第10話・返答

 字が読み書きできることの素晴らしさよ。もっと早く機会を設けるべきだった。地面に書かれた自分の名前にラックはほれぼれとしていた。



「儂の家を継ぐのならラック・オールになるのう。しかし、真面目に勉強するやつよ」

「戦場が停滞してもう一週間になりますからね。真面目にというよりは気が抜けてしまったのでしょう。他の兵達も似たようなものです」



 生き死にへの緊張も長くは続かない。気の早い兵士や騎士はもう戦も終わりだと思っているようだ。今攻め込まれたらひとたまりもないだろう。

 流石にまずいとは思ったのか、朝は隊列を組んだりと演習がある。ラックとしては使ったことの無かった手槍など学べて面白いのだが、大抵の者は朝疲れるのでかえって午睡に誘われるようだ。


 この状況に危機感を覚えているのはロウファーの人々と、意外にもサー・ハルと、自分で気が抜けていると言っているラックだった。

 ラックはこの状況下だからこそ、マイカードゥリアンの目論見が成功して彼らが退却していくときに、置き土産ぐらい残していくのではないかと考えている。


 ロウファーの従騎士になったことで兵たちにも話しやすくなったが、ベテランの兵達ほど同じ感想を抱いていた。


 新米のラックでも分かるように、士気というのは案外大事だ。マイカードゥリアンもさっさと退却するよりは一撃最後にお見舞いしてからの方が、勝利の実感を得られる。要は見栄の問題だが、戦いの世界ではそれはとても重大な要素らしかった。


 おかしなことにラックは見栄というものを理解するのにいささか迂遠な解釈をする必要がある。ラックには珍しいある種の精神的欠点であった。

 親なし子として、ラックはよくも悪くも自由だった。誰からも助けが期待できない反面、体面を気にする必要もなかった。

 そんなラックは従騎士という身分を得て、自身の見栄を今から身に付けようとしているところである。

 ところがラックは他人の見栄は理解しているのだ。小さな行動でも噛み砕いて相手の行動原理を探してから、理屈が伴った対応を決めている。


 そのため集団間の見栄を理解はしても、本に書いてあることをなぞっているだけのようだが、一応備えはしていた。

 

 その備えはすぐに報われた。


 ぼうっとしていた監視台の兵が慌てふためきながら、鐘を鳴らす。遠くに土煙が見えたのだ。

 その音が何なのかをすぐに理解できたランシア人は少数だった。慌てながらでも、あらかじめ決められた対応を採って行く。



「拒馬槍引けぇーっ!」



 木の杭を交差させた柵が馬に引かれて設置される。徴募兵の槍衾より余程頼れそうだった上に、準備もこちらが早かった。

 相手を馬上から叩き落とすカギ付きの槍が陽光を跳ね返し、馬上槍を持った騎士も待ち構えた。



「サー・ハルの言ったとおりか……」



 ラックは歩兵部隊の後ろで、木で出来た手槍を握っていた。本来はサー・ハルがいない以上、出なくても良い戦だがラックは見てしまった。

 向こうから駆けてくる一団。その先頭が真っ黒いことに気付いてしまったのだ。


 マイカードゥリアンの騎士たちは槍と盾で武装し、馬にまで鎧が付いていた。こちら側から散発的に放たれる矢など知ったことではないとばかりに、一直線に突進してくる。


 隊列を組みながら淀みなく進んでくる威容。きっと空から見ている者がいれば美しいとすら感じただろう。その姿が鮮明になってくるにつれ徴募兵達は逃げ出そうとしたり、硬直していた。

 そしてついに激突の瞬間が訪れる。マイカードゥリアンの騎士たちはくみ置かれた拒馬槍をなんとスルリと抜けてきた。それは馬術の練度の高さによる単純な技。

 これまでが遊びだったかのように、遊牧民族すら上回りかねない騎乗技術を見せつけてきた。


 徴募兵は役に立たず、ロウファーの兵たちだけが必死に交戦している状況だ。

 そんな中、ラックだけは違う行動を取っていた。



「黒騎士ぃぃぃっ!」



 先頭にたって突撃してきた黒騎士へと向かって、咆哮と共に槍を投げ放った。

 槍は混沌の戦場にあって、過たず黒騎士へと吸い込まれた。先の再戦の申し出、たしかに受け取った。これが我が返事と知るが良い――そんな一撃を黒騎士は確かに認めた。

 盾で手槍を弾き飛ばして、にやりとした笑みは確かにラックを見据えていた。これで運命は定まった。二人の兄弟弟子はいつの日か、どちらかが命を散らすだろう。


 蹂躙劇を追えたマイカードゥリアンの騎士たちが去っていく中、ラックは一点だけを見据えていた。



「ふぅん。そんなことをしたのかえ」

「ええ。習ったばかりの投槍が当たるとは思いませんでしたが」



 戦場の片付けをできるだけ手伝ってから天幕に戻ったラックは、いつも通り静かに勉強していた。先程の剣幕が嘘のような切り替えであった。

 宿敵という運命を手に入れたラックの暗い炎は静かに燃える類らしい。



「では改めて、儂の養子にならねばの。身分が違えば、決闘が成り立たなくなる可能性があるゆえな。無闇矢鱈に騎士位をばらまくのも嫌われそうであるし」

「ありがたいのですが……本当によろしいのですか? 立ち入ったことと聞かずにいましたが、ご家族は?」

「おったが、昔の話じゃ」



 サー・ハルは木製のパイプを取り出して、火を点ける。ぱっぱっという煙とともに少ない言葉が絞り出された



「なぁに、妻以外愛さぬと誓った騎士が一人いただけの話よ。つまらんな」



 それ以上のことは聞き出せそうになかった。後日、サー・ハルから使い古した装備を譲り受ける話でその日は締めくくられた。

 翌日、ロウファーの北からマイカードゥリアンの騎士たちが引き上げたことが確認された。


 野営地は活気と呻きが両立していた。これでもう帰れると安堵する徴募兵達はむしろ足から血が抜けたようだった。

 徴募兵は元が農民であるため、帰還してもらわねば税収に関わる。ロウファーの兵たちはしばらくこの場で片付けながら警戒を続けるようだった。


 農場に一度は帰るが、ロウファーの人間になったラックはどうにも落ち着かない気分になっていたが、知った姿を見つけて微笑んだ。



「カンリグ。互いに生き残ったようだね」



 声に驚いて振り向いたカンリグの左目には包帯が巻かれて痛々しかった。五体満足とはいかなかったらしい。



「ラックか! どこのお坊ちゃんかと思ったぜ」

「叙任前だから胸甲だけだよ。農場から出たときはどうにでもなれという感じだったけれど、本当におかしなことになった。その目は?」

「ああ、敵の突撃のときに目の前のやつが逃げようとしてな。押し倒されてとばっちりを食っちまった。他の奴らは……ソルーン以外、どうなったか分からねぇ。お前はこれからどうするんだ?」

「一旦は農場に帰るよ。その後は……ロウファーが帰る場所になるんだろうね……」

「そうか……でもまぁ立派な身分じゃねぇか。農場の奴らは俺らが生きて帰って来たら目玉が飛び出るだろうさ」



 故郷の農場。そこにはもう思い入れなど無いように思えていたが、カンリグだけは変わらないでいてくれた。

 後は報告と、わずかな身の回り品を引き取るだけだ。

 

 だが、その後に農場のわずかに外でやるべきことがあった。


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