第20話 迷宮遭難救助隊

 残照で西の空が赤く映え、宵闇がせまる頃、辺境冒険者組合の休憩室に光量を抑えた魔石燈が灯る。

 レイラは、窓辺に座り、愛剣を鞘から抜いて、白刃を見つめている。今は亡き西方公爵——実の父親——から与えられた宝剣。実父には特段の思い入れなど無いが、冒険者として、命を預けてきた愛剣には深い愛着を持っている。複数の神々による祝福が施された国宝級の逸品。この宝剣にだけは感謝している。


「ねぇ。ジェフ。ジェフってば」


 レイラが不機嫌そうに話しかける。


「どうかしたか?」


 冒険者組合の休憩室の寝台の上で仮眠を取ろうとしているジェフリーに、レイラが張り付いて、宝剣の不具合を訴えている。レイラもジェフリーに同行するのだから、深夜の出発に備えて彼女も仮眠を取るべきなのだが、それどころでは無いようだ。


「発動しないのだけど……」


「何が?」


光刃ルミナス レイザー。宝剣に纏わせることができない」


 神技と呼ばれる神々から与えられた人智を超える技能の一つ。レイラにとっては、幼い頃から使い慣れた神技であり、呼吸する様に意識することなく戦闘に用いていた。


 ジェフリーは目を瞑ったまま、身じろぎもせずに応える。


「三〇年の休止期間があるだろう。宝剣の祝福が失われているかもしれん。迷宮から引上げ後、よくある事だ。必要なら——」


「違う違う。宝剣の祝福は残ってるのッ!」


 レイラは被せるように訴えた。鍛え抜いた剣技も剣聖の武技——非接触型の強力な攻撃技——もまともに発動できる。だが善き神々の御技を剣に乗せることができない。


「レイラは神々碌で無しどもから解放されたからね」


 突然、耳元で声がした。全くの不意打ちである。声が聞こえた側から距離を取るべく斜め後方、窓側から身を翻し、飛び退きつつ、剣聖の武技を放つ。


 パリンッ!


 小気味の良い音を残して、レイラが放った武技が打ち消された。


 黒き妖精族ダークエルフの少女が、息遣いを感じ取れる程近くに、じわりと滲み出すように現れた。逆さまに浮いたまま薄笑いを浮かべて、レイラをじっと見つめていた。

 レイラの全身の筋肉がこわばる。剣の柄を握る手に力が入らない。拙い状態におちいっている。に対峙したように得体が知れない。見た目は黒き妖精種ダークエルフだが、絶対に違う何かだ、と直感が告げる。此奴こいつは、いつでも自分を殺すことができる、とレイラの本能が囁く。


「物騒な嬢ちゃんだな」と男の声。


 レイラはまたかと驚愕した。男の気配を感じ取ることができなかった。何処にいた。何処から入って来たのかと思考を巡らす。冴え無い小柄な中年男が、視界の端で、当惑した表情で自分を見つめている。この中年の男は間違いなく普通ではない。善き神々の力も悪き神々の力も感じない。魔力の流れが一切無い。ジェフリーやキースと同じだ。この辺境冒険者組合には、魔力を持たない冒険者が少なからず存在する。

 そこで気づく。ここは無慈悲な魔女の冒険者組合だ。一昨日、アデレイドは自身の二つ名にかけて、レイラを保護することを宣言したのだ。この冒険者組合にレイラに敵対する者など居るはずがない。だが剣聖としての力が無意識のうちに己の生命を守ろうと反応した。

 レイラがかなり切羽詰まった状況にいるにも拘らず、先程からジェフリーは無反応であった。そこに何も存在していないかのように、微動だにしない。まるで石棺の上に設られた戦士の彫像だ。

 僅か数秒のことが数時間に引き伸ばされたように感じていると、似たような状況を過去に体験したことを思い出した。高難易度迷宮の迷宮主が時々使ってくる空間隔離——時のはざま——による厄介な状態異常と同じであった。


「只の嬢ちゃんじゃない。剣姫レイラだよ。とても有名」


 空中に浮いたままの少女が中年の男に応える。そして猫の様な優しい笑みをレイラに向けた。


 レイラの全身の汗腺から汗が噴き出す。眼前の少女から目を離すことができない。名乗った覚えは無い。黒き妖精種ダークエルフの皮を被った何かは自分のことを悉知しているが、対する己は何も知らない。彼女の心中で警鐘が鳴り響く。


