとも生来のサディストだからなのかはわからなかった。


 真なる竜の座するこの国は豊かだった。竜という大きな力が存在していることで外敵を寄せ付けず、ヴェルエルムの中で確固たる地位を示し続けている。

 その証明に、古騎士に鎖で引かれながら通るメインストリートには、異国の商人が軒を連ねて物を売り、”土産代”を稼ごうと奮闘している。

 客は真竜国の住人達だ。竜の鱗をあしらった意匠の衣服を纏った彼らは、財布の紐を緩くして、異国の珍宝だというそれらを品定めしている。

 耳を欹てれば、わいわいがやがやと、折り重なった喧騒だけしか届かない。

 鼻から息を吸えば、幾重もの人の匂いと、肉の焼ける良い匂いが入ってくる。

 路地に足を踏み入れれば、そこで感じられるのは、武具防具を作る工房の炉の熱だった。


「忌々しいほど賑やかね…」


 邪神官の呟きを聞いているのか聞いていないのか、古騎士は表情一つ変えること無く歩く。

 とはいえ、彼女の言う”忌々しさ”は、自身に向けられる道行く人々の困惑した視線や嘲笑に対してだった。

 状況から見れば、竜殺騎士に鎖を引かれ、市中引き回しにされているのだから当然だ。

 鬱屈した表情を浮かべながら、邪神官が歩き続けると、やがて一行は、メインストリートを離れ、街外れへとたどり着いた。

 崩れた建物や瓦礫が目立つ。街路の罅割れから草木が顔を出し、この街全部を飲み込もうと画策しているようだった。

 いくつか細い路地を曲がって、石壁に囲われた一角に足を踏み入れると、古騎士は目的地に到着したことを示した。


「着いたぞ」

「ここは?」

「孤児院だ」

「はあ?」


 孤児院、と言っても人の気配はない。

 いや正確に言えば、かつて孤児院であったことを傾いた看板が示しているが、いまは単純に廃墟と呼ばれる類の建物だ。だから、人の気配がないのは自然なことだった。

 もっと言えば、かつてはここは、教会と呼ばれる場所だったようだ。

朽ち果てた鐘楼と、数多の人が祈りを捧げる礼拝堂が、苔むし、腐食し、崩れ、汚れた姿で佇んでいる。


「ここを拠点とする」

「拠点って――廃墟なんですけど…。え、ベッドは? 屋根は?」

「少なくとも壁があれば、敵の攻撃を防げる。十分に拠点と言えよう」

「それ、騎士流の冗談…?」

「ああ、そうだ。行くぞ」

「いやいやいや、待って待って! ウチに弟子をとらせて、治療魔法の使い手を育成するって話だったんじゃなかった!? どうして廃墟なんかに連れ込まれそうになってるの!? しかも首輪と鎖で自由を奪われて―――って、あれ!? やっぱそういうこと!?」

「貴様がどんな妄想をしようと勝手だが、確かにこれは私の説明不足だな。説明しよう」

「まず謝罪しなさいよ!? あと、この首輪外しなさいよ!」

「首輪は外せん。謝罪もせん。貴様が逃げ出す可能性がある」

「ようやく軟禁状態から解放されたのにー!」

「約束通り屋敷の地下室からは釈放してやった。満足だろう?」

「こんなの違うわよ! マジ何のプレイなのよこれ!」

「弟子が見つかれば外してやる。お前が成果を出せば、少しずつ待遇を改善していってやる。それは約束しよう」

「………ホントかしら? ウチ、昨日騙されたばかりなんだけど?」

「…フッ」

「なんで笑った!? ねぇ、なんで笑った!?」

 

 キーキーと喚く邪神官の女をよそに、古騎士は淡々とここがどんな場所なのかを説明し始めた。

 やはり元々ここは、樹霊神を崇める一派が建てた教会だったようだ。しかし、十数年前に真竜が告げた<堕魔の予言>により、真竜国はあらゆる魔法を排斥を行った。その煽りを受け、この教会も取り壊しの憂き目に遭った。

