第三話 どうかしちゃってる


「ちょっと! 静! なんであんたこの教室にくんのよ!」

「校長先生とお話をしたのですが、見学するならどの教室でもいいですよ、とおっしゃっていたので」

「それでどうして私のクラスに来るってのよ! 何? 嫌がらせ?」

「いえ。むしろ好意からです。なにせ私達、普段は同じ屋根の下に暮らしているものですから嫌いになるのはおかしいでしょう?」

「きゃー、静ちゃんと陽子ちゃん、お揃いでラブラブだー!」

「違うわよっ! ただ家なき子に軒を貸してやってるだけ! それに、一緒に暮らしてたらラブラブっていうなら私も猫のミーとも愛を育んでなければなんないんだけど……」

「あー……みーちゃんって陽子ちゃんにはなんでか懐かないんだよね。どうしてだろ?」

「私にはべったりなのですが。残念ですね」

「何が残念よ! 私、あんたが隠れてアイツにおやつあげてるの知ってるんだからね!」


「むにゃ……なんだぁ?」


 体育の後の数学は、少年にとってまるで眠りの呪文。山口佐登志がすやりすやりと寝入ったまま休み時間に至ったところに、甲高い声が響いて安眠の邪魔をする。

 鬱陶しげにそちらを睨んだところ、その中心で騒いでいたのは彼にとって愛すべき少女である多田野陽子。

 くせっ毛を振り乱しながらきーきー言っているその姿を、何時も通りだなと佐登志は処理する。

 だが面白がる周囲を眺めるに、どうやら最近陽子が少女である山田静がクラスに闖入したのが原因のようだ。ここらへんは何時もと違う。

 陽子が盛り上げる話題の中心であり、更に静の正統派なその綺麗に良くも悪くも惹かれるクラスメイト。将来の転校生を同級が見つめるのもまあ、それは悪くないのだろうと彼も思う。


