第17話:臥竜天衝

 突然の牙門の提案に、影虎は眉をひそめた。

「賭けだと?」

 この期に及んで、まだなにか企んでいるのだろうか。牙門に散々裏切られてきた影虎はそう警戒せざるを得ない。家臣たちも同様であった。

「影虎様。耳を貸してはなりません。今日の禍も牙門の口車に乗ったがためであること、ゆめゆめお忘れなく」

「失せろ下郎。私は影虎と話している」

 口を挟んだ紋舞蘭を、牙門が鋭く睨みつける。

 それから影虎に向き直り、話を続ける。

「影虎。今置かれた状況をよく考えてみろ。貴様がここで私を殺したとして、それですべて丸く収まると思うか? 皇国軍はもう伊勢領内に侵入していて、数日のうちにここへやって来る。このままでは共倒れするだけだ」

「……なにが言いたい? 命乞いなら聞かねぇぞ」

「だから賭けだと言っている」

 嫌に自信ありげな笑みを、牙門は浮かべた。

「貴様とこの私で、一騎討ちをしよう」

「!」

「貴様が勝てば伊勢志摩のすべてをくれてやる。それでこの戦は完全に決着がつく。私の家臣や兵も丸ごと取り込むことができれば、皇国軍に対抗できないこともあるまい」

 それから牙門は、未練がましげに顔を歪め、

「私が勝っても、どうせ貴様の部下が私を生かしてはおかないだろう。その時は冥土の土産に貴様の首だけでももらっていく」

「………」

「どう転んでも私は死ぬから約束を違えることはない。証人はこの場にいる私の家臣にでもやらせればいい。どうだ? この賭けに乗る気はあるか?」

 影虎はしばし黙考してから答えた。

「いいぜ。その挑戦、受けてやる」

「影虎様!」

 諫めるように、紋舞蘭が声を上げる。

「そのようなこと、牙門を討ったあとで降伏を呼びかければ済む話です。御身を危険に晒してまですることではありません!」

「そうかもな。下っ端共があいつの遺言通りにするとは限らねぇし、やるだけ無駄かもしれねぇ」影虎はなぜだか笑っていた。「だがこのままじゃ、奴の言った通り皇国に蹂躙されるだけだ。少しでもマシになる可能性があるなら、オレはやるぜ」

 物憂げに口をつぐむ蘭に、影虎はさらに言って聞かせた。

「心配するな。万全な状態とは言い難いが、あんな奴には負けねぇよ」

「……分かりました。ご武運を」

 蘭は不承不承といった様子だったが、大人しく引き下がった。

 前に進み出た影虎を見て、牙門は満足げに笑った。

「貴様なら受けるだろうと思っていたぞ」

「オレは意外だったぜ」と、影虎。「てめぇのことだから、てっきり髪振り乱して泣き喚きながら命乞いするもんだと思ってたんだがな」

「ふざけるな。貴様のような下賤な者に命乞いなどするものか」

「……上等だ。それでいい。命乞いでもされた日にゃ、気持ち悪くて夜も眠れなくなってたところだ。もうみっともない真似はしてくれるなよ。最期くらい潔く散れ」

 言うなり、影虎は刀を下段に構えた。刀を握る手が地面に着くほどの超下段の構えである。その様、虎視眈々と獲物を狙う四足獣のよう――

 対する牙門は姿勢高く大上段に構える。その様、天空から俗世を見下ろす鳥のよう――

「来い影虎。天賦の剣というものを見せてやる」

 静寂の後、どちらが先に仕掛けたのか、両者の刀は激しくぶつかり合っていた。


 照雲との死闘を終えた影狼が主戦場に戻って来た時、一騎討ちはまだ続いていた。

 遠巻きに一騎討ちの成り行きを見守っていた万次郎が、その姿に気付く。

「若様、よくぞご無事で!」

「万次郎、その怪我……」

「ご心配なく。これしきの傷にはもう慣れております」

 血に染まった脇腹を軽く押さえながらも、万次郎は苦しい顔一つせず笑ってみせた。

 それから二人は、一騎討ちを繰り広げる影虎と牙門の方へ目を向けた。

「これは一体、なにが起きてるの?」

「影虎様が、牙門からの一騎討ちの申し出に応じたようです」

「どうして……!? もうそんなことする必要ないのに」

「影虎様の真意は分かりません」万次郎はそう断ってから、「こだわりの強いお方ですから、これは自らの手でこの復讐劇に幕を下ろしたいという、影虎様なりのけじめなのかもしれません」

