二十四章 「全て教えなきゃダメなの?」

「私は悠希に全てのことを教えなきゃダメなの? それを受け入れるのは難しいよ」

 彼女は、同じ言葉を繰り返した。

 彼女が同じ言葉をすぐにもう一度言う時は、何かしらの強い思いがあることを僕はもう知っている。

 彼女と言葉を重ねるごとに彼女のことをどんどん知っていくのに、彼女の心の扉を僕が開くことをいまだにできていない。

 何があれば彼女は心を開いてくれるのだろう。彼女が時折見せる違和感から僕はそれを見つけることができるだろうか。

 そして、今回はいつもより彼女の言葉から強い抵抗感がにじんでいた。

「そういう意味で言ったんじゃない!」

 彼女の思いに向きあいたくて、僕はつい強く言ってしまった。

 自分の声に自分自身が驚いて、そして、また後悔した。

 強く言ったところで相手に思いが早く伝わるわけではないし、相手を怖がらせるだけだ。その行動はマイナスなことしか生み出さない。

 僕は、僕の伝えたいことと彼女が僕の言葉から受け取ったことに大きな違いがあることに気づいた。

 僕は、彼女が嫌がっていることを無理やり聞こうとは思ってはいない。そういう意味で「もっともっと話してくれないかな」と言ったんじゃない。

 その誤解をどうにかして解きたいと思った。

 僕が考えているうちに、彼女はまた話し始めた。

「私はたとえ好きな人や大切な人でも、全てのことを教えようとは思わないし、むしろそれは意味のないことのようにさえ感じる」

「華菜はどうしてそう思うの?」

 僕は、そんな風に考えたことがなかった。

 大切な人だからこそ、信頼してなんでも話したいと僕は思う。

 この点に関しては、彼女の考え方と真反対だとわかった。

 それなら彼女はどんな人なら頼ろうと思うのだろう。僕はどんな人になればいいのだろう。

 そして、彼女はどうしてそういう風に思うようになったのか純粋に知りたくなった。

「それは相手の全てのことを知らなくても、会話、デート、そして生活さえもすることができるから。相手が言いたくなさそう部分はあえて聞かず、見て見ぬふりすればいいだけよ。何も難しいことじゃないし、みんなしてることだよ。どんなに親しい人であっても、触れられたくない部分はあると私は思う。それに大多数のカップルや夫婦は、相手に全てをさらけださずに一緒にいるよ。つまりは、それをする必要性はそんなにないのよ。別に全て知っていなくても、一緒に何不自由なくいられる。仲良くすることもできる。私たちも今までそんな風に付き合ってきたよね。知らなくても日常を普通に過ごせるのに、それをわざわざ知ることに意味がある? 私には、そこに意味を見出せない。それに、そんなことに時間を使うほど私の人生には余裕はない」 

 彼女は僕を否定しているのに、苦しそうにしている。

 どうしていつもそんなに苦しそうにするのだろう。

「華菜の力になるためには、どんなことで苦しんでいるのか僕には知る必要がある」

 僕はそう言ってから、自分の考え方についてさらに詳しく話をした。

「話を聞いても、私が悠希の立場に立って考えてみても、悠希のとって相手の全てに向き合うことは大変なことしかないと思った。それでもそれをしようと悠希は思うの?」

 彼女はまだ疑問に思っているようだ。

 それでもまだこのことに、少しは関心を持ってくれているのだろう。だって、僕に質問をしてくれているから。

「僕が大変なことだろうとするよ。それで華菜が笑顔になるなら、全然僕は辛くない」

「じゃあ、悠希がそれをすることで、相手はどう思うか考えてみたことある?」

「えっ、華菜がどう思うか??」

 僕は予想外の質問に正直戸惑った。

 僕は僕なりに彼女のことを考えて発言をしてきたつもりだった。

 でも僕が彼女を知ろうとすることで、何か彼女に負担になることがある?

「そう。もし悠希が私に全力で向き合ってきたら、それと同等かそれ以上のことを私も悠希にしなきゃといけないと私は思う。きっとこの考え方は特別なものじゃなく、普通なものだと思う。誰かに何かしてもらうと、人はどうしても負い目を感じるものよ」

「僕は華菜にお礼をしてほしいわけじゃないよ。華菜は何もしなくていい。僕がただしたくてしていることだから」

 僕は本心でそう思っているし、そんなことのために彼女を救いたいわけじゃない。

 僕は、ただ彼女を『苦しみ』という真っ暗なところから連れ出したいだけだ。

「だから、それは悠希の考え方でしょ。私はどうしてもそんな風に考えられないのよ。何かしなきゃという思いにかられる。悠希がよかれと思い私を救うために行動することで、私がプレッシャーに感じることもあるんだよ。自分と同じ考えの人なんていないと悠希もわかってくれたよね? それなのに悠希は相手がどう思うかを一切考えもせず、自分の考えを簡単に選ぶのね」

 彼女はため息をついた。

 そこには、失望というより悲しみがこもっていた気がした。

「それは、」

「悠希が私のことをかなり考えてくれたことはしっかり伝わってきてるよ。でもその努力や思いは、重なるどころか二人の間に大きな溝を作った。これでわかったでしょ? 悠希は、いや誰かが誰かを救うことなんてできないのよ。こんなに考えても、相手の気持ちは全然わからないんだから」

「僕は、華菜を救えない…」

 彼女の説得力のある言葉が、僕を打ち負かそうとしてくる。

 気にしないようにしてもずっとまとわりついてきていた様々なものが、彼女の言葉を受け入れれば全てが納得がいく。

 でも、本当にそれで僕はいいのだろうか。

 僕は彼女のことを…

「それにもし貴重な時間と労力をかけて相手の全てを知ることができたとしても、相手を救える確証はどこにもないんだよ? だって相手のことを全て知ろうと本気になった人を聞いたことすらないんだから。相手を知ることに本当に自分を犠牲にする価値はある??」

 彼女は道に迷った子どもような目をしていた。

 そこにはいつもの強さはなかった。

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