「いや、知らんけど……」と小柄な男が返事をする。


 視界に捉えているはずなのにこの男の存在感は乏しい。逆さまに浮いて、薄笑いを浮かべている少女の圧倒的な存在感に気圧されているせいかもしれない。


「ま、取り敢えず、は畳もうか?」


「ほーい」


 逆さまに浮いている少女が気の抜けたような返事をすると、休憩室は元の状態に戻った。直ぐにジェフリーが仮眠用の目隠しを外しながら尋ねた。「カネヒラか?」と。


「ジェフリーさん。D.E.ディーがお邪魔したようだな」と小柄な男が気まずそうに応えた。


 ジェフリーが体を起こし、ベッドの上で胡座をかく。


「構わんさ」


 D.E.ディーと呼ばれた少女は漂いながら、小柄な男の背後に身を引く。この全く冴えない男の首の辺りに抱き付き、頬を寄せながら満足げな顔でレイラを見ている。


「この娘はD.E.ディーだ。ドロシア=エレノアな。俺はカネヒラ。ジェフリーさんにはいつもお世話になっている。で、貴女あんたは新入りかい?」


 レイラは宝剣を鞘に納めた。カネヒラと名乗った男は、先ほどレイラが宝剣を振り回した暴挙を咎めない。それどころか、何事も無かったような態度で接してくることに、彼女は薄気味の悪さを感じていた。


「……」


 カネヒラの問い掛けにレイラは無言で頷くだけだ。


「そうだ。今夜が初仕事だ。ジェームスと奴の荷物を運ぶ。その護衛だ」とジェフリーがレイラの代わりに答えた。


「ジェームスに護衛?」とカネヒラが怪訝な表情を浮かべる。


組合長ギルマスからの指示だ。荷物の方が厄介な代物なのだろう」


「なるほどね……」


 カネヒラは考えを巡らす。ジェフリーとジェームスの二人組ならば、仮に敵が実力者揃いの三十一人衆——正教会の暗殺部隊——だとしても、襲撃を躊躇ためらうだろうと。だが、数で力押しされれば、少々手間取るかも知れない。であれば、面制圧が出来る中堅の術士を一人添えれば済む筈だ。そう結論に至る。では何故、この凄腕の二人に駆け出しの組合せなのかと訝しむ。腕っこきベテラン駆け出しヌーブの組合せは珍しく無い。経験を積ませるためだ。とは言え、不都合極まりない荷物の運搬を手伝わせることなど普通ではない。


「レイラは西方の城塞都市の。アビゲイルと同格」


 D.E.ディーがカネヒラの心中を読んで、呆れた様に半眼でカネヒラを見つめる。アビゲイルとは中央王国の第一王女のことである。


「あの第一王女様バケモノでも二五年だ。善き神々ってのは吝嗇で、滅多なことでは最高位の称号と神技発動の権能など渡さんぞ」


 この少女が剣聖アビゲイルに匹敵するという。胡乱な話だ。


「剣聖の武技を見たでしょ?」とD.E.ディーが不思議そうにカネヒラを見つめる。


 そう問われても、二人の動きが速過ぎて、カネヒラにはほとんど見えなかった。レイラとD.E.ディーとの間で何らかの遣り取りがあったと感じる程度だ。武技が使われたかどうかなど判らなかったし、瞬時にレイラの武技がD.E.ディーによって無力化されたことなど、カネヒラに判る筈もなかった。凡人には命の遣り取りにしか映らないことであっても、人外同士では軽い挨拶のつもりなのだろう。迷惑な話である。


「信じ難いのだが……」


 そう呟くとカネヒラは改めて剣聖アビゲイルのことを思い出す。


 アビゲイルは三歳の誕生日から剣の修行を始めて、毎日欠かさずに修練を続けて、八歳の頃には既に迷宮での実践を経験したと言われている。その天才が剣聖の域に達したのは、二八回目の誕生の儀の時であった。

 不世出の才人ですら四半世紀の時が必要だった。レイラはどう見ても成人したての十五歳くらいにしか見えない。しかし、剣聖アビゲイルを超えるような存在というのだ。魔女の娘であるD.E.ディーがそう言うのであれば間違いないだろう。

 カネヒラはまじまじと少女を見つめた。無遠慮な視線ではある。相棒のD.E.ディーに問答無用で剣聖クラスの武技を使う危険人物なら、警戒するに越したことはないし、その為であれば遠慮など無用であろう。


