Lesson4

 そんなこんなで帰宅し、美咲と別れた。

 玄関のドアをあけて家の中に入ると台所から包丁とまな板が立てる音やテレビの音が一気に押し寄せてくる。

 先程までの澄んだような冬の空気に比べて緩やかで温かさのある家の空気感に肩の力を抜きながらリビングへと進んだ。


 誰に見られることも無く空虚に流れ続けているテレビ、料理をしている母。リビングへと続く扉を開ければ「おかえり」と声を掛けられ、反射のように「ただいま」と返す。

 手元ではトントンと軽やかな音を立てて野菜を切っている。

 

 荷物を自室に持っていこうと階段に足を掛ければ背中から声がかかる。

「お風呂入れておいたから先入ってくれば?」

 振り向くと母は下を向いたまま。こちらを見ずに行って来たらしい。別段珍しい物でもないが何だか釈然としない気持ちで階段を駆け上がった。

 家にいるはずなのにどこか居心地が悪い。朝は何も思わなかったのに、学校から帰るとよくこんな気分になった。


 不貞腐れたようなポーズをとったものの、別に提案を突っぱねる理由もないため荷物を置くとすぐに浴室へと向かった。


 冷たい外気に震えながら浴場に入り、シャワーを捻る。徐々に温かくなった水を体にかけ、ぼんやりとシャンプーを手に出した。


 寒い季節とはいえしっかりと運動したら汗をかく。若干ベたついていた髪の毛からは次第に甘い匂いが漂ってくる。


 シャンプー、リンス、洗顔を済ませて湯船につかる。

 口元が埋まるくらいまでに体を沈めて足を延ばす。体の芯から温まっていく感覚に目を細めた。


 ぼんやりと一日のことを思い起こし、いわゆる一人反省会を始める。


 朝…はいつも通り。紗月に起こされて、母に小言を言われながらバタバタと支度をして出ていく。よくないとは分かりつつ、何年も続けばこれが普通だ。

 ただ、遅刻ギリギリだったのはいただけない。そのせいで課題も結局出せなかったのだから。

 

 昼は用反省かもしれない。美咲の元に行こうとしたら、優等生の彼女が先に他の生徒と話していた。そこに分かりやすく動揺して、気を遣わせてしまった。


 美咲に迷惑をかけているのは至極今更のことではあるが、やはりああいう風に分かりやすくアクションを起こされるとはやり申し訳なさが先行する。


 でも。

 でも、だ。


 美咲と優等生の子の二人、楽しそうじゃなかった?と疑問が頭を過った。笑顔でニコニコと話していた。何の話をしているのかはよくわからなかったが、お互いに楽しそうだったのは印象的だ。


 そこの二人を強引に断ち切ってしまったのは他でもない紗月自身。今日のあれがあればきっと彼女は今後必要のない場面で美咲に話しかけることは減るだろう。


 意図的にそうしたわけでは勿論ないが、結果的に美咲の人間関係を潰してしまったことに罪悪感が湧いてくる。


 紗月には昔から、『美咲の一番の友達は私である』という自負がある。これといって取り柄が無い方だとは分かっていたが、それだけは誰にも負けない自信があった。

 今日、ああしてモヤモヤしてしまったのはそれが揺らいでしまったからなのではないだろうか。

 「隣にふさわしいのは私」という自負が土台からぐらついたような感覚。

 

 確かに今日の優等生の彼女は、話が合っていて、お互いに笑顔だった。

 しかし、こう言っては何だが美咲と彼女では到底釣り合っているようには見えなかった。


 美咲は元の素材も、当人の女子力もどちらもパーフェクトな美少女と分類される外見の持ち主。それでいて運動も勉強も人並み以上。勉強に関しては学年上位争いの常連とくる。それでいて部活では楽器も吹く。何をやらせても完璧にこなす「天が二物を与えちゃった」パターンだ。


 一方の今日の優等生は、頭の良さは折り紙付きだが運動はそこまで得意ではない様子を見せているし、外見に関しては無頓着。磨けば光るのかもしれないが磨いていないのは元が悪いのと同義だ。あまり積極的にクラスメートと会話しているところも見なく、引っ込み思案な様子も見られる。


 紗月の立場で言うことじゃないのも百も承知だが、彼女では紗月に釣り合っているとは思えない。


 と失礼極まりない結論を下してずるい方法で自分の自信を回復させようとした。しかし、そこで一つ新たな人物が浮上してきてしまう。


 美咲の口から二番目に多く名前が登場する、「葉月先輩」。


 何度か目にしたことがあるが、かわいらしい顔立ちをしている。勿論吹奏楽の腕前もピカイチ。体育祭でリレーのアンカーを務めている姿、生徒会長として様々な機会に壇上に上がっていた姿が運動神経、人望を表していた。

 彼女もいわゆる「天が二物を与えちゃった」人。


 ここまで考えてしまうと、嫌でも一つの結論に行きつく。

 先輩に失礼なのは百も承知だが、美咲に釣り合う数少ない人種だ、ということに。


 二人は並んだら方向性の違う美人だから確実に絵になる。

 本人が拒否して無くなったが、一時期は美咲を生徒会長にという声も少なくなかった。新旧生徒会長、という並びになったかもしれない。

 来年は部長になるかも、なんてことを言っていた。新旧吹奏楽部部長、という並びになるかもしれない。


 それに比べて私は?


 体が温まりすぎたのか、心拍数が早くなり血液の巡りが早くなる感覚を皮膚のすぐ真下で感じた。

 しかしそれにもお構いなしで、目を背けたい事実を追求し続ける。


 

 こうして上から目線で人を批評している紗月自身は、この三人で一番紗月に釣り合っていないという事実を自覚せざるを得なかった。


 元の素材にしても外見を良くするために必要不可欠な努力にしても総スルー、運動はそこそこ、勉強はテスト直前に美咲に詰め込んでもらって何とか形になっている。人間関係も基本的に部員と美咲だけで完結している限りなく狭い物。

 

 一つ一つ観点ごとに自己評価をしていくと自分がいかにろくでもない人間かと思い知らされる。これで「美咲の一番」だなんて言っているんだから滑稽にも思えてきた。


 ぐるぐると自己嫌悪に陥りそうになったところで、水分不足で頭が痛みを訴え始める。

 これ以上は危険だと本能的に察して風呂から上がり、部屋着を身に着けるのだった。


 その後夕飯を食べていても携帯をいじっていても寝る前になっても気付いてしまった事実がずしりと重く胸に伸し掛かり、紗月から気力を奪い去っていく。


 まとまりのない思考回路の中、自分が腐って行っているという事実だけははっきりと認知しながら無為な時間を暫く過ごした。


 そうした中で、一つ思いついた。思いついてしまえばそれはとてもシンプルなもの。ただ、それを実際に出来るかと言えば難しいかもしれない。

 でも、葉月先輩より…というのはまだ難しいかもしれないが、同等に美咲と並んでも見劣りしないようになるためには出来ることはこれくらいしか思いつけなかった。



 明日から生まれ変わろう、という意志を固めてベッドの中に潜る。

 意識が沈む直前、

「自分磨き、頑張ってやろうじゃん…。」

 と言葉を残して、翌朝を迎えようとするのだった。


 




 







 

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