エネルギー問題

Hiro

イデオロギーの転換

 最近のニュースより。(2014年9月)

 九州電力が太陽光発電事業者からの新規の電気買取を停止した。昼間の発電量が多くなりすぎ、電力生産過剰により安定的な供給が妨げられる、というのがその理由である。日照量の豊富な九州では多くの事業者がメガソーラー施設の立ち上げを計画しているが、新規事業参入が妨げられた形だ。

 一方で、愛媛県の伊方原発の再稼動が決まった。原発の影響圏内に住む鹿児島県の住民が差し止めを求めて訴訟を起こしたが、裁判所はこれを却下した。裁判所が国民の安全よりも国策を重視するようでは、我が国の司法制度が健全に機能しているとは言えまい。弱者に発言の場を提供し、公正な裁定を下すべき裁判所が、いつから国家権力におもねる機関に成り下がったのか。

 一方では、クリーンエネルギーにより発電した電気の余っている地域があり、一方では、危険極まりない原発を稼動させねばならない地域がある。なぜ、日本国内で、しかもこれほど近い二つの地域において、このような矛盾が生じるのか。九州電力と四国電力、管轄が違うとは言え同じ国内の電力会社である。電力を融通し合うという発想があってもよさそうなものだ。実際、福島原発事故の際には、東京電力は他の電力会社から電気の供給を受けたのではなかったか。


 まず、太陽光発電について。

 太陽光発電は最も有望な再生可能エネルギーであり、クリーンエネルギーの代表格と言ってよいだろう。普及が進めば、石炭・石油等の化石燃料に替わる次世代エネルギーの要となり得る。解せないのは、これを阻むかのような電力会社の動きである。電力生産が目的ならば、大気を汚染し、二酸化炭素を排出する火力発電や、放射能汚染の危険の伴う原子力発電よりも、太陽光発電のほうが優れた発電方法ではないか。

 政府は、電力会社による一般家庭や事業者からの電力買い取り価格の値下げを決定した。国が再生可能エネルギーの普及を阻んでどうするのか。そもそも、電力買取制度の導入は、太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーの普及が目的だったはずだ。しかし、日本の総電力消費量に占める再生可能エネルギーの割合は未だ十数パーセントで、十分とは言いがたい。

 最初にこの制度を導入したのはドイツで、国民投票により原発の撤廃を決定したかの国では、原発の順次停止と並行して太陽光発電の普及を進めている。2030年時の自然エネルギー比率目標は五十パーセントである。(日本は22パーセント。)太陽光発電の普及が多分に観念的で、現実に則していないとの批判があるが、ドイツの例を見ればこの批判が的外れである事は明らかである。旧体制の利権に浴する人間は変化を恐れて、イデオロギー(理念)を現実的でないとして退けたがるが、イデオロギーがなければ社会の変革は起こらない。アメリカのオバマ前大統領が実施したグリーン・ニューディール政策も同じ理念に基づくものである。化石燃料依存を減らそうというこの試みは、石油・石炭産業に従事する人々の仕事を奪うとして同産業からの反発を招いたが、実際のところこれは利権がらみの批判であろう。一国の大統領が自国民から職を奪うような政策を打ち立てるはずはなく、オバマ大統領の真意は、主要産業を化石燃料から再生可能エネルギーへ移行させることにあったはずだ。今件に関しては道半ばにして任期を終えた観のあるオバマだが、アメリカでは未だに石油資本が強大な権力を握っているということだろう。

 あくまでもアメリカに追従するのか、それとも、ドイツのように新たな一歩を踏み出すのか。日本にとってどちらが賢い選択か、国民は知っている。電力産業の利権を握る人間と政府がそれをしないだけである。

 再生可能エネルギー(太陽光発電)の電気買取制度において、電力会社が買い取った電気の料金は、一般の電気料金に転嫁される。つまり、消費者(国民)が負担する仕組みである。買い取り金額を下げれば、消費者の負担が軽減されるのだから文句はあるまい、というのが政府の、あるいは電力会社の論法である。しかし、まだ普及率の低い再生可能エネルギーの買取金額を削減したところで、消費者にとっていかほどの負担軽減になるというのか。それよりも、再生可能エネルギーの普及率を上げ、より多くの人がその恩恵に与ることのできる状況を作ることが先決ではないか。火力発電や原子力発電の使用率を可能な限り減らし、再生可能エネルギーが十分に普及した段階で買い取り金額の値下げをすればよい。

 これを理念先行、机上の空論と見る向きもあろう。しかし、この制度を導入したそもそもの目的はそこにあったはずだ。なぜ中途半端にやめてしまうのか。より良い方向へ向かい始めた流れを引き戻そうとしているのは、一体誰なのか。電力会社で働いている人々が職を失うとでも言うのか。だとしたら、それは石油利権者、または原子力利権者が労働者に刷り込んだ誤った考えである。先般も述べたが、産業が火力・原子力から再生可能エネルギーに移行するだけで、電力会社がなくなるわけでも、そこで働く労働者が職を失うわけでもない。あちらへぶれればこちらへぶれる、国の政策に筋が通っていないことが問題なのである。

 福島原発事故の後処理のために国庫から補填された金額は、事故後五年で十二兆円に上る。事故の被害は終息したわけではなく、今後も補填は続けていかなければならない。一方、東京電力の経営は黒字に転じており、会社は建前上、これから事故処理に充てられた国庫支出金を返していかなければならない。いずれにしても、消費者(=国民)が負担を負うことになる。いつまで原子力と関わり、どこまで無駄な支出を増やすつもりなのか。税金はもっと建設的な目的に使われるべきであろう。例えば、これを太陽光発電の普及促進に充てれば、危険な原発を稼動させる必要などなくなる。再生可能エネルギーの買取も、国の政策として行う以上、本来は消費者ではなく国庫が負担すべきものだ。真に国益に叶うのがどちらかは、考えてみるまでもない。核廃棄物の処理方法も確立されていない原子力を導入した過ちは過ちとして、政府は一刻も早く方針転換を図るべきだ。国民が将来に明るいヴィジョンを描けるような国策を打ち出してもらいたい。

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