すれ違う私と犬っぽいもの


は完全にこっちを見てる。

…とは言っても、じっと見てるというわけじゃない。


ヴォン…、ヴォン…、という音を発しながら※私の脳内で、だ、冷たく光る赤い目はゆらゆらと左右に揺らめいている。

確実に私の方を向いてはいるけれど、それでもロックオンされているというわけではなさそうな感じ。

狩りをする動物というものは、獲物に襲いかかる前に対象をじっと凝視する。

目を離すことなんてないはずだ。

少なくとも実家の飼い猫で猫釣り遊びしてる時はそうだ。


――やばいけど…、これはセーフかもしれない…


楽観的に考えると、おそらく自分にとってプラスにはならない変な存在が目の前にいることは確かだけれども、むこうはこっちにあまり興味がないような気がする。

うちの実家の猫も気分が乗らない時?とか、猫釣りしても全く反応しない時あるし。

相手は見るからにサバイバルホラー系のアニメやゲームで人を襲いそうな見た目をしているけれど、こっちが行動しなければ敵と認識しないタイプなのかもしれない。

なんだっけ?ノンアクティブのエネミー?だっけ?

まあ、わかんないけれど呼び方なんてどうだっていい。


こういうときに重要なのは動かないことなのだ。

『路傍の石の精神』だ。

クマは背中を向けると追っかけてくるっていうし、T-REX大きい恐竜に襲われた恐竜博士も動かないことで難を逃れていたし、どんな生き物も視界の中で不意に動くものがあればそこに意識を向けるのが理なのだ。

『動くもの』は自分の命をつなぐ『糧』かも知れないし、逆に命をおびやかす『敵』なのかも知れないからだ。

目の前のもたぶん、生き物なんだろうからそこは同じなはず。

っていうか、動こうとしたってたぶん動けないからどうしようもないのでは?

どうなんだろう?無理にでも逃げた方がいいのかな?


ヴォン…


得意の汗笑顔でそんなことを考えていたら、どろどろ黒犬はゆっくりとこっちに体を向けて歩き始めた。

一国一城を争う事態、もう迷っている暇はありません!


――えいやっ!


心の中に鋭い気合を響かせ、私は眉間にしわをよせて石化した。


ヴォン…


依然変わりなく、目をゆらゆらさせながら、ゆらゆらとこっちに近づいてくる。

街灯の効果範囲の中心へと近づいた犬の全体像が、ようやくしっかりよく見える。


――うわわあ。うわわわわ。


犬っぽい、と言ってきたが、これやっぱり犬じゃない。

すごくわかりやすく一言で表すと『』だ。

スライムというのは、まあわかんない人はいないと思うけれどゲームとかによく出てくるどろどろした不定形の生き物だ。

今でこそ、冒険の序盤で遭遇する最弱クラスの敵として認識されていることがほとんどだけれど、古典ファンタジーでは物理的な力の干渉に強かったり、体全体で消化するとか設定されてて触ると溶かされちゃうとか色々あって手強い敵という認識だったらしい。教養科目の講義で先生が言ってた。

そんなの今関係ないが。

とにかく、目の前の犬スライムは私が知ってる生き物じゃないことは確かだ。


ヴォン…、ヴォン…


犬スライムと私の距離がどんどん縮まっていく。

見る限り、先方に敵意はないようだ。

私のことを障害物か何かだと認識しているのか、軌道がもう真っ直ぐ私とぶつかる

コースではなくて、すれ違うためのそれだ。


――このままなら、いける…。私助かる。


手を伸ばせば触れる距離。

下げ気味の頭が私の腰のあたりにある。

私はだいたい平均的女子身長160cmあるかないかなんでそんなにおっきくないが、この犬スライムは犬としたらかなりおっきい。

っていうかどろどろどろどろ言ってたけど、これじゃなくてだな。

色の濃いコンニャクみたい。

犬コンニャク。


ヴォン…

――うっ。


犬スライムが冷たくて赤い目をじっとこっちに向けて止めた。

これは私の顔を、目を見てる。

心の中でコンニャク呼ばわりしたのが気に入らなかった?

スライムとコンニャク、どっちが上か下かなんて知らないよ!


犬スライムに汗笑顔。

握りしめた手が、急速にぬるぬるしてくるのがわかる。

…視線を交わすことたぶん1~2秒。


ヴォン…


赤い目が私の目から離れた。


――ふぅ…


どっと脂汗、じゃなくて冷や汗が吹き出


「オイ大丈夫か!!!!!!」

「お客さんから離れろ犬コラァ!!!!!」


ゼロ距離で並んでる私と犬スライムに向かって威勢のいい怒鳴り声×2があがる。

なんか聞き覚えのある声なんですけど…?

振り返って犬スライムと一緒に声の方に目を向けると、そこにいたのは喫茶三日月クレッセントムーンにいた変なおじさんと喫茶三日月の店長。なんで?店長おじさんからお金もらえたのかな?っていうか二人は肩組んでる。なんで?


「オイ姉ちゃんこっちこい早くオイ!!!!!」

「離れろって言ってるのがわからねえのかコラァ!!!!」


なんか変なおじさん、さっき店での様子と打って変わってバリバリだな…。

店長も『コラァ!!!!』とかすごいな。


――え…?


よく見ると、二人とも片手におっきなビールの缶を持ってる。

えっ?酔っ払ってんのか?

えっ?まじで?さっきお店で素面だった時から多めに見積もって15分くらいしか経ってないだろ!!!!!


呆れ青ざめ汗笑顔の私とスライヌに、さらなる怒鳴り声が浴びせられる。


「オイ!あぶないオイ!!!!」

「おめえも聞こえねえのか犬コラァ!!!!」


笑えない!

今ようやくスライヌとすれ違う危険なミッション達成しかけたところだっていうのに、酔っ払いのおっさん二人にミッション失敗させられるなんてたまらないありえないよ!!!!

いたいけな少女が得体の知れないものに絡まれてるのを見て助けようとするのは立派だとは思うけど、それアルコールの力を借りてのことだから!!!!別に立派なことじゃないからね!!!!

っていうか、平穏無事に収まりそうだったんだから、見ただけじゃわからないかも知れないけどそのくらいのことは察してもらえないと困ります!!!!


「うるさい!!!!静かにしてください!!!!」


「ヒッ…」

「す、すんません…」


大声で怒鳴る酔っ払いのおっさん二人に負けないくらいの大声で怒鳴り返す私。

たぶん、今までの人生で一番怖い顔してるなう。ふはは怖かろう。


ヴォン…


あれっ。びっくりさせちゃったかな?

スライヌの赤い目が、また私の方に向いた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る