 奇妙な緊張感が休憩室に漂う中、キースが静かに扉を開けて入室してきた。


「あ、カネヒラ。いたいた」


 カネヒラはキースに視線を向けて、そこで初めて、レイラとキースが極めて似ていることに気が付く。レイラは前髪がさらっと流れる感じのポニーテルで、キースはゆるふわなショートボブ。印象がかなり違う。二人を間近に見比べれば、顔の形、鼻頭、瞳の色、目の大きさや眉の形、唇の形や艶色合い、其々がそっくりなことが明確に判る。


「えっ?」と驚くカネヒラ。不意を突かれた時の呆け顔だ。


「ん?何?どうかした?」とキース。


 キースに顔を向けたままで、レイラを指し示しながら「妹?」と尋ねると、カネヒラ以外の四人が同時にそれぞれに違うと否定した。


「お、おう……」とカネヒラが怯む。


「そんなことより、あと二刻したら領都に出発するからね」


「そんなコトって……ん、俺もか?何で?」


 カネヒラは要領を得ない様子だ。


一党パーティー組んだからね。許可書もってきたよ。ジェフリーさんもレイラも見て見て。名前は迷宮遭難救助隊サルベージャーズ」とキースは実に嬉しそうである。


「いや、ちょっと待ってや」


 カネヒラは慌てた。予告も無く、いきなりキースの一党パーティーに加入させられていたからだ。しかも一党パーティーの正式名称が、自分達を当擦る通り名——サルベージャーズ——など笑えない冗談だ。


「細かいことは道中説明するからね。さっさと自分の部屋に行ってやすやすむ」とキースは猫のように笑う。


「いや、これは細かい——」


「おーッ。やすみぞやすみぞ」


 カネヒラの発言を遮るように、D.E.ディーがご満悦とばかりに、右拳を突き上げながら、カネヒラをぐいぐい引っ張って、部屋から出ようとしている。


「引っ張るんじゃない。まだ寝ないぞ。俺は風呂に浸かりたいんだ」


転移門ゲート潜れば、浄化もできるぞッ」


 D.E.ディーはそう言って、瞬時に転移門を開き、彼女の自室へと繋げた。如何に優れた術者と雖も人間一人で転移門を開くことなど到底不可能。流石、魔女の娘である。だが同じ建屋の中で転移門を開くなど、大魔法の完全な無駄遣い以外の何物でも無い。


「ちょっとま——」


「諦観とは良い言葉だな〜ッ。ハハッ」と笑い声を残しつつ、カネヒラを引きずって、自室に移動した。


 レイラは、いきなり転移門が開かれたことに驚く。無詠唱であった。それどころか魔力の流入も収束も全く感じ取ることができなかった。


「相変わらず出鱈目だ」とジェフリー。


「まあ、D.E.ディーだし」とキース。


「転移門とか気軽にけられるものか?おかしいだろッ!」とキレ気味のレイラ。


「そのうち慣れるよ」とキースが見る者全てを虜にするような笑顔でレイラを宥める。


「お、おう……」とレイラはたじろぐ。


 その様子を見て、キースは少々残念に感じた。彼女がカネヒラに似た反応を見せたからだ。


「そうそう。アデレイドからの贈り物」


 気を取り直し、小脇に抱えていた布包みをレイラに手渡した。


「ありがとう…」


 その布包みを受け取った瞬間、レイラは自分の中に何かが流れ込んだような錯覚を覚え、ビクッと震えた。目を見開き、キースを見遣る。蕩けるような笑顔がそこにあるだけだ。害意は無い。


「開けてみて」とキース。


 レイラは、言われるがまま、紫紺の高価な布地に細かな刺繍がほどこされた包みを解いた。布包みの形から長剣の類であろうことは予測はついていたが、開けてみれば、得も言われぬ美しい濡羽色の長剣であった。

 柄頭には見事な飾り細工による魔法陣。また、鞘にも巧妙な透かし彫によって複数の魔法陣が刻み込まれている。誰もが一瞬にして魅了されるような芸術品だ。柄に手を添えると吸い付くように馴染む。剣を抜いてみれば、そこに闇が存在していた。レイラは、光を吸い込む漆黒の剣身に思わず息を飲む。


