悪役令嬢、異世界でノルマを課されて、今日もうちふるえる

高坂八尋

1章 わたくしはイザベラ・オーレリア。愚民共よ、平伏することを許そう。

第1話 イザベラ・オーレリア・アンナ・グラナディア



 天井の大きな薔薇窓から、色彩豊かな光が降り注いで、聖堂全体を鮮やかに飾り立てている。


 天井をよくよく見上げれば、赤、青、黃、緑という四大精霊の象徴色の色硝子が、作り出した光景だというのがよく分かる。それぞれの精霊を表す紋章が色硝子で分けられ、これらが陽光に寄って混じり合い、複雑な色調として聖堂を満たしているのだ。


 そして薔薇窓を囲むように彫刻が緻密に彫られて、聖人たちが舞っている。纏う衣服、その布の流れを見れば、それはまるで、触ると本当に柔らかな感触がしそうである。その外側を、妖魔と呼ばれる様々な姿をした獣が、獰猛に絡み合い争っていた。妖魔達は渾然一体となって、聖人達を守るかのように渦巻いている。そこには鋭い牙を剥き出しにする狼に似た獣や、勇猛な馬型の生物が象られている。


 しかし、その中で最も目立つは巨大な二匹の蛇だった。ぐるりと互いに巻き合いながら、薔薇窓を縁取っている。伝説の大蛇だとされているが、既にその口伝は絶えていた。


 些か暗い彫刻の方が多く、荘厳な雰囲気が重く聖堂を支配しているが、聖堂は眩いまでに明るく、影を帯びる所がないので、恐れというものを抱く余地が無かった。


 それは全てを見通せるような――。



 そのような色彩豊かな聖堂に一人の子供が居る。赤い絨毯が敷かれた通路のど真ん中に、鼻をツンとそびやかして一人の女児が歩いていた。


 ――イザベラ・オーレリア・アンナ・グラナディア。


 四大公爵家グラナディアの一女である。


 父、グラナディア公爵は王家に連なる血を有し、母もまた公爵家から嫁いで来たという令嬢中の令嬢だ。


 王家の血筋を持つ父から受け継いだロイヤルブルーの瞳と、母から受け継いだ漆黒の髪。肌は紗が掛かったようできめ細かく白い。その容貌は齢七つでありながら、美貌の片鱗を既に見せていた。


 イザベラは祭壇の前に淑やかに立ち止まる。


 祭壇には巨大な鉱物の結晶が鎮座している。透明で水晶に似ているが、それよりも桃色掛かっていて光を受けてきらめいている。


 その聖堂はエルタリア王国、首都ウェルシュナに建てられた王国最大である精霊王の聖堂である。子供は七つになると特別な結晶によって精霊王と対話し、精霊と絆を結んで魔導を与えられる。しかし、全ての子供が魔導を与えられるわけではなく、保有者は貴族が大半を占めた。


 イザベラは膝をついて祭壇に手を合わせる。


(何が起こるのかしら。イザベラは特別な乙女なのだから。きっと素敵な契約者になれるはず)


 イザベラは目をつむる。森閑としたなか何事もなく時が過ぎ、イザベラは焦りを感じ始めた。もし何の天啓も訪れなければ、公爵家筆頭のグラナディアにありながらと、笑い者になってしまう。


 眉間に皺を寄せ強く祈っていると、闇の中で頭を唐突に殴らた。目の奥で光が弾けた瞬間、イザベラは大きなロイヤルブルーの目を、これでもかとこじ開け天を仰いだ。


「詐欺だぁぁぁぁぁああああああ」


 その声は聖堂の、空洞に等しい空間に響き渡った。


 背後で見守っていた父母の驚愕を叫ぶ声が聞こえた気がした。


 イザベラは意識を手放した。





 青い空に極彩色の鳥が舞っている。天蓋に象眼された見慣れた模様だと気付くと、頭がずきりと痛んだ。イザベラがベッドから周囲を見回してみると、専属の執事であるフランシスが側に居た。


 フランシスは白髪の柔和な老齢の男性で、いつも燕尾服をびしりと着こなしている。実際のところ執事といっても只の子守なのだが。


「お嬢様、お目覚めになられましたか。今、旦那様にお知らせ致します」


「私は聖堂に居たのではなくて」


「司祭様と緊急で街のお医者様にお診立てを受けられて、異常がないということなので、お屋敷へご帰還なさったのでございます。そのお診立てにはフェイル先生も異存はないとの事でございます」フランシスが自分の背後を見る。


 グラナディアお抱えの医師フェイルが頷く。医師として代々グラナディアに仕える一族の男だ。若い男だが一族で一二を争う腕の持ち主で、公爵の信任も厚い。赤毛を取っ散らかして濃緑の瞳は半眼だ。


「目を覚ましたから大丈夫でしょう」


 フランシスは侍女に公爵夫妻へ報告するようにと指示を出した。直ぐに父、公爵のクラインと母であるマリアベルがイザベラの部屋を訪れる。


 公爵は落ち着いた金の髪をしている。王家の血筋を持つ者の証であるロイヤルブルーの瞳がイザベラと同じだ。母は絹糸のような珍しい漆黒の髪をしている。瞳は新緑のようなみずみずしい色をしていた。


