第10話 はじまりはいつも雨


何かを新しく始める時。

私のそれは雨の日。




はじまりはいつも雨。

ただの雨男である。





雨の日に合わせて新しいことを始めるのでは無い。

新しいことを始めたその日に、何故か雨が降る。

人はそれを雨男と呼ぶらしい。




銭湯から部屋に戻り、

今日を振り返ることもなく

かばんの中身を空けることも億劫になり、

350mlの缶ビールを2本飲みながら

風呂上がりに飲んだ牛乳ごときに

ビール様が負けたような気がしていた。




もう11時半だ。

何時からだっけ。お店に行く時間は。

まあ隣人が起こしてくれるだろう。






隣の部屋のテレビの音が聞こえてくる。

テレビが無い生活は初めてだ。

テレビが無いっていうのは寂しいのだな。

漫画でも読もう。

「行け!稲中卓球部」を何冊か持って来ている。




気が紛れた。




なぜこんなにも寂しいのだろう。

急にホームシックにかかってしまった。

ビールのせいかな。

ひとりの寂しさを紛らわせるのに

稲中卓球部はちょうど良かった。




意識が稲中卓球部を読んでいるのか

夢を見ているのか分からないくらい

ぼーっとしていた。




ゴンゴンゴン!

「坂井!起きてる?」

ゴンゴンゴン!

「ふぁ〜い」




かすかにそんなやりとりが聞こえた。

タッタッタと歩く音が近づいて来て

今度は私の部屋のドアを叩く。




ゴンゴンゴン!

「起きてる?もう行くよ。」




「ありがとう、歯磨いてから行くわ。」




「んじゃ俺、先行ってるから・・・」




ドタドタドタっ!と階段を賑やかに降りて

竹内くんが砂利の上を歩く音が聞こえた。




すぐに隣のドアが開く音が聞こえて

何やら流しで水を使う音が聞こえた。




隣人の坂井くんが部屋に戻った音を聞いて

私は歯を磨きに流し台に行った。




歯を磨いていたら坂井くんが

部屋から出て来た。

レインコートを着ている。




「お、あ、どうも」




そう言って階段を降りていった。

階段を降りた後は砂利があるから

誰かが行ったり来たりするのがよくわかる。




大丈夫か、坂井くん。

青白い端正な顔はまだ子供が抜け切っていなかった。




さて私も階段を降りて

昨日もらった(もしくは今日の夕方)指サックが

ポケットにあるのを確認しながら

砂利を踏み歩いた。

雨は気にならなかった。




お店に着いた。

みんないる。

多分これで全員なのだろう。

いっぱいいる。

お店の中に全員は入れないので

外の自転車に乗っていたり

自転車置き場の奥の方の暗がりで

座っている者もいた。




どわ!目の前が暗くなった!