 不安げに父の一騎討ちを見守る影狼に、万次郎はまた優しく語りかけた。

「父君をお信じください、若様。我々はもう、復讐がすべてではありません。影虎様もここで命を捨てる気はないはずです。それに、影虎様の強さはこの私と蘭がよく存じ上げております」


 影虎と牙門の決闘は、神兵との戦いで消耗していた影虎の劣勢で始まった。

 地を這うような構えの影虎に対し、牙門は多方向から突きと斬撃を浴びせまくる。

「クハハハ! 先程までの威勢はどうした影虎!? 腰が引けてるぞ!」

「チッ……るせぇよ。腰が浮いてんだよ、てめぇはな!」

 怒号とともに影虎もやり返すが、牙門はすでに間合いの外。影虎の反撃が空を切ったところに、また返す刀での斬撃が襲い来る。そんな攻防が、しばし続いた。

 長刀による間合いの利、長身と大上段の構えによる高所の利を頼みに、牙門はまるで土竜叩きでもするかのように影虎の反撃を潰していった。

「なるほどな……分かってきたぞ貴様の剣が。その奇妙な構え……敵に頭上を見下ろされる分、一見不利に見えるが、こちらが前のめりになって攻め掛かれば足元から崩されるというわけか。足元は意外に守り難いからな」

 勝ち誇ったように、牙門は笑う。

「だが私にそのような搦手は通じない。我が剣技――鶴首返つるくびがえしは間合いの外からの一太刀と、返す刀でのもう一太刀からなる二段構え。攻守ともに隙はない。私から見れば、貴様は地を這う惨めな虫けらも同然だ」

 影虎の頬を一筋の血が流れ落ちた。

 攻撃後の一瞬の隙を突いて反撃するつもりが、返す一刀で斬られたものだった。

 ―――気に食わねぇが、剣の腕だけは確かだな……

 影虎も認めざるを得なかった。前日、鉄壁の守備力を誇る紋舞蘭に傷を負わせたのもまぐれではなかったらしい。伊勢随一の剣豪を自負しただけのことはある。

 だがそれよりも、影虎には腑に落ちないことがあった。

 ―――なんでこいつ……こんなに笑ってんだ……?