「レイラの宝剣の替わりね。アデレイドが言ってた」


 キース経由で贈られた長剣は迷宮が生み出した魔剣の類である。深淵の剣アビスソードと呼ばれていて、使い手を選ぶ曰く付きの剣——物の怪、所謂、付喪神——であり、過去三〇〇年みほとせ余り、只の一人も剣を鞘から抜くことを許さなかった。アデレイドはその事を敢えて伝えなかったのだが、このはレイラを必ず選ぶという確信があった。


「不思議だ。ずっと一緒にいたような気がする。何でだろう。ねぇ、ジェフ。何で?」


「……其奴そいつは、“底なし”と呼ばれている迷宮産の魔剣だ。深淵の剣アビスソード。迷宮帰還者なら不思議なことではない」


 ジェフリーは苦味を含んだような表情で答え、数拍の後に「二度と善き神々の存在を感じることはないだろう」と付け加えた。


「でも、今はアデレイドの庇護下だから安心して」


 キースが穏やかな笑顔でジェフリーの言葉を補った。


 レイラの方は驚くでもなく、淡々としているように見える。


「ああ、そうなんだね。うん。何となく感じてたよ」


 口ではそう言ったが、レイラは困惑している。確かに煉獄の門で魔物の氾濫に不意遭遇した時には、自分達を見捨てた善き神々を呪ったが、それでも気を失うまでは、神技は使えていたし、魔物と戦っている最中に善き神々の恩寵を感じていた。しかし、今は何も無い。神技が使えなくなったと自覚した瞬間の喪失感は口では言い表せない。「神技は使えない」と頭の中で繰り返されるたびに、自分の軀が虚無に散っていく光景を目の当たりにしている気分になる。

 レイラが依るべきは、己の努力で得た剣姫としての力と技であり、善き神々の加護を得た冒険者としての自分自身だけであった。伯爵家で育てられたとはいえ、邪魔者でしかなかった。冒険者になる前は常に孤独で、満たされることは無かった。だが冒険者となり、信頼できる仲間や名声を得ることができた。冒険者としてのレイラは常に神々の慈愛に満たされていた。

 そして、今、迷宮から掬い上げられた後、冒険者として築き上げてきたものが、煉獄の門という迷宮に飲み込まれた時に全て失われた、ということをレイラは改めて思い知る。レイラは意気消沈してしまい、その美しい顔から表情が抜け落ちた。


 ——深淵アビスの影響だね。馴れるまでは気が滅入るんだ。


 キース自身も善き神々との決別を経験してはいるが、神技が与えられる程の特別扱いは受けていなかったこともあって、レイラの喪失感がどれほど大きなものなのか、想像することはできない。虚無に囚われて感情を全て失ったようなレイラの表情を見ているのは辛い。

 目配せでジェフリーの行動を促したが、女性の機微に対する彼の鈍感さは相変わらずであった。目配せだけで察知して、女性を優しく包むように振る舞うことなど出来る筈もなかった。

 キースは珍しく苛立った。役割が違うだろうと思いながら仕方がなくレイラを抱きしめる。こういう時は、人の温もりが必要なのだと、無貌の修道女から学んでいた。


「今だけだからね。少しだけ我慢かな。レイラは何も変わっていないし、レイラの強さはレイラのものだから善き神々碌でなしどもが奪うことはできない」


 キースは、レイラには優しく語りかけながら、少し顰めた面差しをジェフリーに向けて彼をたじろがせた。


「ああ……」と合点が言ったようにジェフリーは申し訳ないという表情を見せる。


 キースは、全く残念だと思うものの、不器用な彼には彼なりの良さがある。レイラを前にすると、依然として成人になりたての頃の朴訥とした駆け出し冒険者に戻ってしまうのかもしれない。


「レイラも僕たちと同じだからね」


 キースはレイラの頭を優しく撫でる。


ってこと?」


 レイラは上目遣いでキースを見上げる。


「どうだろう……よくわからない。魔女の娘の庇護下だから、そうとも言えるかな?」


 ——やはり可愛いい。妹がいればこんな感じなのかな。


「まあ、その辺は、僕よりもジェフリーさんの方がから、出発までにじっくり二人で話をしてよ」


 そう言って、キースはレイラとジェフリーを残して休憩室を後にした。


 静かに扉を閉めると、不意にため息が漏れた。ドアノブに掛かっている札を裏返して、就寝中を表示させる。


「世話が焼けるね……」

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