「っていってもあんなのつまんねぇだろうにな」


 何故か陽子が皆の前で静に、今日は生姜焼きだけどいいかしら、と質問し出しているその展開の早さにも乗り切れず、佐登志は背中に体重をかける。

 ぎい、と二本足を浮かした体に合わなくなって久しい大きさの椅子に全身安堵させている青年は、未だにどこか幼気を残す。

 降ってきた時に目にしたパンツのシワシワまで克明に記憶している割には、その中身の少女に興味を持たない程度に、彼は純。

 そしてなにより、一番佐登志が面白くないと思っているのは。


「あんなフツーに、陽子が取られちまってんのがな……」


 そう、普通。特異がないことが特異でしかない女に、大好きな少女の時間を取られてしまっていることは、男の子にとって遺憾だ。

 アレが、自分より強かったりしたら、諦めも付くだろう。けれども、それは絶対にあり得ないのだ。伊達に自分は【超人】と呼ばれていないのだから。

 少年は、己の強力さに絶対的な自信を持っている。だから、ダダを捏ねる内心を抑えるのが中々難しいのだった。


「ふぅん」


 零した小さな声に気づいたのか、目ざとく佐登志の内心まで見通した友人が隣席から声をかける。

 にこやかにしてばかりいる彼は、志藤富久しどうとみひさ。通称トミー。彼は種としても見目からも怖がられがちな佐登志を、むしろ面白がってからかうのだった。


「なんだい、佐登志。君が本音を口に出しちゃうなんて、よっぽどだね。そんなに彼女が取られて悔しいのかい?」

「……なわけないだろ。ただ、こう……キャッチボールの相手がよそ見してんのがつまんねぇってだけだ」

「君のボールは彼女にしか取れないからね。それもむべなるかな、といったところか」

「……お前、難しい言葉時々使うよな」

「いや。佐登志みたいに、難しい感情を持て余しているよりこんなのよっぽど普通だよ」


 やれやれ。そう言わんばかりのトミーの小さく作られた小さなお手上げポーズを受けて――少しイラッとしながらもむしろ――佐登志は納得を覚える。

 難しくても、言葉は言葉。普通に覚えれば真似できる。だが、心の中のこのごねごねした何かは、どうしたところで表現できずに、他に理解してもらえるとも思えない。


「それも、そうか……」


 好き、なのは間違いない。けれどもアイツに対するこの好きは果たして恋愛程度に留まるものなのだろうか。

 そして、嫌いだってすぐ側にあるのが困ったところだ。いや、それはむしろ憎しみにすら近くなってしまっているだろうか。

 果たして、同級生の女子に愛憎入り混じった感情持った青年なんて、その体が特別であるという以前に普通だとは言えない。

 佐登志はため息を、無理に飲みこんだ。そして、件の彼女を彼は遠く見る。


「なに、静! あんたって部活入ったことないの!?」

「ええ……特に無理に励むこともないだろうと、この方ずっと」

「あり得ないわ! 私なんて、部活するために学校来てるみたいなもんよ!? どうかしちゃってんじゃない?」

「うんうん。陽子ちゃんは、運動部に文化部、全部の部活に入部してる、部活マニアだからねー」

「ええと……それはそれで、大分どうかしちゃってると思うのですが」


 呆れる陽子に呆れる静。二人は対称。釣り合いが取れているようである。お似合いと言ってもいいのだろう。

 しかし、磁石がくっつきあう姿を見ることすら、痛みに変わる、そんな自分を感じた佐登志は。


「俺も、どうかしちゃってるわ」


 そんなことを、口にするのだった。




 山口佐登志は、英雄種である。人からときに生まれる、俗に言われる超人だ。

 彼は強く賢いのが当たり前として生まれ、その通りに成長していった。誰より強く、賢しく。佐登志はずっと人を見て、それに克つことばかりを考えるような生き物だった。


「つまんねぇの」


 しかし、抜きん出過ぎてしまっては、同等さえ失くなるもの。周囲に遊び戯れるものがさっぱり居なくなってしまってから、彼はヒトのための規格でしかない学校というものをつまらなく感じるようになった。

