第55話 カートレース

迎えたカートレース当日の早朝、ミユを始めとしてカート部員たちは部室のガレージに集合していた。作製したグランタス・ヴィクトリアス号や、そのスペアタイヤ、工具などをハイエースに積み込む。この光景は前回の岡山遠征の時に似ていたけれど、違う点があるとすればそれは、学生会の内山会長と小原の二人がカートレースに同行するついでに手伝いに来てくれた点と、カート運搬用のハイエースが二台ある点だった。


出走予定のレース用カート、グランタス・ヴィクトリアス号が、レース直前に何らかの理由で出走できなくなった場合に、予備のカートで出場することになるのだけれど、その予備のカートを運ぶために、ハイエースがもう一台必要になったからだ。


顧問の先生が私物のハイエースを持っていて、カートの運搬を快諾してくれたので、先生のハイエースに予備のカートを積み込むことになった。現時点で出走規定を満たしたカートは、グランタス・ヴィクトリアス号と試験機のアポロ号の二台だけだったので、アポロ号を積み込んだ。


学生会の手伝いもあって、荷物の積み込みはスムーズに終わった。小原に関してはこの前の一件で、スパイの疑いが多少はあったものの、ミユは会長と小原を信じて、小原を監視するようなことはしなかった。


スタート地点の広島県福山市に向けて出発する時点での天気は快晴だけれど、天気予報では、ところによっては発達した積乱雲による土砂降りになる所もあるという予報だった。大会中止の判断は、朝六時半頃に発表されるので、出発後にUターンする可能性もないわけではないが、現時点では晴れなので中止にはならなさそうだ。


荷物を全部ハイエースに積み込んだのち、学生たちは車と電車でそれぞれ会場に出発した。ミユや小原たち学生会のメンバーは桜のシビックに乗せてもらった。


前回の岡山遠征は、カートが高速道路を走れないのでフェリーで本州まで渡ったが、今回はハイエースに積載しているので瀬戸大橋を渡り、午前七時過ぎには現地に到着した。


大会本部のある商業施設の広い駐車場には、出走二時間前でも既に多くの人とカートが集まっていた。徳弘と繭が二人でエントリーのため大会本部のテントに向かう。


駐車場の一角に駐めてあるケータハムが印象的だった。

「祇園さんも来てるね」

「だね」


大会本部の話によると、積乱雲の発達により、レース中に局所的に土砂降りになる可能性はあるが、それがちょうどレース中に、しかもコース上に重なるかどうかは現時点では不明な上、雲一つない快晴のため、ひとまず予定通りに開催するということだった。それでもレース中にコース上で土砂降りに遭遇した場合は、道路自体が通行規制される可能性もあり、その場合は各チェックポイントで停車を求められ、中止などの判断がされるとのことだった。


エントリーを済ませ、徳弘が部員を集めた。

「マシンのセッティングの前に、改めてルールを説明するよ。コースは広島県福山市から岡山県新見市までの国道一八二号。途中のチェックポイントでの給油は可能だけど、出走前に計量したあとは、重量の変更を防止するため、カートの構造や構成の変更はもちろん、ドライバーの変更も禁止。つまり、途中でタイヤも変えられないってこと。今日は土砂降りになるかもだから、タイヤはウエットタイヤで行くよ」

「了解!」

「じゃあ、作業開始」


タイヤは大きく分けてドライタイヤとウエットタイヤの二種類あり、ドライタイヤはグリップ力が強く、速いけれども、排水能力に乏しいため路面が雨で濡れている場合には、スリップしやすい。反対に、ウエットタイヤは、排水能力が高いものの、グリップ力が相対的に低く、乾燥路面では相対的に遅くなる。


そのため晴れの日はドライタイヤを使うけれど、今回のレースのように途中で雨が降るかもしれず、しかもタイヤの交換ができないとなれば、スリップ事故防止のために始めからウエットタイヤを履かせるというのは当たり前の判断だった。


