第11話:牙門の誤算

 北岸――牙門本陣と影虎率いる別働隊の戦いは、初め拮抗していたが、数で圧倒的に劣る影虎別動隊は時間が経つにつれてじわじわと追い込まれていった。

「くそっ……! 邪魔なんだよこの糞仮面!」

 牙門まであと一歩のところまで迫った影虎たち。

 その前に立ち塞がるのは神兵六体と諏方照雲。

 影虎から言わせればたったそれだけなのだが、これがなかなかに厄介であった。

「この神兵……先程までとは明らかに動きが違いますね」

 神兵の攻撃を弾き返した紋舞蘭が言った。

 影虎、紋舞蘭、影狼の三人で一気に照雲を潰してしまおうとしたのだが、神兵が絶妙なタイミングで横槍を入れてそれを許さない。邪魔な神兵を先に倒そうにも、時間差攻撃と一撃離脱戦法で反撃の時間を与えてくれない。本陣の外で戦った神兵はここまで器用な戦い方はしなかった。

 太鼓の音が神兵を操っているものと影虎たちは考えていたが、それだけではなさそうだ。

「それよりもあの男だ。何者だあいつは?」心底気味が悪そうな顔で影虎が言った。「糞仮面の邪魔があるとは言え、三人掛かりでこうも苦戦するとは……」

「ええ、お面を付けていないのに、まるで神兵……いや、あれはむしろ――」

 紋舞蘭の言葉はそこで途切れた。再び神兵が攻撃を仕掛けてきたのだ。

「もう一度やるぞ。二人は神兵の邪魔が入らないよう援護に回れ。オレがあいつをやる!」

 二人の返答を待たずに、影虎は照雲めがけて突っ込んで行く。

 影狼も紋舞蘭も否やはなかった。これ以上問答をするだけの余裕はもうないのだ。

 襲い掛かる神兵は左右二体ずつ。残り二体は照雲のそばに控えていたが、影虎が突っ込んで来ると見るや、一体は跳び上がって、もう一体は側面に回り込んで二方向から攻撃を加えた。

 影虎は四足獣のような低い構えで一体目の攻撃を受け流した。上から仕掛けたもう一体が着地した時にはすでに照雲の方へ潜り抜けている。先行していた神兵がうなじから血を噴き出して倒れる。

 が、影虎が潜り抜けた先に照雲の姿はなかった。

 いつの間に見失ったのか――影虎は一瞬固まったが、背筋に冷たいものを感じて振り向いた。

 ガギィン!

 首を両断すべく薙ぎ込まれた刃を、すんでのところで受け止める。

「よく防いだ。だが終わりだ」

 照雲が影虎と刃を噛み合わせたまま、冷たく言い放つ。

 その瞬間、影虎の背後にまた神兵が降り立った。

 卓絶した武力を持つ男と神兵に挟撃される形となった影虎。もはや死から逃れる術はないかに思われたが――

 青白い光が走ったかと思うと、影虎の背後を取った神兵がパタリと倒れた。

 現れたのは影狼。

 ―――この少年、この短時間で神兵を……!

 照雲は、影狼に差し向けた神兵の気配が二体とも消えていることに驚く。仮に一体が倒れても、もう一体は照雲の元に退避する手筈になっていたはずだが、どうも二体同時に倒されたようである。連携した一撃離脱戦法を取る神兵に対して、そんなことができる者がいるとは思いもしなかった。

 影狼は着地の反動で勢いをつけて、さらに照雲に斬りかかる。影虎もすかさず反撃に転じる。

「遅ればせながら――」

 少し遅れて紋舞蘭も駆けつけ、三対一の乱戦となる。一瞬にして数十、百にも及ぼうかという刃鳴りが連鎖し、鋼の焼けるような匂いが立ち込める。

 だがそれでも、照雲には傷一つ付くことがなかった。

 照雲の剣捌きは神兵のそれに似ていた。太鼓の音に合わせて舞っているかのような、跳躍と回転を主体とした独特な動きである。そして照雲の速さは神兵のそれを優に超える。神兵が旋風だとするならば、照雲は竜巻である。