 ヒトが通り過ぎる廊下、それを認め易い位置の壁に背を預けながら、佐登志は独りごちた。

 聞くに、少なくとも超人がまとまって学ぶ学び舎も首都にはあるようだ。けれども、そこは遠すぎた。故に、普通に紛れて退屈を覚える毎日となる。


 走れば、陸上選手をあざ笑う速さで駆けて、拳握り込めば計器なんてぺしゃんこで、そこまでいけば喧嘩すらもはや起きやしない。皆が皆、抜群を恐れて。

 更には、成長期に有り余った力の片鱗は暴力にすら似た。そのため親ですら、扱いに悩むそんな中で、荒れた少年はぶつかる相手を失っていた。


「このっ!」


 けれども、仮にも英雄の端くれが、膿んだばかりの物語を送るはずもない。

 ある日、うざったく悩む少年にキレた少女がいた。どうしてアンタは幸せになりたがらないのだと、心の底から怒って。


「何が、つまんないよ! そんなの一度はぶつかってからいいなさいよ、このアンポンタン!」

「……ぶつかって、それで相手を潰してもいいってのか? アンタ、どうかしてるな」

「っ! ええ、ええ……アンタ、ヒトを舐めてくれちゃってるわね……アンタなんて、逆にぶっ潰してやるわよ!」


 当然ながらそれは、皆幸せでそれがいいと心の底より思い込んでいるいい子ちゃんなツンデレ、陽子である。

 最近越してからよく見る、つまんなそうにしてる少年の独り言に反応したと思えば、彼女はぶち切れた。

 もしゃもしゃ櫛殺しの髪を逆立てながら、少女は佐登志に威嚇する。


「ふぅん……後悔するなよ」


 そんな意気を佐登志は面白がった。だが、自分に対するなんて無謀を軽々としてしまう、少女の危機感のなさが気にもなる。

 これは、思い知らせた方が良いか、少年は思った。そのために、あえて誘いに乗るように彼女にゆるりと掴みかかるように手を伸ばして。


「後悔なんて、しないわよ!」

「がっ」


 少女の右フックをみぞおちに強かに受けることで、逆に思い知らされたのだった。





「あいつ……なんなんだ」


 学校で喧嘩しちゃいけません、と先生にがみがみ怒られながら涙目で連れて行かれていく陽子を、片膝つきながら佐登志はぼうと見つめる。

 ぎゃんぎゃん騒ぎ立てながら、しかし自分を真っ直ぐ見つめていた彼女のことを、一撃の威力と一緒に少年はもう忘れられそうになかった。

 まるで恋するように胸を押さえながら呟く少年に、意外にも声がかかる。


「そうだね。陽子だったら、感情の強弱と比例した火事場のばか力を出せる、稀有な女の子だね。でも、キミと違って普通の範疇ではある」

「……お前もなんだ」


 ゆるい訳知り顔で事情を語る同い年に、佐登志は思わず零した。

 まあ、彼の疑問も当然かも知れない。この馴れ馴れしさは、突然過ぎた。とはいえ、声をかけてきた少年、トミーこと富久にとっては違う。

 彼にとって、クラスメイトに声をかけるのは自然のことだったから。笑みを深めて、富久は指摘した。


「ご挨拶だね。これでも僕は、同じクラスなんだけれど」

「そうか……」

「これを期に、気軽に僕のことはトミーと呼んでくれると嬉しいな」

「分かった、志藤」

「んんっ! キミは冷たいねえ」


 癖になりそうだ、と気味の悪い事を言う富久を半目で見ながら、佐登志は思う。

 そういえば、これまで大差ないからとほかを注視していなかった。だが、これまで――それこそ変態なまで――に個性があるというならば、見逃していたことは間違いだ。

 なんだ、つまらないのは楽しもうとしていなかったせいか。少年はそう理解する。

 富久は得心いった様子の佐登志を見て、にやりとした。


「そうだ。ちなみに彼女の本気はあんなものじゃないよ? 陽子は優しいからね。先の一撃なんて、相当に手加減されたものだった」

「はぁ? あれで? 俺でも痛いってレベルだったんだが……それでも普通の範疇ってのか?」

「勿論だとも。たとえあの子だろうと、からね」

「……どういうことだ?」


 佐登志は意味深な富久の言を疑問に思う。だが、それだけだ。

 陽子はスーパーであろうと、超人ではない。その意味を佐登志はまだ知らない。だからこそ、どうすれば良いのかも分からなかった。

 力に振るわれない少女。多田野陽子の意味とは果たして。あんなのを好きになってもいいのだろうか。

 考え込む佐登志を富久は年不相応な笑みで認めて、顎を指先で掻きながらこう呟くのだった。


「まあ、簡単に言えば、だね……まあキャッチボールを始めるなら彼女がいいだろうってことかな」


 勿論、するときは周囲に十分気をつけてね、とさえずる知っているだけの少年を前に、力持てあます少年は。


「……そうするよ」


 ただ力なく、そう返すのだった。




 傷心に任せて友と別れあえて独り、帰る。

 そんなこんなですら青春といえばそうである。臭いといえばその通りなのだろう。

 曇り空を背景に過去を思い返しきってから佐登志は、そう考える。


「……つまんねぇ」


 そうして出てきた感想はそんなもの。とはいえ別段過去を嫌っているわけではない。ただ、今の心地が面白くなさすぎて、それが影響して言葉になってしまっただけ。

 面白かった過去を望んだところで、つまらない今は変わりない。それはそうだろう。


 だって、今陽子は学校までやって来た静の面倒で手一杯だろうし、邦美も吹奏楽部の練習で忙しい。富久は、知らない間にどこかに消えていた。まあ、アレはアレで忙しいのだろう。


「はっ」


 で部活を免除されていて暇している自分とは大違い。佐登志はそう、己をあざ笑いたくなった。

 超人。そんなこと言われたところで、中身はこんなに大したものではない。好きで嫌いで、それでもやっぱり愛している、そんな少女が離れただけで心が砕けてしまいそうで。


 そんな自分こそつまんないのだと、英雄的な彼の一部は言っている。違いないな、と大したことない大体の佐登志が返そうとして。


「佐登志!」

「っ!」


 それは叶わない。なにせ、大好き大嫌いが向こうからやって来たのだ。信じていなかっただけに、動揺は止められない。


「どうしたんだよ、陽子。山田のことは……」


 そう、どうしたっていうのだ。気に入った相手が困っていたら、まとわりついて、そうでなくったって余計なことしてばかりのお前が。

 あんなとびっきりの一人ぼっち――世界から捨てられた子供――を放って、どうして自分なんかの元へ。

 しかし、そんな佐登志の疑問は、とびっきりの笑顔で答えられたのだった。


「だって水曜日! 今日は、アンタと一緒に遊ぶ日じゃない!」


 そう決めたのは、何時の日か。来週またやろうね、と別れた最初のキャッチボールのあの日は果たして何年前。

 それでも、律儀に陽子は約束を守る。それは、楽しかったから。好きだから。


 そう、片思いではなく二人は互いにとって、本気になっても許される稀有な友達だったということである。

 思わず、佐登志は赤くなった頬を掻いた。


「忘れてなかったのか?」

「ふんっ、忘れてやるもんかっての!」


 陽子は自分の忘れがちな脳細胞にすら歯向かって、そう叫ぶ。

 強気の眦は、まるで怒っているかのようで勇ましいが、しかし実は不安ばかりを抱えていることを少年は知っていた。


「はっ、どうかしちゃってるな」


 言葉に、なんですって、と怒る少女の隣で。少年は猛る胸元を隠すことばかりに必死になって。



 佐登志はいっとき少女に対する羨ましいを忘れ、愛おしさばかりを覚えるのだった。

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