第5話 初めての夕飯




東京初日の夕方5時。





夕飯が新聞屋さんのお店の中で

食べられるらしいので、

そろそろ自分の部屋を出て、

お店に行く事にした。





いや、待てよ。

他の学生たちや従業員たちも

食べに来てるのだろうな・・・





女の子も居るかも知れない。





鏡はどこだ?





かばんの中を探すも

そんなもの持ってきていない。





共同の流し台かトイレにあるかも?







無かった。





仕方ない。

歯くらい磨いてから行くかな。





隣の部屋もその隣の部屋も静かだ。

誰もいない感じがする。

まだ入居してないのか。

それとも夕食にあり付いているのか。

女の子か。野郎か。





ダメだ。妄想が止まらない。

こう言う時はぶち当たるのみ。

早くお店に突撃しよう。





部屋に鍵を掛けて

階段を降りて靴を履き

お寺に居ること思い出しながら

お店に向かった。





暗くなりかけの黄昏の街で

少し寂しい気持ちになりながら

お店への道を歩いた。





まだお店と部屋の間は

わずか一往復目だ。





お店に着いた。

木造で古いお店。

隣の建物との間の狭い通路に

綺麗に並んでいた配達用の自転車は

今は無くなっていた。





その自転車置き場の奥の方から

賑やかな機械の音と明かりが

見える。





私は薄暗い通路を通って

明るいお店の中に入った。





オッサンが居た。





歳は40代くらい。

うるさい機械をいじっていた。

その機械は新聞の折込チラシを

一つに束ねる機械だ。

最新機種だ。





15種類ほどのチラシを

一瞬で一つにしてくれる魔法の機械だ。





中学を卒業したばかりの時に

春休みの8日間だけ地元で新聞配達をしたことを

思い出した。





その時は

チラシは一枚一枚、手で重ねて

新聞の中に挟んでいた。

機械など無かったのだ。





10種類ほどのチラシが作業台の上に並んでいる。

そのチラシを上手に右手だけで一枚ずつリズミカルに

取っていき全部取り終えた所で新聞が待っている。

そして新聞の口を左手で開けて一気に挟み込む。





15歳の時だったので5年前の話。

20歳の今(1996年)は機械化されていた。

ありがたい。





その難しそうな機械の目盛りを

オッサンは目を細めて調整しながら

スタートボタンを押す。




「ガシャン!ガシャン!」と大きな音を立てて

機械は一気に15種類のチラシを内部に取り込んで

一番下まで流し込み、

一番下のチラシだけは二つ折りになる形で、

その上からやってきた15人衆をくわえ込む。

これで見事に一つにまとまるチラシたち。





このお店は合計で2千部ほどの新聞を

みんなで配達していたので毎日このオッサンは

この機械と2千部のチラシを作り上げて

いることになる。





木製のささくれ立った長いテーブルのような

作業台が壁沿いに置かれ、

さらにお店の真ん中に2列並んでいた。





おやっ?

その奥に部屋が見えた。





食堂だ!





白くて長いテーブルが二つ並んでいた

簡易式の丸いすが何脚も重ねて置いてある。

入り口にはスリッパがたくさん置いてある。





チラシマシーンのオッサンは

私には気付いてないかのように機械と戯れていたので、

ちょうど良い感じで無視して食堂の方へ顔を入れた。





居た!

昼間、自分を部屋に

案内してくれた優子さんだ。







優子さんがご飯を作ってくれていた。

ホッとした。

あのコタツに居たおばあさまではなかった!







食卓の上には育ち盛りが満足できるほどの

大きな唐揚げ達が一人前分ずつお皿に盛られていた。

レタスとトマトもポテトサラダも添えられて。




大きなご飯の釜が二つもあり、

食卓の上にはヤカンやらお箸やら醤油やら

が所狭しと置いてある。





普通の家庭の台所を少しだけ広くした感じの食堂なので

4人ずつくらいしか一度に食事が出来ない。

これは早い者が先に頂けるルールになっていて

待っている間に先ほどのオッサンが作ってくれた

新聞のほうのご馳走である「明日の朝刊分のチラシ」を

自分が必要な部数だけ持って行って

綺麗に整えて自分の作業する場所に置く

という作業をしておくという寸法だ。





ぼーっとしている私に気付いた優子さんが

声を掛けてくれた。





「あ、いらっしゃい!ゆっくりできた?そこ空いてるから座って!

ご飯は欲しいだけ自分でついで!お椀はここ。お味噌汁は

コンロの上に置いてあるから、自分で好きなだけよそって。

お箸はここ。お茶がヤカンの中に入ってるから。

もし食べ足りなかったらテーブルの上の納豆は食べ放題よ。」





そうなんです。

大阪には馴染みのあまりない納豆が

いつでも食卓の上にあるという習慣に

初めて出会ったのでした。





私はどうやら夕飯一番のりだったようで、

働いてもいないのに先に食べても良いものかとか少し考えたが、

でも遠慮してもしょうがない。

早く食べたほうが後から来る人たちの為にも良いと思って・・・

いや・・もうお腹ペコペコで何も考えられないので

・・・いただきます!





