十四章 「救わせてくれない?」

「いいよ。どうしたの?」

 彼女は僕の言葉を受け入れてくれた。

 僕はまだ彼女をどうしたら受け入れられるかわかっていない。

 でも、一つ一つ相手の意思を確認しながら、行動することの大切さを僕は知ったから。

 コミュニケーションとは、ただお互いに話すだけでなく、相手のことを考えることだとやっとわかった。

 物事には、「気づいた頃にはもう遅い」ということがたくさんある。僕は今日はだけで様々なことに気づくことができた。いや、彼女が僕にそれらを教えてくれた。

 僕は、自分の今までしてきたことが、彼女が求めているものと違う方向だと気づいた。それがまだ手遅れでないことを神様に祈った。

 彼女は、彼女の心を傷つけたことを、さっき許してくれた。

 でも、僕は許されることよりも、彼女を救い出したい。

 傷をつけた部分も治し、彼女の悩みや不安もすべてなくし、彼女を安心させる。

 簡単なことではないことはわかっている。

 それに、彼女が傷ついたのは『心』だ。

 そうであるなら、そもそも傷をつけた張本人が、再び関わることはよくないことだろう。

 傷を再び広げるようなものだと、多くの人が思うだろう。

 僕が、それをわかった上で彼女に行動するなら、僕自身が相当変わる必要がある。

 そうじゃなければ、僕のすることが彼女に響くことも、傷ついた心を治すこともできないから。

 僕は、今までの僕じゃないと彼女に証明する必要がある。

「前のデートの時の話だけど」と僕はそう声をかけた。

「前のデート? 何もなかったと悠希は教えてくれたけど、本当は私が悠希の気分を害することしたの??」

 彼女は少し考えているようだった。

「いや、それはしてないよ。実は前のデートの日、華菜が涙を流し、少し弱っている姿を見せた」

 そう言って、簡単にその時の状況を説明した。

 僕はできるだけ端的に、驚いた感じもあまり出さないように意識した。

 それは話が長くなったり僕が驚いたりすると、どうしても彼女は自分の感情を抑えてしまうと思ったからだ。

「えっ、前のデートでそんなことがあったの? みっともないところを見せちゃったね。ごめんね」

 出会ってそれから付き合っていた中で、彼女の様々な表情を見てきたけど、今が一番驚いた顔をしていた。

 しかし、そんな状態なのに彼女は、僕の心配をする言葉も言ってくれた。

 その顔を見て正直、僕はかなりびっくりした。彼女が話を聞けば驚くことは予想がついていたけど、驚き方が僕の予想を遥かに超えてきたから。

 『恐怖』がゆっくりと近づいてくる。

 でも、もう僕はそれに負けるわけにはいかない。

「でも、次の日どうしてすぐにそのことを言ってくれなかったの?」

 その疑問は当然浮かぶもので、彼女は何もおかしなことを言っていない。

「それは、まず華菜が悪かったとか、僕に意地悪な気持ちがあったわけではないよ」

 僕は順序立てて話そうと思った。

「そうなの?」

 彼女はいつも急かしたりしない。僕が話すのをじっと待ってくれている。

 彼女は僕の性格をよく理解していて、こんな僕に合わせてくれている。

 それも、特別なことなんだろうと今ならわかる。

「うん。すぐにこの話ができなかったのは、僕のせいなんだよ」

「悠希のせい? えっ、どういうこと??」

「僕は、華菜の感情が、いや人の感情が突然変わることが怖いんだ。だからこの話をして、華菜の感情が変わってしまうんじゃないかと恐れた。そんな理由ですぐに話すことができなかった」

 僕はこの話を誰かにするのは初めてだった。それは僕のこの気持ちが誰にも理解されないだろうと思っていたからだ。

 この気持ちが一般的におかしなものだという自覚はあった。

 話をすることは、時間と労力がいることだ。

 どうせ理解されないなら、期待して自分が傷つき悲しくなるぐらいなら、そこに精神を使いたくなかった。

 でも、自分のことを隠したままで、彼女を救うことができるはずがないと思った。

「感情が変わることが怖い?」

 彼女はやはりよくわからないような感じをしている。

「おかしな話だよね。人の感情が変わることは当たり前のことだもんね。そんなことにいちいち反応していたら、精神がもたないよね。自分のこの考え方がおかしいこともよくわかっている。僕は元々人の気持ちに疎いから、理由がわからないまま、今までの感情から突然別の感情に大きく変わることを『恐怖』と捉えている」

「そんな風に悠希は、感情について考えているのね。大丈夫? 今は辛くない??」

 彼女のその言葉を聞いた瞬間、心に光りが入ってきた感覚になった。

「うん、大丈夫。それにそのことは、今はいい。今回の話にはそれほど重要じゃないから。僕が涙を見たことから、華菜に伝えたいことがある」

 一度離れたからこそ、僕は適度な距離をずっと探していた。

 他人行儀でもなく、相手を不快にさせるほど近すぎない距離。

 その距離は、きっとお互いを思う長さではないだろうか。

「華菜を、救わせてくれないかな?」

 僕は、彼女をまっすぐ見つめ、はっきりとした口調で言った。

 彼女は何も言わないけど、ゆっくり見つめ返してくれた。

「あの日なぜ涙を流していたか教えてほしい。僕は華菜からその理由を聞き出そうと様々な方法を考えたけど、それはそもそもやり方が間違っていたとわかった。僕はまず華菜に信頼してもらい、安心できる人になるように努力すべきだった。僕は、華菜の力になりたい。どんな小さなことでも力になりたい。辛いことがあるなら、遠慮せず僕を頼っていいよ。いや、辛いことがなくても、頼ってくれていい。今までも、これからもどんなことが起きても僕は華菜の味方だから。すぐにじゃなくていいから、僕が華菜の安心できるところになれないかな?」

 なぜか彼女から儚さがこぼれていく音が聞こえたのだった。

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