「あれ? ウェットタイヤが見当たらないんだけど、どこに積んだの?」

ハイエースの中で脇田が近くの部員に尋ねる。

「その辺に積んだはずだけど、ない?」

「ないなあ~」

「えー、よく探してよ。ちゃんと積んだんだからさ」

「でもないよ」

「ないはずないよ。この辺にあるはず……、いや、ないな。だれかもう降ろしたのかな」

「いやまだ何も降ろしてないけど」

「じゃあ、はじめからないってこと? なんで?」

「あの……」

二人のやり取りを見ていた小原が、おずおずと言った。


脇田たちは無言で小原を見た。その視線から目を外して小原は、「探しても見つかりません」と消え入るような声で呟いた。

「え? どうして?」

「私が……、出発前に降ろしましたから」

「はあ?」

「何考えてんの?」


二人が小原に詰め寄った。その騒ぎを聞きつけて、なんだなんだと他の部員も集まってきた。脇田は部員たちに、積み込んでいたウエットタイヤを小原が勝手に降ろしていたことを説明すると、動揺が拡がった。ウエットタイヤがないということは、雨が降れば即リタイアになることを意味していたからだ。


「ウエットタイヤを勝手に降ろしたというのは、本当なんですか?」

何かの間違いであってほしい、嘘だと言ってほしい、そう思いながら、みんなの前でミユは小原に問いただした。

「うん」

「どうして?」

「……」

その質問に対して小原は答えなかった。


「こいつ! 何とか言ったらどうなんだよ」

部員の一人が小原を掴もうとした。

「待ってください!」

ミユはそう言って、掴もうとする部員を制した。出発前に小原の行動を注視していなかったせいだ。小原が何かするかもしれないと知ってながら、それを防ぐ対策を取っていなかった自分のせいだと、ミユは思った。


「私のせいです」と言いかけたミユを、内山会長が制止する。

「みなさん、落ち着いてください。理由を問い詰めるのはあとにして、今はどうにかして雨対策を考えるべきです」

「でも……」

「カートの計量まで、もうあまり時間がありません。貴重な時間を言い争いで失うのが一番無駄だと思います。そうでしょう?」

内山会長はそう言いながら繭を見た。

繭は「うん」と肯く。「タイヤのことなら問題ないよ」

「問題ないってどういうこと? 他の学校から借りるつもり? ありえないでしょ?」

「いや、こういうときのために、もう一台持ってきてるでしょ」

「予備のアポロ号のタイヤもドライタイヤだから、タイヤ交換しても意味ないよ」

「そうじゃなくて、アポロ号で出るの」


繭の意外な提案にみな声が出なかった。というのも、予備機はあくまで最悪の事態のための備えであって、アポロ号で出走するくらいなら、途中リタイア覚悟で雨が降らないことを祈りつつドライタイヤのままグランタス・ヴィクトリアス号で出走した方がマシと思えた。

「アポロ号の噴射装置ってまだ外してないよね?」


繭が専攻科生の田村に確認する。水たまりを吹き飛ばす噴射装置の研究は、専攻科生の田村の卒業研究のために引き継がれたので、ほとんどそのまま残されていた。

「でもまだ未完成だよ。手動操作ならできるけど」と田村。

「なら決まりだね。私の後ろにテンテンが乗って、私のステアリングに合わせてテンテンが手動で操作すればいい」

「二人乗りなんてアリなの?」

「ルールブックによれば、人数の制限については何も書かれてないから、ルール上は問題ないみたい」

「それに、アポロ号はもともと二人乗りだから構造的にも大丈夫だよ」

「でも後部座席は撤去して、おもりを積んでるからテンテンが乗る場所ないよ」

「それは大丈夫。おもりを外してシートを付け直せるから」

「でもシートなんて持ってきてないでしょ?」

「それが、都合良く誰かが積んでたみたいで、あるんだよなあ」

「マジ?」

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