 だが、樹霊神を崇める一派はここで祈りを捧げているだけではなかった。

魔法による怪我や病の治療、貧者への炊き出しに、身寄りのない子供を引き取る等の慈善活動を行っていたのである。

 それらを突如排斥すれば、貧民街の反発が強まる、という懸念が貴族達に生じる。

そこで彼らは、教会を廃する代わりにここを孤児院とし、身寄りのない子どもたちの寄る辺として残し、聖職者達による炊き出しや魔法による治療行為を暗黙的に認めたのである。

 とはいえ、神への祈りを咎められ、弾圧された信者たちが別の地を求めて立ち去るのは時間の問題だった。

 かくして数年前にここは引き払われ、今はこうして信仰の形骸だけが残っているというわけだ。


「ただし、信者共と旅立たなかった一部の子供達がここに残り、この廃墟を不法占拠しているというわけだな」

「最悪すぎでしょ…。要するに貧民窟じゃない」

「今、ここに何人の孤児が残っているかは知らんが、皆無というわけではなかろう。貴様はそれらを見繕って鍛えろ」

「いやいやいやいやいや」


 邪神官はブンブンと首を振る。おまけに手も振る。全身で否定を示す。


「路地裏の野良犬に芸を仕込めって言ってるのと同じじゃないそれ! こういうのって、ほら、然るべき訓練所に来た有望な若者を一人前にするとかそういう企画なんじゃないの!?」

「そうだな。騎士見習いが治療魔法を扱うことができれば、それが最も好ましい」

「でしょ!?」

「だが、真竜国において、今は魔法は排斥されるべきものだ。見習いと言えど竜殺騎士から治療術士を出すわけにはいかん」

「だからって、ここのガキ共に仕込めってこと!?」

「この案のメリットは二つ。一つ、我々は最小のコストで治療術士を確保できる。二つ、たとえ失敗しても竜殺騎士の人的資源を失うこともない」

「………孤児なら使い潰しても問題ないってわけ……?」

「ほう、怒ったか? お前にも人の心が残っていたか?」

「茶化すのは止めろ、ザルクバルク」

「フッ、私の名前を覚えていたか。リピューテリア」

「おい、ウチはマジな話をしている。アンタ、今の話本気なの?」

「………」


 首輪を嵌められ、粗末な服を着て、今は奴隷女にしか見えないが、その女が向ける瞳に宿った光は尋常ではなかった。

 何ら魔法に関わりのなかった男が見ても、彼女の周囲には魔力が渦巻き、怒りに震え、濃厚な殺意を帯びているのが分かった。仮に今、彼女の魔法を縛るアンクレットが壊れたのならば、今すぐにでも彼女は古騎士を殺すだろう。


「……。この内容でなければ、貴族達から許可が降りなかった」

「ならまずその貴族のクソどもを殺すことが、この計画の真のスタート地点ね」

「違う。孤児達が生きるか死ぬかは、貴様に懸かっているということだ」

「ウチが治療魔法を仕込んだら、狂竜との戦場に連れ出すんでしょ? そんなの生き残れるわけないじゃない」

「ああ、貴様と一緒にな」

「………」

「貴様が孤児を弟子とし、精強に鍛えれば弟子は死なん。そうだろう? さもなくば、貴様が身を挺して守ればいい。それだけだ。私達に必要なのは癒やしの力だけなのだから。それをお前が使おうが、弟子が使おうが、代わりない」

「ねぇ、思ってたことを口にしていい?」

「なんだ?」

「アンタも、この国も、間違ってる。滅べばいいわ」

「それを貴様が言うか。ならば逆に問うが、貴様はその”信仰”とやらで、罪のない者を何人殺してきた? 何故貴様が”邪神官”と呼ばれているのか、私がその理由を知らぬとでも?」

「”私”が殺すのは、”私”の敵だけよ」

「そうか。なら、孤児どもを殺さんようにな。お前の敵ではないようだから」

「クソ野郎」


 悪態をついたところで、邪神官の鎖が引かれ、彼女と古騎士は、孤児院へと踏み込んでいった。

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