全てを脱ぎ捨てて5

 翌日。日中の太陽に見下ろされながら全公寺へとその姿を現した秋生とそんな彼を出迎える(昨夜とは違い五条袈裟を身に纏った)住職。

 そして気が気ではない八助と夕顔を一夜を過ごした部屋に残し、秋生と住職は向かい合った座布団に腰を下ろしていた。まるでその話し合いを見守るような仏像を傍に。


「まずはご足労いただきありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる住職。そんな彼に対し秋生は相変わらずの目つきと表情を向けていた。


「無駄な事はいい」

「そうですね。では本題に入りましょうか」

「必要ない。あれがまだうちの遊女である証明はいくらでも出来る。それをこれ以上匿い続けるのなら、それなりの場所へ話しを通すまでだ。吉原遊郭は上にそれなりの額を納めてる。その分、話は通り易い」

「私も吉原遊郭の事は良く知っています。表部分もそして多少ではありますが裏部分も。それに私の友人が管理していますとある投げ込み寺を少しの間、手伝った際には酷く心を痛めました」

「お前がどう思うかなどどうでもいい」

「流石は若くして吉原屋を継いだだけの事はありますね。感情の制御がお上手なことで」

「言いたいことはそれだけか?」

「いえ。実は私はあの決死の覚悟で吉原遊郭を逃げ出した方に自由に生きて欲しいと思ってます。そうして人生素晴らしさを感じて欲しいのです。残念ながら吉原遊郭にて日々を送る全ての方にそうしてあげられる程、私には力はありません。ですが目の前の人を全力で救う事は出来ます」

「くだらん。これ以上、無駄話をする気はない」


 秋生はそう言うと早々に立ち上がりその場を去ろうとした。だがそんな彼を住職の声が止める。


「私はかつて貴方が行った素晴らしき犠牲を知っています」


 体の向きを変え足を踏み出そうとした秋生は動きを止めると睨むように住職を見下ろした。そんな彼とは正反対の穏やかな表情で見上げる住職。


「何の話だ?」

「まだ貴方のお父様がご健在で、まだ貴方がお店を継がれる前の話です。その頃の貴方はもっと全ての感情に正直だったはず。故にあのような事を行った。違いますか? まるで自分を見ているようだったでしょう?」

「――違うな。あれは未熟さ故の過ちだ。己の感情を見誤り正す事の出来なかった結果。悔いがあるとすればそもそもあんな行動をしたことだ」

「では何故あの場でお父様の提案を受け入れたのですか? 貴方は元々お店を継ぐ気などなかったと聞きます。そうならばあの場で提案を受け入れる得はないと思いますが?」

「どの道俺は店を継がなくてはいけない事を知っていた。あの提案をどうしようが結果は変わらん。強いていうなら俺の未熟さが生んだ問題の後始末をしただけだ」

「そうですか。ですが貴方方は同じ事を言うんですね」


 住職の言葉の後、秋生は眉を顰めながら彼の方へ体を向けた。


「どういう意味だ?」

「自分があんな事をしなければ。あの方もそう悔やんでいました。自分の所為で貴方を巻き込んだと」

「何故お前がそんな事を知ってる? それとも嘘で俺を動揺させようとしてるのか?」


 少し鋭利になった秋生の声。だが住職は相変わらずの表情を崩さず傍の仏像を見上げた。


「私は嘘などつきませんよ」


 信仰心に誓って。そう言うようだった。


「事の後、あの方はこの場所へ来ました。当ても無く途方に暮れていたのです。そこで話を聞いた私はその方を僧侶として迎え入れることにしました」


 そこまで聞いた秋生は住職へ近づきしゃがみむと真っすぐ刺すような視線を送った。


「結論を言え」

「現在ここにはいませんが、どこにいるかは知っています」

「それが交換条件という訳か。だがそんなのはもはやどうでもいい。言ったはずだ。あれは単なる未熟さ故の過ちだと」

「あの時に抱いていた感情は偽りだと仰るのですか?」

「お前に何が分かる?」

「分かります。あなたとの関係を語るあの方の話と表情から。今一度会いたくはないのですか? あの方は来ないと分かりながらもその日をずっと待っていましたよ」


 何を考えているのか秋生は何も言わなかった。


「今はもうあなたを止めるお父様もいません。居場所さえ知っていれば会うことぐらい容易だと思いますよ。それにこれはあの方の為でもあります。というよりあの方の為ですね」


 依然と黙り続ける秋生。そんな彼を待つような沈黙が二人の間に漂った。


「――だが俺はすでに楼主。身請けの決まった遊女を見逃し土壇場で断るなど吉原屋の看板に泥を塗る行為だ。しかもあの夕顔花魁ともなれば俺は――いや、吉原屋も危うい。そんな事出来るはずがない」

「大井 勝蔵」


 まるで頭を読んだかのように身請け相手の名を口にした住職に秋生は眉を顰めた。


「何故それを知ってる?」

「詳細は省きますが彼とは知らぬ仲ではないのです。そして彼は今回の件を受けたとしても大事にするような男ではありません。むしろ詳細を説明すれば納得してくれるでしょう」

「それを信じろと言うのか?」

「えぇ。私は嘘はつきません。もし心配でしたら私もご一緒に彼と会い説明して差し上げても構いませんよ。そしてそれが嘘だったとしたらあの二人をお渡しし更にあの手紙の対処を行ってもいいです」


 自信に満ち溢れた住職を少し固まったように見続け黙り込む秋生。


「貴方程の腕があれば身請けの件を片付けられればその他の問題も片付けられるはずです。貴方は随分と組織を動かすのに長けていると聞きますからね」


 すると彼は一歩二歩と下がり座布団に腰を下ろすと腕を組み双眸を閉じた。


「少し考えさせろ」

「えぇ。もちろんです」


 それから少しの間、両者は身動きひとつ取ることなく空気と一体化していた。

 だが住職は未だ動かぬ秋生を他所に立ち上がると何も言わずその場を離れてしまった。そんな彼が向かったのはとある部屋。


「失礼します」


 一言声を掛け障子を開けると中にいた八助と夕顔は思案顔を住職に向けた。


「ついて来て頂けますか?」


 そう尋ねはしたが今の二人に住職の言葉を断る事は出来ない。互いに一度目を合わせ「心配ない」という無言のやり取りをすると立ち上がり、先に歩き出した住職に続いた。

 そして秋生のいる場所へと戻ってきた住職は自分の隣に座布団を二つ並べ「座って下さい」と二人を促した。言われた通り座布団に座る二人だったが目の前の秋生の姿に不安を隠せない。だがあまりの静けさに住職へ尋ねる事も出来ずただ持て余した不安を解消するように手を握り合った。

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