お店に入ってすぐの小さな事務室に

大きな男がいる。

学生っぽくない大男。

小さな事務室と同じ大きさの体。

ちょうどピッタリサイズだ。

背も高くて、お腹もデカくて背中もデカイ。

何もかもデカいその男が高くて大きな声で言った。




「おい、坂井!お前大丈夫か。顔が白いぞ。無理しないでいいからな。

田舎の母ちゃんには連絡したのか。メシちゃんと食えよ。

あ、そうだ!おい!優子!」




「はーい!」




奥の部屋から優子さんの返事が聞こえた。




「レインコートまだあるか。」




「あるよ。3XOでいい?」




「いや、俺んじゃなくて・・お!来たか!」




私と目が合って、私のことをちょうど話そうとしていた

大男の会話に入ることになった。




「今レインコートやるからな。初回だけだぞ。2回目からは自分で買えよ。

サイズはLでいいか」




「あ、はい。Lでいいです。」




自己紹介は省かれた。

優子さんの夫か兄か弟か。

馴れ馴れしい会話が家族であることに

間違いはないだろう気がした。




「おい、まだか」






大男はガラッと奥の部屋へのドアを開けて

中に入っていこうとした。




もうこれ以上大きくなったら家の中に入れない大男は

ちょっと斜めに扉を交わして部屋の中に入っていった。




「今日雨だから優子が配る所、篠原に車で行ってもらったら?」




「えー。私が行くよ。それか優さんがバイクで行く?」




「いや、俺がバイクに乗ったら壊れるだろ。」




二人の会話が聞こえてくる。

「すぐるさん」っていうのか。

大男は。




優さんと優子さん。




幸せな夫婦が、このお店を切り盛りしているのだな。






「来たー」




外で誰かがそう言った瞬間、

全員が表に出ようとした。



私は細野先輩を見つけた。




「あ、よろしくお願いします。」


「ん。新聞取りに行こうか。」




「あ、はい。」




どうやら新聞様のおなりだ。




新聞を大量に積んだトラックに

みんなが並んでいる。




順番に新聞のかたまりを受け取って

お店の中に入っていく。




男は二つずつ。女の子は一つずつ。

カッコつけて三ついく奴もいる。




「一つ」というのは新聞が60部、

袋に入ってPPバンドで十字にしっかり縛られている

固まりの事。

なかなか重い。




私は新聞の固まりを二つ持ってお店の中に入り

細野先輩の後を追った。




「ここに置いといて。」




先輩と昨日チラシを作った場所の

足元に新聞の固まりを置いた。




またトラックに行って

固まりを受け取る。




みんな会話しない。

みんな無言だ。




トラックの新聞の固まりが無くなり

ドライバーが「ありがとうございましたー」と言って

トラックは去って行った。




私は細野先輩の所に急いで戻った。




「今日は見てるだけでいいから。」




周りのみんながハサミやカッターで

新聞の固まりに付いていた黄色いPPバンドを切っている。




しかし先輩は違った。




新聞の固まりをあえて裏返しで置いていた。

裏面にはPPバンドの接着部分が見える。




その接着部分を上手く引っ張って

PPバンドを道具を使わずに手で

外していた。




プチーン!

プチーン!




カッコイイ!

「ここ。ここを引っ張ったらバンド切れるから。」




なるほど。確かにハサミの数が人数分無く、

少しハサミ待ちが発生している。




早くこの技を覚えた方が良さそうだ。




先輩は外したPPバンド2本の長さを揃えて

端のほうで結び始めた。

さらにもう一本。




「これ、後で使うから。出来るだけ長さは同じにした方がいい。」




新聞配達って奥が深そうだな。




今度は袋から新聞の固まりを取り出す。



「袋が破れないようにそっと新聞を出すんだ。

今日は雨だから3枚は要る。」




何のことかよく分からないけど

とにかく袋も接着部分から綺麗に

開けて新聞を出していた。




先輩はその袋をポケットにしまって

昨日準備しておいてチラシを下から

台の上へと持ち上げた。




自分の右側にチラシ。

真ん中に新聞の固まり。

左側は空いている。

そして右手の親指に指サック。




これで準備OK!




先輩は目にも留まらぬ速さで

新聞の中にチラシを入れていく。




15部ほど入れたところで

トントンと叩いて綺麗に整え

それを左側に置いた。




「新聞3つ分のスペース」が要るとは

このことか。




隣の奴を見てみた。




同じことをしているが、かなり遅い。

時々止まっては、ため息をついている。

レインコートが暑かったのか脱ぎ出した。

坂井くんだった。




大男がこちらを見た。

「おい坂井!倒れる前に言えよ!」




「は、はい。」




完全に手は止まっていた。




「えーと、真田だったか。はい!カッパ!」




「あ、ありがとうございます」




私はレインコートを受け取った。

新品のまだビニールに入ったレインコート。

分厚くて上と下のズボンに分かれていて、

高そうだった。

こんな本格的なレインコートは初めてだ。




坂井くんを見た。

同じレインコートだ。




周りをぐるっと見てみた。

同じレインコートを着ている女の子が居た。




しまった!

細野先輩が居ない!

