二十六章 「彼女が恐れていたこと」

「私の負けね」

 彼女は、突然そう言った。

「負け??」

 僕は正直何の話なのかわからなかった。もちろん僕は彼女と勝負をした覚えがない。

「そう。悠希の観察力と私に対する思いの大きさに、私は根負けしたのよ。だから、私が恐れていることを教えるよ。でも、その前に悠希に謝りたいことがあるんだけどいい?」

「謝りたいこと?? いいけど、何か華菜は悪いことをしたかな」

 考えてみたけど、僕にはすぐには浮かばなかった。

 むしろ、僕は彼女のために大したことはできていないと思っている。

 僕がもっとしっかりしていれば、彼女を救えるはずだ。

「今まで悠希を一切受け入れず、屁理屈ばかり言ってごめんなさい。私がそんな態度ばかりとるからだから、悠希はかなり困ったよね」

 彼女は深々と頭を下げた。

「そんなこと気にしなくていいよ」

 予想外な展開の話ではあったけど、そんなことは本当に小さなことだった。

 むしろ、彼女と話すことで僕は新しい考え方を知ることもできた。

 僕から感謝の気持ちを伝えたいぐらいだ。

「私がそう振る舞ったのは、恐れているものが大きく関係している。私が恐れているのは、『私の力のせいで悠希が不幸になること』だよ。私が今まで悠希に言ってきた言葉はすべて嘘よ。いや、本心ではなかったと言う方が正しいかな。きっと本心をそのまま言えば、悠希に悪影響がでてくると思った。心の中では悠希が言ってくれた言葉一つ一つがどれも本当に嬉しく感じていた。感動も何度もした。何をしてもダメな私に、何度も何度も真剣に向き合ってくれて感謝の気持ちしかない。こんなに私を愛してくれる人は、きっと今後いくら探してもいないだろうと思った。だからこそ、私はどうしても悠希を不幸にしたくなかった」

「不幸にすることと、本心を言わないことはどんな関係があるの?」

 僕には、まだ彼女の話がうまくつながっていない。それでも彼女の手を、いや心の扉を今つかみたいと思った。

 今なら開けられる気がした。

「私が、悠希の言葉を素直に受け入れるときっと悠希とさらに仲を深めることになる。二人の距離が近くなると、私の力のために悠希が不幸になる可能性がぐっと高くなるから。私が今まで不幸にしてきた人は、私と関係性が深くなった人が圧倒的に多いから」

 僕はその言葉を聞きながら、彼女の母親や彼女の従姉妹で今はもう亡くなってしまった美琴が頭にすぐに浮かんだ。

 きっと彼女も、その人たちが今頭に浮かんでいるのだろうと感覚的にわかった。

 やっと彼女の深くて暗い心の底にたどり着いた気がした。

「悠希は私にとって誰よりも大切な人だからこそ、悠希だけはどんなことをしても不幸にしたくないと思った。私はそれをずっと恐れているんだよ。それに普通の人間である悠希とたまたまだけどそうでないものを心に宿してしまった私が、一緒にいてもずっとうまくいくはずがないとも思った。神様がそんな関係を許すはずがないから。きっと一緒になっても悠希には苦労をたくさんかけるのが目に見えてわかった。こんなにも頑張ってくれている悠希が私のことで心身ともに疲れて、私を嫌いになってしまう気がした。いつか悠希との関係性に終わりが来ることも怖かった。夢を見なければ、幸せを望まなければ、悲しくなることはないから。だから、あえて悠希の言葉をことごとく否定した。悠希に『めんどくさい女』だと思わせて、距離を置いてくれるように演じた。きつい態度を取り続けると、私のことを諦めてくれるかもと思った」

「それじゃあ、」

「うん。悠希が今思っている通りだよ。でも人を思う気持ちは、全てキラキラしていてまっすぐなものじゃないよ。思うからこそうまくいかないこともある。そのために曲がってしまうものもあるんだよ。私は、悠希にはずっと幸せでいてほしい。それを叶えるためなら、私は幸せになれなくてもいい。私は不幸なことには慣れているから。将来悠希の隣にいるのが、私じゃなくてもいいとさえ思えた。私は悠希の幸せな姿を遠くから見れればそれでいいと思ったのに。それなのに、悠希は私がどんなに悠希のことを突き放しても、決して『離れる』という選択をとらなかった。もちろん、私も全て完璧に演じきれなかった。悠希の優しい言葉に心も覚悟もグラグラ揺れてばかりだった。でも、強い覚悟は確かに持っていた。悠希は、言葉と行動で私にその覚悟を捨てさせた。だから、さっき私の負けと言ったのよ」

 話し終えた彼女は、ボロボロと大粒の涙を流していた。

 その一粒一粒が彼女の様々な感情のようだった。僕は彼女を抱きしめた。自分で自分を苦しめた彼女を少しでも僕が癒せたらと思い、強く強く抱きしめた。

 こんなにも僕のことを思ってくれる人はいないと思った。

 僕たちはお互いにこんなにも相手のことを思っているのに、どうして今までわかり合うことができなかったのだろう。

 でも、誰かを思うことは、僕自身を強くしてくれた。

 そのことを彼女にも教えたいと思った。

 そして、彼女を救うために、どんな行動をすべきか彼女の話を聞いて僕はわかった。

「話しにくいことを話してくれてありがとう。でも、恐れることは悪いことではないよ」

「えっ?」

 彼女は、目をパッと開いた。

「恐れるのは、幸せを守りたいと思う立派な感情だから」

 僕は彼女の涙を拭いたのだった。

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