君を救えるなら、僕は

桃口 優/光を見つけた作家

起 「美しい涙」

プロローグ

 『言葉』で、誰かを救うことはできない。

 そんなことでさえ、僕はわかっていなかった。


 僕、佐藤 悠希さとう ゆうきがあの日のあの瞬間、言葉をかけることができなかったのは、本当は驚いたからではなかった。

 二つのことが怖くて声をかけることができなかったのだ。

 時間はあることが起きたあの日まで遡る。


 僕は、その日恋人である山瀬 華菜やませ かなと仕事終わりに待ち合わせをしていた。

 僕が彼女に初めて出会ったのは、大学の軽音サークルでだった。

 慌てて大学デビューをした僕は、軽音サークルに入ったのはいいけれど、誰と話していいかわからず正直困っていた。かっこよく見えるだろうという単純な理由で選んだサークルだから、楽器のことも全然わからない。

 「あなたも、新入生ですか?」と後ろから天使のように優しい声が突然響いてきた。

 振り返ると、170センチある僕と同じ目線の高さにその人はいて、胸まである長い黒髪はゆらりと揺れていた。

 その時僕は、彼女から強い輝きを感じた。

「はい、そうです。あっ、僕は、佐藤 悠希です。その、あなたのお名前はなんですか?」

 僕が慌てて挨拶すると、彼女はふふっと笑った。笑い方に大人っぽさを感じたのは、この時が初めてだった。

「同じ一年生だから、タメ口でいいよ。私は山瀬 華菜だよ」

 そう言われてやっと僕は、彼女も僕と同じ『一年生』だと気づいた。そういえば、さっき『あなたも』と言っていた気もした。そこにすぐに僕は気づけなかった。

 本当に僕と同じ一年生なのかと感じるほど彼女は、僕が知っている言葉ではとても表せないぐらい不思議なオーラを放っている。

 しかも、彼女は、まるで心でも読んだかのように僕の思っていることを見事に当てて、あどけない笑顔を僕に見せていた。

 それは、特別なことじゃないかもしれない。きっと彼女は他の人にもこのように接しているのだろう。

 でも僕の胸は、魔法にかかったかのように急にドキッと大きな音を立てた。

 いや、その瞬間、僕は美しくてかわいい彼女に恋に落ちたのだろう。

 自分でもわからないうちに、あっという間に彼女に心が奪われていた。

 そうとわかったその日から、ドキドキして彼女をじっと見つめることができなくなった。

 次の日、また彼女は声をかけてくれた。彼女は高校の頃、吹奏楽部に入っていたと教えてくれた。それから楽器のことなどを教えてもらいながら、僕たちはゆっくりと仲を深めていった。

 季節は春から、爽やかな夏に変わった頃のことだ。

 春も彼女に似合っていたけど、夏の弾けそうな青い色も、彼女のためにあるように思えた。

 彼女といて楽しいし、もっと色々なお話をしたいと僕は思うようになってきていた。

 それは一友人のままではなく、彼女の恋人になりたいという意味でもあった。

 僕は、思い立てばすぐに行動に移すタイプだ。

 それから数日後に、僕は彼女に告白をした。

 正直、振られると思っていた。

 確かに僕にとって彼女はサークル内ではよく話す人だったけど、一際美しい彼女に好意のある男性はサークル内でたくさんいた。大学内にも、彼女のことを好きな人はいる気さえしていた。