ガツガツ食べていたら

「ただいまー」と背中側のお店の方から

男子の低くて若い声が聞こえてきた。





優子さんが大きな声で

「おかえり!」と叫ぶ。





顔を見せることもなく、その先輩は

食堂に入っても来ずに奥にある階段で

二階に上がって行った。





「みんな夕刊を配り終えて帰ってくるからね。

ご飯を食べ終えてチラシの準備が出来たら車でお布団を

部屋に持って行ってもらうから少し待っててね。」





「かたじけない。」





「ん?なに?」





「あ、いえ、色々ありがとうございます。」





「みんな最初は、そんなもんよー。助け合い助け合い!」





「ただいまー!」

今度は明るい二つの声がハーモニーとなり

聞こえてきた。




あきらかに女の子の声だったので

私は箸を持ったまま振り向いた。





女子二人が食堂の椅子が空いているか確認するように

顔だけを食堂に入れてきて、こちらを覗き込んだ。

私と目が合った。挨拶してきてくれた。





「あ、どうも、こんばんわ・・」





「あ、こんばんわ。」


私も挨拶した。





そして、すぐに後ろにいる

もう一人の女の子に

「空いてるよ!食べよ!」

と言って、二人は食堂に入ってきた。





二人目の女の子も挨拶してくれた。

みんな礼儀正しい。



「あ、こんばんは。」





「あ、こんばんは。」




私は追加で説明した。

「今日からここでお世話になります。大阪から来た真田と言います。」





一人目の女子が応えてくれた。

「あ、私たちもまだ来たばかりで・・・部屋は上ですか?」





優子さんが温かい食事を作りながら

温かい補足説明をしてくれた。

「いや、もう上は空いてないから、富士荘ってお寺の所にしてもらったの。」





二人目の女子はご飯をついでいる。

「ご飯これくらい?」



「ちょっと多いかも。」



「えー。少食だね。」




もう私に関する情報など聞いていなかった女子ふたり。




それ以上私と女子たちは会話することもなく

黙々とご飯を食べた。





食堂の奥に部屋がまだあるみたいで

その奥の部屋へと入って行こうとした優子さん。





ガラッとドアを開けると

コタツとおばあさまが見えた。





そうか!

最初に来た時の正面玄関から入った部屋と

この食堂は繋がっているのか。





おばあさまにもお食事を。

所長にも。旦那様にも。

そして私たち従業員の分も・・・

全て優子さん一人でこしらえていた!





明るく元気に!





私は結局少し緊張したまま

ご飯を食べ終えて自分の分のお皿を洗って

ごちそうさまを言った。





奥の部屋から戻ってきた優子さんに

女子が質問をした。



「この人は何区?」



きっと私のことだ。



優子さんが答える。


「えーと多分6区になるから細野くんが帰ってきたら

教えてもらおうと思って・・」



「どの辺?6区って?」



「河田町とかかな。フジテレビがある所だよ。」



「へぇーいいなー。でも賑やかそうだけど逆に怖いのかな。」



「そうね、夜でも結構賑やかかもね。」



「嫌だー、でも真っ暗よりマシなのかな。」






いつの間にかお店の中には

帰ってきた何人かが明日のチラシの

準備をしながら食堂の席が開くのを

待っている感じだった。





優子さんがエプロンを畳みながら私に言った。



「もうすぐ細野君って先輩が帰って来たら

仕事の事を色々と教えてもらえるから、待っててね。」



「あ、わかりました。」



「あ、」を出だしに付けないと

話せなくなっていた私。

人が多くなってきたからだろうか。

初対面にしては話しているほうである。





早く自分の部屋に戻りたくなった。





お店の二階に上がる階段を見つけた。

その横にはトイレがある。

さらにその横には洗濯機があった。





自由にみんなで使える共有の洗濯機だ。

ありがたい。




明日の分のチラシをトントンと

器用に叩きながら整えているロン毛の男の先輩が

話しかけて来た。





「今年は新人が多いなー。君は大阪から来たって?」





「あ、はい。よろしくお願いします。」





優子さんが食堂からちょうど出てきて

靴のかかとを引っ張りながら言ってくれた。



「この子で今年は最後。今年は7人入って来たわね。」





ロン毛の先輩が驚いた。

「7人も!俺まだ出て行きたくないですよ・・優子さん。」




「はいはい。大丈夫だよ。沢井君真面目だもんね。」





俺はまだ出て行きたくないと言いながら、

機械をいじっていたオッサンのほうに

視線を向けるロン毛先輩。

その視線を見た私と優子さんも同じように

オッサンの方を見た。




いつまでもこのお店に居られるような気がした。




オッサンに先輩達に近藤一家。

そして今年の新人が7名。





この狭い店に全員で何人いるのだろう。







「ただいまぁ。」





優子さんが一番に応えた。



「おかえりー!細野君!待ってたわよ!」





細野先輩か!

さっと振り返る私。





なんと爽やかな好青年!

痩せ型で私よりも背が高くて

顔もシュッと整っていた。




しかし、元気がまるで無い。

この世を憂いている側の人間だろう。





細野先輩が口を動かした。

「あー、・・・。(この子だね?俺が教える後輩は。)」





多分そう言いたかったのだろうことは

その場に居た全員が分かった。

しかし細野先輩は「あー」とだけ言って私を見て

早速チラシの整え方を私に教えるべく

何かを探している様子だった。





優子さんが微笑んだ。

「では、細野君、よろしくお願いしまーす!

あと、篠ピーが帰って来たら車で真田君の布団を

部屋に持って行って欲しいんだー。」





細野先輩の視線が私のおでこに当たる。

「真田君?あ、彼ね。」





き、聞こえない!

大丈夫か私?

仕事を覚えられるのか

不安になって来た。





細野先輩は優子さんの方を向き直した。

「優子さん。この子に6区教えたら俺はどこに行くの?」



「えーっと、車で中継の係。」



「・・・(コクっ)」





コクっと首だけ縦にうなづきながら

細野先輩は早速、私に仕事を伝授し始めた。






6区ってなんだろう?車で中継?しのぴー?

そろそろ新聞配達員の専門用語集が欲しくなってきた。





〜つづく〜

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