 三方向から同時に繰り出された攻撃を跳躍してかわすと、照雲は標的を一つに絞った。

「影狼!」

「くっ……!」

 突然の反撃で泡を食う影狼。術者の心に影響されてか、『止水ノ太刀』が一瞬揺らぐ。

 それでも、体勢を崩しながらも、影狼はなんとか怒涛の連撃を防ぎ切った。

 刹那、影狼の目は照雲の背を捉えた。それは体を回転させるほんの一瞬だけ生じる隙。影狼は今だとばかりに踏み込む。

「!」

 だが影狼の刃が届くより、照雲が振り向く方が早かった。

 ―――誘われた!?

 振り向きざまの一撃は剣が体に隠れていたために太刀筋が読めず、剣速は人が反応し得る限界を遥かに超えていた。

 父影虎は、影狼の首が両断されるのを見た。

 ところが――

「……!?」

 影狼は何事もなかったかのように、一歩退いただけだった。首もしっかり繋がっている。

 照雲の目が驚きと警戒に大きく見開かれた。

 完全なる不意打ち。神速の一撃。照雲の間合いに誘い込まれた時点で、勝負は決したはずだった。

 あれをかわせる人間が、この世に存在するはずがない。

 だが照雲の目にははっきりと見えていた。影狼があの一閃を回避した瞬間が。

 ―――この少年……やはり危険だ……!

 神兵を無力化する妙な術は警戒していたが、まだなにか特別な力を持っているようである。

「なにがあった……? 無事なのか?」恐る恐る、影虎が聞く。「実は首切れてるけど気付いてないだけとか……ないよな?」

「ないよ!」

 父の愚問をバッサリと切り捨てて、影狼はキッと照雲を見据える。

「それより、神兵がいない今のうちに――」

 ところがその言葉が終わらぬうちに、またどこからともなく神兵が飛び出し、影狼たちの前に立ち塞がった。

 その数は九。

「だぁあああ、うっぜぇ! なんなんだこんちきしょう!」

 状況がさらに悪化したことに発狂する影虎。

 牙門本陣に斥候が駆け込んできたのは、その時だった。

「前線より報告……!」

 斥候の男は本陣が敵にかき回されていることに戸惑いながらも、牙門の姿を見つけて報告する。

「南岸の駿河兵が、我が軍の攻撃部隊を抜いてこちらへ向かっております!」

「なに!?」

「それから……最前線にいた者からの話では、百武晴賢様が討たれたと」

「!」

 斥候の声は影虎たちには聞こえなかったが、百武討ち死にの報はざわめきとなって広がり、影虎の知るところとなった。

 思いがけずも敵からもたらされた勝報に、影虎は哄笑した。

「当てが外れたな牙門。あいにくと向こう岸には万次郎を残してある。負けるわけがねぇんだよ。なんせあいつは、殲鬼隊でオレ以上に戦果を上げてた男だからな」


 南岸における牙門軍の数の優位は揺るがなかったが、百武討ち死にの情報がもたらされると、牙門の兵たちは約束されたものと思われていた勝利を疑い始めた。それまで防戦一方だった九鬼軍が反転攻勢に出たことも、牙門軍の動揺を誘った。南岸の牙門軍の指揮官は健在であったが、逃げ腰になった軍を立て直すことはできず、万次郎率いる駿河兵の中央突破を許してしまったのだった。

 万次郎まで牙門本陣に到達するとなると、北岸の戦いは数の上で互角になる。

「牙門様。ここは一旦引いて立て直した方が……」

「なにを馬鹿な……! あと少しで影虎が討てるのだぞ!?」

 部下の消極的な提案を、牙門は突っぱねた。しかしその部下は説得を続けた。

 開戦時は圧倒的に有利だったはずが、今やほとんど五分の勝負にまで持ち込まれている。なにより南岸に送った一万もの兵力が機能不全に陥っている状況は重く見るべきではないかと、彼は言うのだ。

