第26話

 その頃、ボウフラ以下のクソ野郎、そんな風に罵られているチャロアイトは、ジェードと二人で、フリースペースに向かっていた。

 廊下にも無駄な装飾は無いが、上等な石で造られた造りに、ここで戦闘が起きた時でも壊れないような工夫が感じられる。つまりこのマンションも、平和で無いことが前提なのだ。

 チャロアイトはジェードの背中に向かって言葉を投げた。


「僕は思うんだ。もっと皆が協力できるんじゃないかって」


 チャロアイトの言葉に、長い前髪の掛かっていない方の目だけ向けて振り返りながら、ジェードは一応、耳を傾けた。


「だって僕たちは同じ人間じゃないか。『人間』って生き物じゃないか。人間は皆友達だよ。姿かたちが違うだけで、中身は一緒だ。上下なんて無い。同じ内臓がついてて、抱き締めると、あったかい。なのに、何で命を奪い合う必要があるんだ? 他人も自分。同じ生き物ならそのはずだ。こんなに自分を殺す卑劣な生き物は他にいないよ。そう思わない?」


 自分を抱き締めながら、チャロアイトは演説を打つ。


「チャロアイト。おまえはそう思ってても、大概相手はそう思ってない」

「だから先ずは身近な同業者の認識を変えて行かなきゃ。僕はそう思ってやって来た……」


 チャロアイトはフリースペースのドアを見詰めた。


「やっとそれが実りそうなんだ。それが叶わなければ僕は――」


 ジェードは一応耳を傾けつつも、そんなことより何より、今、ウヴァロヴァイトにそろそろ報告すべき時である――だからフリースペースに来たのだが――と言うことと、何をどう報告すればよいかと言う二つで、頭がいっぱいだった。

 ドアを開けようと、ドアを押したチャロアイトの手が、がっ、と何かに引っかかって止まる。

 チャロアイトは、何度か、ドアを押す動作を繰り返し、最後に思い切り体当たり気味に押した。

 ドアが開き、ドアにつかえていたものを見やると、肩から先の人の手だった。

 死体を見慣れているジェードとチャロアイトも、思わず身を竦める。

 顔を上げると、フリースペースは血だらけ肉の破片だらけだった。血だまりが出来、その中央に置かれている何時ものテーブルに、何事もなかったかのようにウヴァロヴァイトと真珠、オパールと、長靴を履いた猫のような見慣れぬ男が座って美味しそうに食事を摂っている。


「ど……ど……っ」


 チャロアイトの声が漏れた。見ると、唇が震えていた。


「どういうことなんだ、これは」


「どう……どうなってるんですか、これは! クンツァイトさん!」


 チャロアイトの怒声に、クンツァイトと呼ばれた、長靴を履いた猫のような男が、真ん丸い目を此方に向けた。サーベルで赤身の刺身を刺して口に運んでいる。食べ辛そうだが満足そうな顔だ。

 しかし、長靴を履いた猫にしては、マントが返り血でべったり汚れていて、ファンシーな雰囲気が台無しだった。


「僕の友人をこんなにたくさん……僕の友人を殺してしまうなんて」


 この男がクンツァイトなのか、と、ジェードはより緊張感を持ち、背筋を伸ばす。別々の縄張りのトップが会食している、この場が、死神に近い場所だと分かっていなくてはならない。何時でも逃げ出せるようにしておかなければ。

 立ち向かって勝てない相手ではないのかもしれない。しかし、そんな低い可能性を選ぶより、思考停止で全力で逃げた方が効率的に助かるに決まっている。ジェードはヒーローでもアンチヒーローでも無く、ただの人間で、犯罪者だ。悪や理不尽に立ち向かう必要は皆無。逃げるが勝ち。

 だからこそ、チャロアイトのことは、つくづく馬鹿な正義感の持ち主だなぁと思った。何だか知らないが、そう言えば、クンツァイトとは知り合いと言っていたっけ――それにしたって、である。親しかろうが、それが何処のチームであろうと、リーダーに歯向かって得することなんて、ビーズ一個分も無いのに。


「ルチル」


 チャロアイトの言葉に対する反応を全く返さぬうちに、ウヴァロヴァイトが右手に持ったスプーンを挙げた。


「ここへ」


 ルチルが、命じられるがまま、艶やかな髪を揺らしながらウヴァロヴァイトの足元に傅いた。

 その額に、ウヴァロヴァイトが銃を押し付ける。

 着ぐるみを着て、どんな不正をしたのかと思えば、彼女に死が訪れるのは必然だ。


「やめて!」


 チャロアイトが止めに走った。


「ルチルさんは僕の友人なんだ。殺さないでよ。僕を守るために、不正を働こうとした彼女と戦おうとしてくれたんだ」


 手で指し示されたオパールは金切り声で叫ぶ。


「私の何が不正だ、脳味噌に蛆虫でも湧いてんのか! だいたい、私に一円の金も払ってねぇくせに、何の権限で私を罵ってんだよ! 偉そうな口叩くんだったら、くせぇアルマンディンに貸してやった金持って来いよ! てめぇより、未だ生ごみの方が使えるっつーの」


 しかし、チャロアイトとオパールのやり取りに、ウヴァロヴァイトとルチルが反応を示すことはなかった。二人には表情すら無い。ただ、沈黙のままに見詰め合っていた。

 二人の瞳の中に、御互いだけが映っている。

 その様子を、ジェードはまるで、美しい雄鳥と雌鳥の出会いの踊りのような、神聖なものとして眺めてしまった。

 何か二人の中だけで通じ合うものがあるのだろう。永遠に感じられる三分間の後、ウヴァロヴァイトは武器を下ろした。


「――ルチル。プリンを作って持って来い。この世の全ての食べ物の中で、一番アレが美味い」


 ルチルは瞬きをし、すっと厨房へ姿を消した。


 ウヴァロヴァイトは信じたのだ。

 彼女が、ウヴァロヴァイトのことを想って行動し続けていることを。

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