第15話 見学 2


「テンテンは経験者だから知ってると思うけど、池田は、確かに昔は記録を樹てたすごい人だよ。でも、今の彼女はあなたが思い描くイメージとは違ってるかもしれない。というより、たぶん、違ってる。ときどきテンテンみたいに、池田目当てに入部したいって子が来るんだけど、だいたいがっかりして帰るんだよね」

「どういう意味ですか?」


ミユのその質問には答えずに涼は、「今日、池田来てるんだっけ?」と、隣に座っていた部員に尋ねた。

「二階で工具の整理してましたけど」


二階を見上げると、ガレージは建物の半分が吹き抜けになり、二階に部屋らしきものが見えた。カートや整備用の機械が置かれた一階フロアから、二階フロアの部屋の前まで階段が延びている。

その時、ちょうど二階の部屋のドアが開き、長袖の作業着を腕まくりした池田が姿を現した。おもわず動悸がした。


池田繭は一階からの視線に気づき、不思議そうな表情を浮かべた。

「どうしたの? みんなしてこっち見て」と、階段を下る。

「テンテンが来てるよ」と涼。

「テンテン?」

聞き覚えのないワードに繭は首をかしげつつ、卓に着いていたメンバーの中から天雲ミユを見つけた。


「ああ、あのときの。本当に来てくれたんだ、ありがとう」

「その節はありがとうございました」とミユ。

「たいしたことはしてないよ」

そう言って、池田は笑う。

「この子、経験者なんだって。ヘルメット持参で来てくれたんだよ」と、カート部員。

「へえ。気合い入ってるね」

「いえ、それほどでも」と、ミユは少し恥ずかしくなって否定する。


「いやいや、ヘルメット持参で来る新入生なんて初めてだよ。そうだ、せっかくだから、池田とサーキットを走ってきたら? そのつもりで来たんでしょ?」

 涼が提案した。


「え! いいんですか?」

突然の提案に驚いたような返事をするが、ヘルメット持参で来た以上、自分でもこうなることは予想していた。

「もちろん! 池田も、いいよね?」

「すぐ勝手に決めるんだから。でも、誘ったのは私だし、いいよ、やろうか」


ミユがカートを始めたのは池田選手の影響あってのことだったけれど、すぐに彼女が表舞台から消えたために、一緒に走ることはおろか、直接会うことすらなかった。

それが、こういう形で思いもかけず実現することは、うれしい気持ちもあるけれど、先ほどのカート部員達の忠告のような説明に対する不安の混じった複雑な気分だった。


「今日のサーキットは、十四時半からカート部の練習時間だから、それまで乗るカートを選びなよ。こっち来て」と、涼に連れられて、カートが並ぶ一角に案内された。

「ちゃんと整備してるのは、この辺のやつかな。好きなの選んでよ。といってもどれも代わり映えしないけどね。決まったらシートの位置だけ調整するよ」

「ありがとうございます」


現在レースで使われているカートは、ドライバーの技量で優劣をつけるようにするため、マシンパワーの均質化が進み、マシン自体の性能差はほとんどない。とはいえ、ドライバーの好みやクセが反映され、それなりに差はあるので、一台ずつ座ってフィーリングを確かめる必要はある。


ミユは、並んだカートのセットアップを一台ずつ確認していった。

その中で、一台だけ二人乗りのカートを見つけ、足を止めた。シートが縦一列に二つ付いている。


「面白いでしょ?」

「二人乗りって珍しいですね」

「昔の先輩が、どこかの遊園地が閉園するからって、二人乗りのゴーカートをもらってきてモーターをエンジンに載せ替えて、ドライブトレインも載せて、早く走れるように改造したんだって。今は、新歓の時期に後ろに新入生を乗せて走るくらいにしか使ってないんだけどね。それは選んじゃだめだよ。かなり重いから」

言われるまでもなくそれを選ぶつもりはなかった。


しばらくシートの具合を確かめて、その中で一番しっくりするカートに決めた。

「タイヤの状態もシートの具合も良さそうなので、これにします」

ミユが選んだカートを指してそう言うと、繭が「あ、それ――」と何か言いかけたが、「それを選ぶとはお目が高い!」と、涼が被せて最後まで言わせなかった。


「じゃあ、給油するね。エンジンはかけられる?」

「あ、はい」と返事しつつ、リコイルを探す。

2ストロークエンジンでは、リコイルを引っ張ってエンジンを起動するのが一般的だけれど、エンジン周りを探しても、リコイルは見つからなかった。


「セルスターターは初めて? これを押すだけでかかるよ」と涼。

どうやらこのエンジンは、リコイル式ではなくセルスターターのボタンを押してエンジンをかけるらしい。そういうものがあるのは知っていたけれど、見るのは初めてだ。


エンジンをかけるためにセルスターターを押し続けた。キュルキュルとセルモーターが回る音がするけれど、エンジンのかかる様子がない。

「押しすぎだよ。二秒くらいで離さないと」

「すみません」と謝りつつ、一度離して、もう一度押して、二秒で離すと、先ほどの苦戦が嘘のようにスムーズにエンジンがかかり、ガスが勢いよく排気された。


暖気のためにアイドリングをする。

池田繭も別のカートにすでに搭乗して、準備を終えたようで、乗車したままジェスチャーで付いてくるように指示した。

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