第17話 入部

ゴールラインを過ぎ、繭の指示に従ってピットに停め、降車してヘルメットを脱ぐ。繭も同じように降車した。


「おめでとう。天雲さんの勝ちだね」

「勝った気は、しませんけど」

ミユがそう応えると、繭は微笑んだ。


ミユは無意識に、繭のカートのスリックタイヤを確認する。アンダーステアがずっと気になっていた。タイヤはずいぶん古いようだ。表面はカチカチに固まっている。カートはタイヤの性能が走行タイムを大きく左右する。新品のスリックタイヤは柔軟で、コーナー時にも十分なコーナリングフォースを得られ、スリップすることなくコーナリングできる。


しかし、今、繭が使っているこんなタイヤでは、まともなコーナリングはとても期待できないうえに、まともに路面をグリップすることすら難しい。あのコーナリングスピードを考えると、遠心力でコースアウトしなかったのが不思議なくらいだ。


「こんなタイヤで走っていたんですか」

「それでも結構走れていたでしょ?」こともなげに繭はいう。

「四周目のS字クランク、あの横すべりはわざとですか?」

「やっぱり分かった? 余興のつもりだったんだけど」

「余興?」

「そう、余興。もし私が天雲さんだったら、同じように最終ラップに入る前に勝負を決めにかかるだろうから、あそこで仕掛けてくると思ったもの」

「でも、もし私が、勝負する気もなく普通に走っていたら、そこで池田先輩を追い越せていましたよね」

「そうだね。でも天雲さんは勝負に出たから追い越せなかった。勝つつもりの人が負けて、勝つつもりのない人間が勝つ。それって、人生と同じと思わない?」

繭は笑みを浮かべる。


ミユには、繭が何を言っているのか理解できなかった。とんでもなくひねくれたことを言っていることだけは分かるけれど、心情が追いつかない。

少なくとも、ガチンコの勝負では負けて、新入生相手の接待で、どうでもいい勝ちを譲られたのだということは理解できる。


ふと、さきほどガレージで徳弘涼が言っていた『池田はあなたの知っている池田ではないかもしれない』という言葉が頭をよぎる。


視界の端に、カート部員の一団がぞろぞろ歩いてくるのが見えた。

「いやいや、お二人さん、お疲れ様」と涼。

「テンテンがこんなにできるなんて思ってもなかった。これは入部で決まりかな」

「うんうん。ついでにアイアンレースにも出てよね」


「それは、駄目だよ」

浮かれる部員たちを繭が制止した。

「天雲さんが勝てば、天雲さんは入部しない、そういう約束で始めたから、天雲さんは入部しない」

「え? 何、その変な約束。そんな約束してないよね?」

「そうだよね? 天雲さん」

「え、いや、それは……」とミユは口ごもった。


そういう約束をしたのは、ミユが繭に勝てば、カートに対する未練がなくなり、きれいさっぱり別の道を歩むために入部しないと言ったつもりだったが、いまではカートよりも繭の得体の知れなさに興味を引かれる自分がいた。


それに、ゴール直前に覚えた繭の視線も気になる。追い抜く直前に見た繭のあの眼は、まるで――フウタだ。


天雲家の飼い犬のフウタ。ミユとかけっこをすると、必ずミユよりも先に出て、ちゃんとミユが付いてきているかチラチラと後を確認しながら走る。速く走るよりも、一緒に走って遊ぶことの方が犬にとっては大切なことらしい。


それは多分、繭もそうなのだろう。

だとすると、最後のコーナーでのアンダーステアで作った隙は、勝ちを譲るというよりは、この試合を取るか取らないか、つまり、入部するかしないかを私自身の意志で選択させ、付いてこさせるためだったのかもしれない。


そう思うと、自然と笑ってしまった。

突然笑い始めたミユを不思議そうな面持ちで眺めながら、みんなはミユの次の言葉を待った。

「すみません。池田先輩が、なんだか、うちの犬に似ていたので」

「は? 犬?」

「はい。うちの犬は、一緒に走ると、必ず後を確認して、私のスピードに合わせて走るんです」


それを聞いて繭は苦笑した。部員の何人かが釣られて吹き出した。

「それで、約束の話ですが、確かにそう約束しました。でも、それはあくまでも池田先輩が、本気を出すことが条件だったので、手を抜いて走ったさっきのレースは無効です」

「ちょっと待って、そんな条件だったっけ?」

「はい」

「うーん。犬のことが気になって、あとの話の内容が全然、頭に入ってこないんだけど、結局テンテンはどうするの?」

「私、やります。入部します」


カート部員から歓声が上がる。

「じゃあ、さっそく入部届に名前書いて出してくれる?」

涼から入部届とペンを渡され、天雲ミユと名前を書いた。


「ついでにこっちにも名前書いてくれる?」

桜に、別の紙を渡され、スラスラと名前を書いた。

「応募、ありがとね。学生会の庶務はテンテンで決まりだから、よろしく」

「ん? どういう意味ですか?」

「どういう意味って、今、テンテンの学生自治会役員立候補届を受理して、その庶務担当に内定したってこと」


そういって先ほど署名した紙をよく見ると、学生自治会役員立候補届と書かれていた。

「ちょと待ってください。そんな物とは知らなかったから、心の準備が全然――」

「大丈夫、大丈夫。みんな何かしらの部活と兼任してるから。でもどうしても無理そうだったら、取り下げすれば良いしさ。詳しいことは、明日の十八時の学生自治会の会合で話すから参加してね、じゃあね」

みんな良かった良かったと言いながら、その場は解散になった。

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