 たとえこの決闘に勝ったとしても、牙門を待ち受ける運命は残酷なものだ。それなのに、影虎と刃を交えるたびに、牙門は心底嬉しそうな表情を浮かべるのだ。

 絶望のあまりに狂したか、あるいは――

「それほど嬉しいか? このオレと戦うことが」

「ああ」と、牙門。「ずっと前から、貴様のことが目障りだった! 貴様のすべてを、この手で叩き壊してやりたかった……!」

「!?」

 打って変わって、禍々しい殺気が牙門の全身から溢れ出る。

 なぜこれほどまでに牙門が自分に執着するのか、影虎には分からなかった。なにせ、二人が顔を合わせたのはつい先日対陣した時が初めてなのだ。

 影虎は知る由もなかったが、牙門を突き動かすのは、若き日の苦い記憶であった。


 牙門家は皇帝一族の遠縁にあたる名門で、皇帝の祖を祀る天照大神宮の祭主を歴任してきた。

 祭主の独り子として生まれた松蔭もまた、その跡を継ぐことを期待されていた。

 だが時代は殲鬼隊の最盛期。男児に生まれた者であれば、誰もが一度は殲鬼隊に入隊して天下に武名を轟かせることを夢見た時代である。

 松蔭もまた例外ではなく、幼少期から武芸に優れた才覚を示していた彼は、神に仕える者として生きることよりも、武人として生きることを望んだ。

 実力は十分に備えているはずだった。ところが父は、松蔭が殲鬼隊員になることをよしとしなかった。

「なぜですか!? 私の力は父上も認めておられたではないですか!」

 そう詰め寄る松蔭に、父はただ首を横に振るだけだった。

「それとこれとは別だ。自分の立場をわきまえろ。お前にもしものことがあれば、誰が私の跡を継ぐ?」

「そんなもの、養子を迎えれば済む話でしょう!?」

「馬鹿者。純粋な神の血統があってこそ、我が一族は特別たり得るのだ。そこらの大名とはわけが違う」

 隣国、九鬼家の影虎が殲鬼隊入りしたことが松蔭の耳に入ったのは、それから間もなくのことであった。

 同じ跡取りという立場の者が、自分がどれだけ欲しても叶わなかった栄誉をいとも容易く手に入れたことに、松蔭は憤慨した。

 影虎の殲鬼隊での活躍は、嫌でも耳に入った。

 その度に、松蔭は嫉妬と憎しみの感情を募らせていったのだった。


「海賊風情の下賤な家柄で、才能も劣るくせに、世間は貴様ばかりをやたらともてはやす! この私を差し置いて……っ! だからここで証明してやるのだ! 貴様など、この私の足元にも及ばぬ取るに足らぬ男だということをな!」

 怒りを地面に叩きつけるかのように、牙門は大上段から刀を振り下ろす。そして返す刀での一太刀。

 牙門の得意とする鶴首返しは、虎切とらきりという異名を持つ。牙門の斬撃は、その名に違わぬ鋭さであったが――

「なっ……!?」

 二刀目を振り切った時、首筋から血を流していたのは牙門であった。

「知るかよ、そんなこと」心底うんざりした様子で、影虎は言った。「てめぇがどんな理由でオレに挑んできたのか、少し興味はあったが、くだらねぇ」

「なんだと!?」

「剣の才能はあったんだろうが、そんなガキみてぇな理由で剣振ってるうちは、てめぇはオレには勝てねぇよ」

「ほざけ! されているのは貴様の方だろうが!」

 勝てぬと言われて激昂した牙門は、鶴首返しを連続で繰り出す。

 たった今斬られたことすら忘れたのか、あるいはそれをまぐれ当たりだと思ったのか、あまりにも軽はずみな攻撃であった。影虎は後退しつつもすべて受け切り、前進してきた牙門に一閃。牙門の太腿から血が滲み出る。

「そんな前のめりになってると足掬われるぜ。自分で言わなかったか?」

「ぐっ……!」

 痛みと屈辱で顔を歪める牙門。

 影虎は刀に付いた血を払い、再び地を這うような超下段の構えを取る。

臥竜嘗胆がりゅうしょうたん』――敵の勢いをいなして反撃に繋げる攻撃的防御の構えである。

「勢い付いてる時ほど、ちょいと足を引っ掛けてやるだけで豪快にすっ転ぶものさ。オレの臥竜がりゅう剣術はその隙を見逃さねぇ。特にてめぇみてぇな自分の剣に酔いしれてる奴はいいだ」

 牙門もその狙いには気付いていたはずだったが、まんまと乗せられてしまった。

 ここへ来て牙門の驕りは消えた。

「少しおふざけが過ぎたようだな……ここからは本気でいく」

 そう言って、影虎から半歩退く。

 依然として、間合いは長刀を振るう牙門が有利。先程はつい熱くなり影虎の間合いに入ってしまったが、落ち着いて己の領分を守れば勝てると考えたのだ。

「来いよ。こっちもとっておきを見せてやる」

 影虎が挑発するように指先で呼び込む。

 牙門は眉根を寄せたが、すぐに口元に笑みを浮かべ、突進した。

 そして間合いすれすれのところで、大上段から長刀を縦一文字に振り下ろす。

 影虎が軽く身を引いてかわすと、牙門はさらに踏み込んで返す刀で斬りつける。だがこの二刀目も空を切った。影虎は回避した勢いそのままに、牙門の側面に回り込む動きを見せた。

 ―――掛かった……!