「焦ることはありません。晴賢は失いましたが、兵力の損耗は軽微なものです。今のうちに立て直して後日再戦すれば、影虎など容易に討てるはずです。今、無理をなさる必要はないかと」

「うむ……」

 目先の利を取るか、大事を取るか――判断の難しいことろであった。

 だが、影虎などいつでも討てるという慢心が彼の中にもあったのだろうか、逡巡の末に退却の命令を下した。

「……ここまでのようですね」

 退却の号令を聞いた照雲は口惜しそうに言った。

 彼としてはこのまま続けてもよかったのだが、神使おこうが敵中に取り残されるようなことだけは避けたかった。

「一人も討てなかったのは残念ですが、あなたたちの力の程度は分かりました。後日決着をつけましょう」

「待てコラ! 牙門はどこだぁ!?」

 影虎は引き上げる照雲を追おうとする。

 しかし彼らも満身創痍で付き従う兵も少なく、もはや追撃が不可能であることは誰の目にも明らかであった。紋舞蘭が影虎を引き止めた。

「影虎様。我々もここに留まっていては危険です。急ぎ味方と合流しましょう」

「牙門はどこだぁ!?」

「影虎様!」

「チッ……!」

 多くの犠牲を払って牙門の喉元に刃を突き付けた影虎であったが、寸でのところで逃げられてしまったのだった。

 好機と危機が去ったと見るや、影狼はその場にがっくりと崩れ落ちた。幸成の心配する声が耳に届く。

『……大丈夫か影狼?』

「大丈夫。少し疲れただけ」

『なんだったんだあれは……でたらめな強さだった。よくあの攻撃を凌いだな』

「うん、死ぬかと思ったよ」

 蒼ざめた顔でそう振り返りつつも、影狼は自信を覗かせた。

「でも、だからこそ切り抜けられた。オレはそう簡単には死なないよ」


     *  *  *


 夜――牙門陣営。

 決定的な敗北とはならなかった牙門軍ではあるが、やはり百武が討たれたという衝撃は大きく、日が沈むと夜襲の警戒もあってか兵たちの不安は膨らむばかりであった。

 そして総大将牙門の荒れようは凄まじかった。

 神兵の新しい憑巫よりまし(神霊を憑依させられる者)を誰にするかと問われては、

「百武の兵にやらせろ! あの無能どもが不甲斐ない戦いをしたせいでこんなことになったのだ!」

 と答える始末だった。

「我が君。神兵の憑巫は、健康体であれば誰がなっても同じです。神兵の強さにさほど影響はありません。彼らほどの精兵を憑巫として使い潰すのは得策ではないかと存じますが……」

「分かっている」

 照雲の諫言で、牙門は少しだけ冷静さを取り戻した。

 本陣に乗り込んできた三百騎の平安武士は九鬼軍の中でも最強の部隊と言っていいだろう。神兵はそのうちの二百人ほどを討ち取った。欲を言えば殲滅してもらいたかったところだが、悪くない戦果だ。牙門は百武という刃を失ったが、影虎の方も牙を失ったようなものである。もはや今日のような積極的な戦い方はできないだろう。

「影虎め、今日は勝ちを驕るがいい。だが最後に勝つのはこの私だ。神に逆らえばどうなるか……今に思い知らせてくれる」

 翌日の作戦を練るうちに自信を取り戻した牙門は、天に向けてつぶやいた。

 ところが、まさに作戦がまとまろうかという頃、急を報せる早馬が牙門の元に飛び込んできたのだった。

天津あのつ城の城代から緊急のごほっ、ご報告です!」

「なに!? 天津城から……?」

 ざわつく諸将。天津城と言えば、伊勢国の本拠とする城である。この戦場とは直接関わりはないはずであるが、一体何事であろうか。

 よほど飛ばして来たのだろう。使者はまだ呼吸が荒かった。そしてようやく言ったのは――

「皇国が、九鬼との戦に参加すると申し出ているとのことです。なお、皇国の軍勢はすでに国境を超えてこちらへ向かっている模様!」

「!?」

 一瞬の静寂のあと、陣幕の中は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

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