 僕なんかじゃ、キラキラと光り輝く彼女に釣り合わないのはわかっていた。

 それでも、どうしても気持ちを伝えたいと思ったのは、ただ夢を見ていたかったからかもしれない。彼女と話している時間はいつも夢の中にいるように心地いいから。

 それに、現実の世界は、僕にとって様々な理由からとても生きづらかった。

 彼女の返事は僕の予想とは逆で、彼女は悩むことなく僕の告白をオッケイしてくれた。

 それから、僕たちは付き合うこととなった。

 彼女は、サークル内でも僕との関係を隠すことなく、いやむしろ「この人が、私の彼氏なんだよー」と自慢するぐらいだった。

 彼女がなぜそんなことをするか僕には理解できなかった。

 彼女はやはり謎めいていた。

 今も、彼女が特別取り柄もなく、かっこいいわけでもない僕からの告白をなぜオッケイしてくれたのかわかっていない。

 でも、僕にはその理由を聞く勇気がなかった。

 それから社会人になった今も交際は順調に続いている。

 もう付き合って、六年以上が経つ。

 なぜか聞くことはいまだにできていないけど、僕たちは仲良くしている。

 今回居酒屋で待ち合わせしているのは、お互いに一番楽しめる店のスタイルだからだ。

 これまでさまざまなお店に二人でデートとして行った。

 その結果、二人にとって落ち着いて話しながら楽しめるのが「居酒屋」だった。

 神秘的な彼女が庶民的な雰囲気の感じがする居酒屋を好んだのが、すごく意外だった。

 そんなことを思い出していると、彼女がブルーのきれいなピアスを揺らしながらゆっくりとやってきた。

 今日は、今はやりの「ネオ大衆酒場」という形態の居酒屋に来た。

 僕はかなりミーハーなところがあり、はやりにはとりあえず乗っかりたいと思っている。

 ネオ大衆酒場とは、昔ながらの大衆酒場の雰囲気も残しながら、きれいで明るい店内が特徴的な居酒屋だ。

 実際、お店構えは店名の文字以外は白色だ。きれいでおしゃれな感じもする。僕たちのような若い人でも入りやすい感じの居酒屋なのだ。

 ちなみに、彼女が落ち着いているのは見た目だけでなく、『心』もそうだ。

 例えば、いつもお酒は自分の適量をしっかり弁えている。彼女がお酒に酔っているところを僕は一度も見たことがない。

 この日も、いつものように今日の嬉しかったことや今度のデートでどこに行きたいかなど様々な話を僕たちはした。

 特別何かが起きる感じは、全く感じられなかった。

 ただ違ったのは、彼女がいつもに比べて今日は少しハイペースでお酒を飲んでいたということだ。

「今日はペース早くない?」と僕は戯けて言うと、彼女は何も言わずじっと見つめてきた。

 彼女に見つめられて、僕の胸がドキッとした。

 その瞳に、僕は吸い込まれそうになった。

 その後、彼女は、「もうこんな人生嫌だ」と突然涙を一粒流した。

 「彼女は、涙まできれいだ」と僕はその場に合わない感情をまず抱いた。こんなに透明感のある涙を見たことない。

 でも、すぐに彼女の言葉の意味を理解し深刻さに気づいた。僕はなんて言葉をかけていいかわからなくて、その場で固まってしまった。

 彼女はさらに、「もう死んでしまいたい」とボソッと言って、そのままテーブルに顔をつけた。

 僕はなんとか体を動かして慌てて彼女の体を揺らしたけれど、一向に動く様子はない。

 どうやら寝てしまったようだ。

 いつもの手が届かないところにいる彼女は、今はどこにもいなかった。

 僕は彼女の言葉が気になったけど、まずは気持ちを切り替えてスマホを取り出しタクシーを呼んだ。

 タクシーはすぐに来た。

 運転手に彼女の住所を伝え、僕も一緒にタクシーに乗って行った。

 彼女の家に着くと、彼女を家まで運んでベットにゆっくりと寝かせた。

 彼女は涙を流し、あんな言葉を口にした。

 あれほどまでに美しい涙を流しながら、どうしてあんな言葉を彼女は言ったのだろう。

 僕は胸が苦しくなってきた。

 この苦しさは、何を意味しているのだろう。

 しばらく彼女のそばにいたけど起きる様子もないので、僕は電車に乗って帰って行ったのだった。

 

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