第2章 第7話


 ジェードは、その日、自宅に戻ると、いつも使っているナイフを取り出した。

 ジェードの自宅は廃屠畜場だ。肉が好きなので、自分で豚を手に入れ、解体して食べるのが楽しみである。床などはぼろぼろであるが、それでも住みよいと言える。何より、このナイフが似合う。

 ジェードのような犯罪者にしては珍しく、ジェードの持つナイフは、さほど刃渡りが長い訳では無い。本数も少ない。ボーカーのマグナムレインボウ1折り畳みナイフや、リトルバルピンクレインボーのナイフをいくつか持っている。いずれも色がピンクなのはただのオシャレ心。それだけだ。実際にトドメを刺す方法は殆ど銃だし。

 しかし、それでもナイフは手放せない。

 ナイフを使ってやるべきことがあるから――

 必ず相手の顔を傷付けなければならないから。

 自分が、そうされたように。

 逆に、絶対に死んではならない程度の傷しか与えない。簡単に死んでは復讐にならないから。

 ジェードは手の中で、ぎらぎらとピンク色に光るナイフを回した。


朝が来て、ジェードは再びスーツに着替え、仕入れた豚を捌いて血のついた手のまま焼いて食らい、それから呼び鈴に応じた。

出口のすぐそこに、ルチルが迎えに立っていた。

挨拶をしたが、当然のように何の返答も無い。

それでも何となく、ジェードは時々、ルチルに挨拶をしていた。一度も応答はない。

ルチルは耳も聞こえ、声も出ると言うが、本当だろうか。自分の意志だけで、こんな沈黙を、沈黙だけでなく表情も無い状態を保てるのは、素直に凄いと思った。

ルチルは身体を反転させて歩き出した。透けるような金の髪が揺れて陽光を反射した。


「お前は、どうしてウヴァロヴァイトさんの部下になったんだ?」


生徒の家まで行く途中、川を眺めて足を動かしながら、ジェードはちょっと問うてみた。


 ルチルに対しては、何度か、何故ウヴァロヴァイトに付き従うのかと、質問したこともある。

 返答は無いが、彼女にはもう帰る家がなさそうなところを見ると、ジェードのように家族を失ってしまったのかと想像できる。

 それならば、彼女にとってウヴァロヴァイトは何なのだろう。マンションが崩壊する際、顔を怪我してまで彼を守った動機は、想像もできなかった。


「この家の親は、子供を虐待しているうえ、家から出していないんじゃないかという話らしいな」


 ウヴァロヴァイトからもらった、これから向かう家の情報について、ルチルも当然知っている――もしかするとジェードより詳しいかもしれないので、少し話を振ってみる。


「そう言う親って言うのは俺のルールに反するんだよな」


 ルチルは顔色一つ変えなかった。だが、その何処も見ていないような目が一瞬、珍しくジェードを捉えた。

 まるで、「その発言は私怨ではないか」と訴えているようだ。

 それとも、ジェード自身がそう考えているのを、ルチルのがらんどうの目が映しているだけなのだろうか。



 その家は、流石に子供を有名学園に通わせるだけあって、ジェードがイメージしていたのとは全く違う、巨大な家だった。

 しかし、庭の植木は枯れ果て、とっくに砂と化している。車は高級そうでピカピカなのに、庭先には子供のおもちゃが砂で汚れて放置状態だ。妙な荒れ方は、家庭内のいびつさと直結する。

 呼び鈴を押す。当然のように無視される。先生だと分かってもらえていないんだろうか。いや、先生だと思われているからこそだろうか。

 しかし、粘る。

 鍵をこじ開けることはできなくはないが、何かと痕跡が残る。それなら、出来る限り自分で開けて貰う方がいいのだ。


「私が、うちの子に虐待だって?」


 眼鏡の厳格そうな父親らしき男が玄関先にやっと現れ、第一声。

 お子さんを出してくださいと要求のみ告げる。ジェードは教師では無いので、其処で証拠を並べる必要は皆無だ。

 ウヴァロヴァイトに言われたとおり、子供を教室に連れ出すこと。

 それが無理そうならまとめて始末する。

 簡単なお仕事を複雑にしないでほしい。この男に対する怒りはそれだった。


 ルチルが、泣き喚く子供たちに、つかつかと靴も脱がずに近寄って来て、そして髪を平然と掴んで、布の袋に放っていく。まさに、ライオンにやる餌を運ぶと言う所業だった。

 やっと二階から降りてきた、何だか疲れ果てた顔の母親のその痩せた喉に、ルチルはナタを振り被って下ろし、すっぱりと切ってしまった。

 父親よりは楽に死ねただろう。

 比較対象があれなので、何も幸せではないだろうが。

 さて、この成果は、ウヴァロヴァイトにどう認められるのだろうか。ジェードは淡々と、袋の中から漏れる断末魔を聴きながら、思っていた。


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