第2話 真鍋桜

原級留置、つまり留年が決まった上に、二ヶ月あったはずの春休みは残りわずかになってしまった。来週からさらに一学年下の学生と一緒に授業を受ける過酷な現実を前にしても、そんなに気分が沈まないのは、この春の陽気のせいだろう。


真鍋まなべさくらは、赤信号で停車した。春休みにもかかわらず、シビックに乗って高専に向かっているのは、今日が学生自治会の会議の日だからだ。


信号待ちの間に、ふと街路樹に目をやる。

自分と同じ名を持つ桜の花びらが、風に乗って舞っていた。


桜の花びらは散って新しい葉を出すのに、自分は次のステップに進めなかったわけだ。今の場所に何の未練もないにも関わらず。


散る桜を愛でるように、過ぎ去った春休みを愛おしむ。この二ヶ月の間に何をしていたのか振り返ろうとしたけれども、車の運転免許を取るために教習所に通い、母親に古い自動車を譲ってもらった以外には、特筆するようなことはない。三回目の春休みともなるとそういうものかもしれない。


とはいえ、それだけの間、ゆっくりと過ごせたのだから、高松市内にいくつもある普通の高校ではなく、少し遠いけれども讃岐高等専門学校に進学したのは正解だった。


生徒ではなく、学生と呼ばれるところもなんだか心地よいし、春休みがたかだか二週間しかない高校と違って高専なら夏休みも春休みも一ヶ月半ずつあるわけで、それだけ休みがあれば、いろいろなアルバイトをしたり、貧乏旅行に出かけたりできるので、高校生ではできない体験ができる。もちろん、やろうと思えば、という条件がつくけれど。今思えば、母親にもらったこの車で遠くまでドライブに行けばよかったかもしれない。蒸し暑くて虫の多い夏と違って、春先はドライブに最適なシーズンだったんだから。


そんなことを考えながら車を運転している間に、ひらでんの車座駅前に着いた。待ち人はすでに到着しているはずだけれど、それらしい人影はない。周囲を見渡すと、ずいぶん遠くにそれらしい後ろ姿が確認できた。徐行しながら近づくと、やはり間違いない。西尾にしおめいだ。中学生くらいの女の子も一緒にいる。その二人の手前で車を停めてパワーウィンドウを開ける。


「駅前に来いって言ったんなら、駅前にいてくださいよ」と鳴に文句を言うと、なりゆきで、新入生の子も乗せて学校まで送ることになった。車内で適当に話を振ると、新入生はフレッシュでからかいがいがあって、おもしろい。


会話をするうちに、東讃キャンパスに着いた。車だとやはり快適だ。讃岐高専の東讃キャンパスは地価の安そうな山の麓に建っているせいか、JRの駅からもひらでんの駅からも遠い不便な場所にある。そのせいで多くの学生は、自宅から自宅の最寄り駅まで自転車で行き、電車で移動したのち、高専の最寄り駅から高専まで、また別の自転車で通っている。自転車を二台持たざるを得ない立地なのだ。でも車だと、そのまま来られるから一度マイカー通学を覚えると、自転車と電車通学には戻れない。


学生寮は校舎より山側に建っているので、ギヤを落として、坂道を上り学生寮の駐車場に停める。

時計を見ると学生自治会の会合の開始時刻よりも十五分は早い。でもきっと、他のメンバーはもう集合しているんだろうなと思う。


車から降りると肌寒かったので、パーカーのファスナーを締めた。

同乗していた二人に別れを告げ、坂を歩いて下り、学生自治会室に急いだ。

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