第一話 山野家の日常 一

 ここは東海地方の沿岸部。人口十万人に満たない中規模の街で暮らす一般的な三人家族の家だ。


父:山野ヤマノ浩介コウスケ(三十二歳)。製造業の会社員。毎日の晩酌を楽しみにしている。優しく明るい性格。独身の頃はゲームが趣味であったが、結婚後はテレビのチャンネル権を失いタブレットによる動画鑑賞が趣味となった。


母:山野ヤマノ愛華アイカ(三十一歳)。複合スーパーの食品惣菜部門でパート勤務をしている。明るく朗らかな性格だが時より男勝りな一面を見せる。韓流アイドルグループの熱烈なファン。「ジジョン」という名のメンバーを推している。


娘:山野ヤマノ陽葵ヒマリ(五歳)。幼稚園に通う明るく元気な女の子。絵を書く事が大好き。


 十一月下旬の午後三時。晩秋でも日差しが暖かく感じられる穏やかな午後……いつもの様にパート勤務を終えたアイカは職場からバスに乗ってヒマリを幼稚園へ迎えに行く。


「こんにちはーっ。ヒマリの母です」

「あっ、ヒマリちゃんのお母さん、こんにちは。今日もヒマリちゃんは元気でしたよ」


「サキ先生、こんにちは。ヒマリー、こっちよー!」

「ママーッ!」


 降園時間、幼稚園の入口でアイカがヒマリに手を振る。ヒマリはアイカに駆け寄って嬉しそうに手をつなぎ、先生と友達に元気良く挨拶をする。


「サキ先生さようならー! ユウト君、テルアキ君、ユナちゃん、ばいばーい! また明日ねー!」


「はーい。ヒマリちゃんはいつも元気に挨拶できて偉いわね。さようならっ。また明日ね」


「ヒマリちゃん、ばいばーい! また明日も遊ぼうねー」


 今日もヒマリは幼稚園で、優しいサキ先生、気の合う友達と共に楽しく過ごした様だ。アイカはその様子に満足げな笑みを浮かべ、いつもの帰り道をヒマリと手を繋いで一緒に歩く。


「ねぇヒマリ? 明日はヒマリの誕生日だね」

「うん! 明日からヒマリは五歳だよ!」


「良かったわね、ヒマリ。ちょっと早いけどおめでとう! ……ところで、誕生日プレゼントだけど本当に新しいクレヨンセットで良いの?」


「うん! ヒマリお絵かき大好きだから、新しいクレヨンセットが良いー! お色が沢山のやつー!」


「分かったわ。明日、ちゃんと用意するから楽しみにしててね」

「わーい! ママー、ありがとう!!」


(……嬉しそうな顔してくれちゃって。ほんとっ、可愛い子なんだから)


 ヒマリの笑顔がはじける。この笑顔がアイカを幸せにしてくれる。アイカは幸せと喜びに満たされながらヒマリと帰宅の歩を進める。毎日約十分。アイカにとって娘と一緒の時間を共有できるかけがえのないひと時だ。


――夜七時


 コウスケが帰宅する。


「ただいまー」

「おかえりー、あなた」

「パパ、おかえりーっ!」


 ヒマリはコウスケに駆け寄り笑顔でハグを求める。コウスケもそれに応えてヒマリを抱き上げ、ぐるぐると嬉しそうに身体を回転させる。


「転ばないように気をつけてよ、あなた」

「大丈夫だよ。それにしてもヒマリはいつも元気だなぁ」


「そーだよ! 今日も幼稚園でお勉強して、お絵かきして、皆と遊んだの!!」


「それは良かった。ところでヒマリ、明日のお誕生日プレゼント、クレヨンセットで良かったんだよな?」

「うん! ヒマリ、楽しみにしてるねーっ!」


 アイカは楽しそうな父娘のやり取りを横目で見ながら夕飯の準備を進める。


「ねぇ、あなた? 今夜は唐揚げとチャーハンで良い? スーパーで唐揚げを安く買えたから」


「ああ、もちろん。ママのスーパーで売ってる唐揚げは美味しいし、ママが作るチャーハンは絶品だからな。俺の好物!」

「ヒマリもママのチャーハン好きーっ!」


「オッケー。じゃあ一気に作るから、テーブルとお茶の用意お願いね」

「はーい!」


 アイカは飲み物等の用意をコウスケとヒマリに任せ調理に集中する。まずは中華鍋を火にかけて油を回し入れる。中華鍋を程よく熱したところで溶き卵を炒め、半熟で火が通った頃合いでそれを皿に移す。続いて中華鍋の汚れをさっと綺麗にし、もう一度油を回し入れてしばし待つ。そしてアイカは目を閉じ深呼吸して集中する……。


「よしっ!!」


 アイカは掛け声と共に素早く両手を動かし、最高火力で炙られる中華鍋と鉄製のお玉を力強く振り回す。


「おりゃぁぁーーーーっ!!」


ジャァー!! ガッガッガッ!


 叫び声とも感じられるアイカの気合いと共に中華鍋と鉄製のお玉がリズミカルな音を立て、パラパラの極上チャーハンが完成する。アイカがチャーハンを作る時は毎度の光景なのだが、その様子を見てヒマリとコウスケが小声で話す。


「ねぇ、パパ? ママはどうしてチャーハンを作る時はいつも怒ってるの?」


「いや、ヒマリ、あれはね。ママは怒ってるんじゃなくて、気合いを入れてるんだよ」

「気合い……って何?」


「うーん、気合いっていうのは、強い人に変身する感じかな。ママは昔からね、中華鍋と鉄のお玉を持つとパワーアップするんだよ」


「そうなの? ママは中華鍋と鉄のお玉でパワーアップするんだ? 正義のヒーローみたいっ。あはは、ママって面白いね」


 そんな父娘の会話を知る由もなくアイカはチャーハンを完成させ、今日も一家三人で食卓を囲む。


「ママー、今日も美味しいーっ!」

「うん、ママのチャーハンはいつも絶品だな。唐揚げも美味しい! あっ……こんな美味しいチャーハンと唐揚げが一緒ならビールがないとっ!」


 コウスケはそう言いながら、さも当然! ……と言う様に冷蔵庫に向かうがアイカはすました様子でコウスケに釘を刺す。


「あなた、お世辞を言ってもダメよ。ビールは週末だけの約束でしょ? ウチはお金が無いんだからっ! 平日は発泡酒一本!!」


「……はい」


 平日でも発泡酒ではなくビールを飲みたいコウスケがお世辞と共に発動した「ビール狙い作戦」はあっさりと撃沈する。今日も山野家の主権はアイカにある。


──そして夜は更けヒマリの就寝時間。


「ママー、絵本読んでー」

「ヒマリ、ごめんね。ママ、ちょっとまだやる事あるからパパにお願いして。あなた、良いかしら?」


「うん、了解。ヒマリ? パパは絵本読むの上手くないから、タブレットで動画の絵本でも良いかな?」


「うん、良いよー。いつもの観たーい。じゃあ、ママ……お休みなさい」

「はい、ヒマリ、お休みー」


 母娘のハグを終えコウスケとヒマリが寝室に向かう。本読みや子守唄が苦手なコウスケにも、動画があればヒマリを事も無げに寝かせられる。動画とは実に便利なツールである。


……毎日繰り返される温かく微笑ましい光景。これが山野家の日常だ。

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