 ほくそ笑んだのは、牙門だった。

 牙門の秘剣・鶴首返しは二段構えの剣技。一太刀目の空振りを突いて反撃しようものなら、返す刀での二太刀目で斬り裂かれるだろう。この二連撃は高速で、二太刀目が来る前に間合いを詰めて牙門を斬るのは至難の技である。影虎にも牙門の長刀があれば話は別だが――

 だから影虎は、二連撃を撃ち終えたところを狙う――牙門はそう読んだのだった。

 ―――私の鶴首返しが二段で終わりだと思ったのが貴様の運の尽きだ!

 読みが的中したと見るや、牙門は地を蹴り、影虎が回り込むのと反対方向に跳躍した。そこから牙門はまた刀を返し、鶴首返しの三太刀目を繰り出した。

「影虎ァアアア!」

 勝利を確信し、愉悦に満ちた顔で絶叫する牙門。

 だが――

「ガッ……!?」

 次の瞬間には、牙門はほとんど声を出すこともできなくなっていた。

 その喉元を、影虎の刀が貫いていたのだった。

「遅ぇよ」

「……っ!」

 なぜ――とでも問うかのように、牙門の目が大きく見開かれる。

 間合いは十分。影虎の刀が届かず、長刀が届くぎりぎりの距離を保っていた。

 剣速も十分。最初の二連撃ほどではないが、跳び退きながらの一刀は間合いを詰める暇を敵に与えなかったはずだ。だが影虎の刀は喉元に届いたどころか、刀身の中ほどまで深々と突き刺さっていた。

 牙門は見落としていたが、影虎の臥竜剣術はただ足元から崩すだけの剣術ではない。

 いざとなれば四肢で地を蹴ることで、驚異的な初速を生み出すこともできた。そして反撃時には地に伏せた体を伸び上がらせることで、敵の予測を超える速さで懐に潜り込むことができるのだ。

 一見無様で、泥水をすするかのようなこれでの立ち回りも、すべてはこの必殺の反撃技――『臥竜天衝がりゅうてんしょう』に繋げるための布石であった。

 喉の奥から、生温かいものが溢れ出てくる。意識が遠のいてゆく。

 ―――なぜ……こんなことに……

 死にゆく牙門の脳裏には、後悔と屈辱の記憶が走馬灯のように浮かんでは消えていった。

 牙門はただ、己の武威を天下に知らしめたかった。

 影虎はその覇道の途の石ころに過ぎないはずだった。邪魔だから蹴飛ばした。

 なのに――今道から転げ落ちようとしているのは牙門。

 一体どこで道を踏み外したというのか――


 ひとつの情景がある。

 それは影虎が殲鬼隊入りして一年ほどが経った頃、当時の九鬼家当主――景隆が天照大神宮を訪れた時のことである。隣国大名直々の来訪とあって、祭主であった松蔭の父も自ら出迎えた。互いに世辞を言い合ううちに、やはり影虎の話題になった。

 社の陰でその様子を見ていた松蔭は面白くなかった。松蔭が殲鬼隊員になることは認めなかったのに、父は影虎の殲鬼隊での活躍をやたらと褒め立てるのだ。

 だが息子が称賛されるのを聞いて、景隆は言った。

「活躍は嬉しいが、どうもあやつは危なっかしいからな。変な所でくたばりやしないか心配で堪らんわ。この前は同じ隊の家臣を助けるためにかなり無茶をしたと聞く。まったく、なんのための家臣だと思っているのだ。あの馬鹿は」

「ハッハッ、それはそれは……家臣を大事にする立派な子ではないか。親としてはさぞ誇らしかろう」

「なに、心配する親に手紙の一つも寄越さぬ薄情者でござるよ」

 口ではそう言いながらも、景隆は嬉しそうに顔をほころばせていた。

 その時だけは、なぜだか牙門も心の内にくすぶる憎しみを忘れることができた。

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