「お父様、お母様、ご心配をお掛け致しました。私は大事ございません」


「イザベラ、ベラ。何事もなくて本当に良かった。私もマリーもとても心配したんだ。聖堂でベラが知るはずもない俗な言葉を叫んで、倒れてしまうなどと考えもしなかったから、何かに憑かれてしまったのではないかと思った」


「ベラ、私の愛しい精霊。目を覚ましてくれて本当に良かったこと」マリアベルがイザベラの手を握る。


「司祭は精霊石に初めて触れたことによる拒否反応ではないかと言っていた。だが、大事を取ってしばらく休んでいるんだ。いいね、ベラ」


 イザベラは頷くと父母を見送った。使用人達が完全に控えの間に下がるのも見届ける。


 大きく息を吸い込んで、クッションを一つ頭上から引き抜いた。それを顔面に叩き付け、人知れず叫んだ。それは、外へ聞こえるか聞こえないかのギリギリの絶叫だった。バタバタと暴れる脚は止めようがなかった。


 ――そう、乙女ゲームの火蓋が切って落とされたのだ。




「……藤浪菜々ちゃん。ご愁傷様です」


「はあ、どうもこれはご丁寧に……じゃなくて、どういう意味ですか」


 純金の髪を解き、飽満な体躯を純白のタイトなドレスに詰め込んだ女が、菜々の前に唐突に現れた。藤浪菜々、二十五才。会社員。独身。奈々の人生に置いて絶対に関わってはいけない類の女性であるのは明らかであった。


 女の面差しは菜々が思うヨーロッパ人の女王のようである。つまり物語に出て来る類型的な美しい女であった。その瞳は碧眼。つまり地を行く金髪碧眼のドレスをまとう女王様だ。


 それに反して奈々は、茶色掛かった黒髪黒目と日本人を体現している凡百な女だった。容貌も美人とは言えず、よく言うと愛嬌がある、悪く言うと締りのない形をしていた。スカートスーツを着た奈々の凹凸は、女王様に比べたら無きに等しい。


 菜々が周囲を見回してみると、そこには何もなかった。純白の世界に女と菜々の二人きりなのだ。


「お尋ねしますが、やっぱり、私死んだんですよね」


「あら、飲み込みの早い。飲み過ぎで昏倒したままゲロはいてお陀仏」


「無理やり飲まされた挙げ句、そんな死に方するなんて。まだやりたい事いっぱいあったのに。あいつ等……」


「はい、待った。悪霊化したら駄目。せっかくあなたがまっさらだから来たのに、また別の誰かを探さなくてはならなくなるわ。藤浪ちゃんに耳寄り情報を持って来たのよ」


「死んで直ぐの人間に耳寄り情報も糞もないでしょう」


「そんなこと言わないで。もう一度人生をあげる。しかも個人としては最高ランクにある人物に転生させてあげるわ」


「あ……これって某小説サイトでよく見かける転生物ってこと。最高ランクの人物ってことは、チートで人生楽々みたいな感じ」


「そんなところね。どう、いい話だと思わないかしら。しかも、あなたの好きな乙女ゲーム『愛しい君と舞踏を』、略して愛舞アイブの登場人物にしてあげるわ」


「……愛舞のキャラに転生できるんですか」


 奈々は生唾を飲み込む。


 精霊王は言った。奈々は愛舞が好きなのだと。しかしそれは違うのだ。


 奈々は愛舞を愛している。


 そう、愛しているのだ。


 奈々は愛舞を自力で全攻略し、裏ルートまで制覇した。攻略対象の台詞は一語一句覚えているし、裏設定も歴史も頭に入っている。今も愛舞の続編を待ち続け、それだけが奈々の生きる楽しみであった。


「って、あなた一体何者なの。ゲームの世界に転生させられるなんて、そんなこと」


「紹介が遅れたわね。私は精霊王。多重世界にあまねく在る意思。名は数多にあり神と呼ばわる者達もいる。最高位の精神体――なんてね。神様だと思ってくれれば問題なし」


「じゃあ、神様、精霊王。愛舞の世界に行けるって本当ですか」


「神様は嘘なんて言わないわ。転生させてあげる。もちろん平民だなんてしょぼいことは言わないわよ。最高にチートな人生を送らせてあげる。最高よ、向かうところ敵なし。愛され放題、逆ハー必須。どう、この話乗ってみない」


「別にチートじゃなくても愛舞の世界に行けるなら何でも良いです。信じられない、あの夢にまでみた世界に行けるだなんて。もちろん攻略対象者がいる時代ですよね」


「乗り気でよろしい。当たり前でしょうが全員揃っているわよ」


「じゃあ傭兵ユーベル様に会えるのね」


 正規ルートの攻略対象は、王太子、騎士、魔導士、傭兵、司祭、学院生だ。その中で奈々が最も推しているのが傭兵ユーベル・シュタイナーであった。


「精霊王、転生させてください。お願いします。ユーベル様に会いたいんです」


「腹が決まったみたいね。じゃあ交渉成立ということで。それと、転生後しなければならない話があるから。またその時は精霊石でよろしく」


 精霊王が奈々の額に二本の指を突き付けた。奈々の意識が薄れていく。


「あ、そうそう。藤浪ちゃんが転生するのは、イザベラ・オーレリア・アンナ・グラナディア。と、いうことでよろしくね」


 ――悪役令嬢じゃないかぁぁぁぁああああ。

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