第34話 彷徨うサムライ その3

「わたしは八波京志と申す者。この連れは菊麻呂と申す」


 八波は足元で無邪気に尻尾を振っている犬を紹介した。

 檜山は悩んだ。ここで挨拶を返すということは人探しというのを手伝わされると言うことになるのではあるまいか。しかし、相手が挨拶をしているのに無視するというのも気が引ける。青年が腰に差している大刀も気になった。


 しばしの逡巡のあと、とりあえず挨拶をだけは返すことにした。


「僕は檜山進一郎。で、探しているっていうのは――」


 つい訊いてしまった。お人好しにも程がある。


「わたしの従者で善次郎と申す者なのだが――」

「善次郎さん?」


 思わず大きな声が出た。しかし八波は気にせず続ける。


「もういい年なのだが――」

「ガッチリした体格で――」

「身の丈はわたしより頭半分大きいだろうか――」

「で、こうヒゲがあって――」

「笑い方はわはははは、と豪快な……待て、そなたなぜ善次郎の姿かたちを知ってるのだ?」


 八波が驚いて訊く。


「知ってるもなにも、それ、川中島さんのことだよね」


 驚いているのは八波の方だけではない。偶然会った侍姿の青年の口から自分の知っている名前が出たということに、檜山の方も驚いていた。

 最初は怪しそうに見えた青年だが、急に親しみが湧いてきた。


 しかし、八波のほうはそうは思わなかったらしい。


「聞きもしないのに善次郎の姓まで知っておるとは……」


 檜山を見ていた目に鋭さが走る。パッと飛び下がると構えた刀の柄に手をかける。


「そなた一体何者だ! 四ツ戒堂の手の者か!」


 すらりと抜刀し、構えた刀身が冷たく光る。


「おわぁぁっ! ちがうって!」


 今度は檜山があわてて飛び下がった。持っていた百貨店の袋にもつれて尻もちをつきながら必死に弁解する。


「僕はここで偶然怪我をしていて動けなくなっていた善次郎さんを見つけただけだよ!」


 ちょっと嘘が混じっていたが今はそんなことを考えているときではない。何とかしなければ刀の錆にされかねないのだ。

 刀を構え、檜山を見据える眼光は揺るがない。


「嘘をつくならもっとマシな嘘をつくのだな。言うに事欠いて善次郎が怪我をして動けないなどと――」

「ホ、ホントだよ! 黒いマントを着た男が来て」


 一瞬、八波の目が見開かれた。


 黒マント――四ツ戒堂が来たということか――。


 八波は考える。

 ならば、善次郎が傷を負ったということもありえる話だ。それに目の前にいる男は四ツ戒堂の手の者にしては隙がありすぎる。それに白昼から堂々と姿を現すというのも、四ツ戒堂らしいやり方とは言えない。


「……善次郎は本当に手傷を負ったのか」

「ホントだよ、さっきからそう言ってるじゃないか! だいたい僕が嘘ついてどうするの。いいことなんか何にもないのに」


 それはそうかもしれない。


「それで善次郎はいまどこにいるのだ」

「ま、まずは、刀しまおうよ」

「おお、これはすまぬ」


 つい、無意識のうちに刀を突きつける格好になっていた八波は、くるりと刀身を半回転させ、ぱちりと鞘に収めた。


 檜山は体中から力が抜けていくのを感じた。

 とりあえずは一安心だ。できればしばらく休んでいたかったが、そうもいきそうにない。

 目の前では八波が善次郎はいまどこに、と騒いでいる。せっかく収めてくれた刀をもう一度出させたくはなかった。


 川中島といい、この八波といい、どうしてこの高元の屋敷あたりに来ると変わった人物と出会うのだろう。


 残っている力を振り絞って立ちあがる。体が重い。

 チラリと侍を見る。


 なんだかまたヘンな人が増えちゃったなあ……。

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