すぐ外の自転車に居た。




「完成した新聞はすぐ自分の自転車に持って行くこと。

場所が狭いからね。」




自転車は新聞配達専用の作りになっていて

前カゴが大きくて四角形がちょうど新聞の

サイズになっている。




後ろには大きめの荷台があり

ゴムが付いていた。

新聞2つ分の大きな荷台だ。




「前と後ろのバランスを考えないと

どちらかが少ないと倒れやすくなるから。」




なるほど。

覚えることがいっぱいある。




細野先輩は仕上げた新聞を自転車に

綺麗に積んでいく。




後ろに積んだり前カゴに積んだりして

バランスを保ちながら

もういっぱいかと思いきや

前カゴに入れた新聞の間に

二つに折った新聞を左側にぶっ刺し、

次に右にぶっ刺しと順番に

積み上げていった。

綺麗に山が出来た!

素晴らしい!

前方が全く見えないくらいまで

山が完成している。




「これで半分。残り半分の新聞は中継に出す。」




中継とは「中継地点に置いておく新聞」の略で

あらかじめその中継地点に置く新聞を用意して

車に積む。

そうすれば「中継」担当の篠ピー先輩がみんなの分の

中継ポイントを車で先廻りして新聞を置いて行ってくれる。




そこでさっき結んで置いたPPバンドが必要になる。




新聞がバラバラでは、さすがの篠ピー先輩も

運べない。

チラシを入れて完成した新聞に

裏紙を挟んで自分の名前とか6区とか書いて

PPバンドでくくりつける。




「強めにくくらないとバラけるから。」




女の子達も同じことをしている。

新聞に自分の区域を書いた紙を上に乗せて

黄色いPPバンドで結んでいる。




それを真剣な表情で持ち上げて

外にある車の荷台に乗せに行く。




車の荷台には篠ピー先輩が居て

順番を考えながら積み直している。




私が中に戻ろうとしたら

篠ピー先輩も車から出てきて

中に入ってきた。




「おい、坂井。まだか?」




「あ、すいません。これです。」




「お、出来たか。これだけでいいのか?」




「は、はい。お願いします・・」




誰かタオルを投げてやってほしい気がした。

しかし私にはまだ助けてあげられる力が備わっていなかった。



篠ピー先輩は坂井くんの分を持って

すぐるさんに向かって言った。




「んじゃ、一回行ってくる。」


「おー、ちょっと待って。これも頼む。」




横綱と大関の会話だ。




篠ピー先輩は軽々と二つを持って

出発した。




細野先輩はさっきポケットに入れた

新聞の梱包の袋を取り出して

それを自転車に積んだ新聞に被せていた。




「袋破れてないかよく見て。破れてたらそこから雨が染み込んでくるから。破れてたらテープ貼って。」




「はい。」




私はさっそく見つけた破れ箇所にテープを貼って補修した。




前カゴの前方側には黒くて長いゴムが初めから

付いていた。




そこに先輩はビニールの片側をセットした。

前カゴの新聞に覆いかぶさるように

ビニールをゴムに付けて

手前側は洗濯バサミでブレーキのワイヤーに

止めた。




「これで雨に濡れないから。

あとポストが壊れてる家が5件あるから

新聞5部はこのビニール袋に入れる。」




〇〇新聞と書いた専用の厚めのビニール袋に

一部ずつ新聞を入れた。




「あとはアイツから細かいの取ってきて。」

先輩はそう言って遠くの優さんにアゴを向けた。




私は優さんの所に行き

「細かいのください。」と言った。

なんだ?細かいのって。




「はいよ!」




優さんがくれたのはスポーツ新聞だった。

他にも見たことない銘柄の地方紙とか経済系の専門紙。

「釣り新聞」とか「株式新聞」とか

マニアックな新聞もあった。

これは面白そうだ。




「先輩、細かいの、取ってきました。」




「OK!これでよし。じゃあ出発しようか。」




「あ、ちょっと待ってください。カッパ着ます。

あ、先輩は着ないんですか。」




「うん。俺は着ない。着ても濡れるから。」




なんと!

着ても濡れるのか。

かなり丈夫そうなカッパなのに。




私は新品のカッパを着て何も積んでない

自転車に乗って先輩の後について出発した。




新聞人生の出発である。




〜つづく〜

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