今日は茶色がラッキーカラー

烏川 ハル

第1話

   

「今日の講義は、ここまでとします」

 ボソボソした喋り方の担当教官がそう告げた時、窓側の席に座っていた千代子ちよこは、教室の黒板ではなく、外の景色を眺めていた。

 大学の授業は、中学や高校までと比べて、一コマの時間が長い。午前二コマ、午後二コマが基本のスケジュールであり、今日のように午後も三コマ目まである日は、憂鬱な気分になるくらいだ。窓から見える空の色も、爽やかな青ではなく、すっかり夕方の色に変わっていた。

「五限まであると、やっぱり長いねー」

 隣に座る友人から声をかけられて、千代子は振り返る。

 この校舎は緑の木々に囲まれているので、今まで目に映っていたのは、まるで一枚の風景画だった。それが一気に、大学生だらけの教室という、日常の光景に戻る。皆が帰り支度を始めており、既に教室から出ていった者もいるようだ。

 そうした様子を視界に入れながら、友人に対して、千代子は適当に返した。

「うん、そうだね。疲れるよね」

「この後どうする? こんな時間だし、何か食べに行かない?」

 後ろから、別の友人も話しかけてきた。

 夕食には少し早い気もするが、女同士でおしゃべりしているうちに、それくらいの時間になるだろう。一緒に行きたいのは山々だが、千代子は首を横に振る。

「ごめん、私はパス。サークルあるから」

「あら、それは残念。合唱団だっけ?」

「うん、今日は練習日なんだ」

 違うと言いたくなる気持ちを抑えつつ、千代子は頷いた。


 千代子がかよっているのは、いわゆる単科大学カレッジではなく総合大学ユニバーシティ。一学年が何千人という規模の、大きな大学だ。その分、学内のサークルもたくさんあって、千代子の趣味である合唱だけでも、三つのサークルが存在していた。

 一つは男声合唱のためのサークルであり「グリークラブ」というカタカナ名称。「〇〇大学合唱団」という団体は、大学名を冠しているにもかかわらず、女性は同じ市内の女子大から集めるという、インカレサークルだった。

 千代子が入っているサークルは、純粋に同じ大学の学生だけで構成されている。サークル名に『合唱団』の言葉は含まれておらず、代わりに『音楽研究会』という堅苦しい名前になっていた。だから関係者の間で『合唱団』と言えば別のサークルを示すし、『合唱団』と呼ばれるのは、千代子としては少し抵抗があるのだが……。

 合唱に興味のない友人なのだから、それを言ってもわからないだろう。千代子は心の中だけで苦笑いして、視線を教室の前方へと向けた。

「先生、ここなんですけど……」

 一人の男子学生がノートを開きながら、立ち去ろうとする担当教官をつかまえて、熱心に質問を浴びせている。

 彼は千代子にとって、学部の友人であると同時に、同じサークルの仲間でもあった。

 あれではサークルに遅れそうだ。そう思いながら、千代子は小さく独り言を口にする。

玲斗れいとは真面目だなあ。相変わらず」

   

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