第3話 約束と翌朝
その後。
なかなか帰らない姉を心配した妹から藍川に電話があり、藍川は涙をさっと拭って泣きやんだ。姉の力という奴かな……。
「私、帰ります」
「あ、ちょっと待った」
俺は鞄から財布を取り出し、入っていた諭吉三枚全てを取り出す。それを、半ば無理矢理藍川の手に押しつけた。
「ひとまず、俺が本気だって言う証として渡しておく。月五万円って言ったけど、もう少し余裕があるから、金額は増やしてもいい。とにかく、君はもうこれ以上無茶をするな」
「……はい」
ためらいながらも、藍川はそのお金を受け取った。まずはこれでいい。
「……でも、なんでこんなことをしてくださるんですか? 見返りなしでいいなんて、本気ですか?」
「俺が君を支援するのに、誰もが納得する理由はない。ただ、見返りがなくても、誰かの力になれることが自分の幸せにもなるってことは確かだ。君だって、この気持ちはわかるだろう? 君は妹さんのためにも頑張っているはず。それは、見返りがあるから?」
「……違います。見返りとか、そんなんじゃないです。でも、家族ですし……」
「家族以外を、家族と同じくらい大事にしてはいけない理由なんてない」
「……そうですか」
納得はしていない様子。仕方ない。俺の考えの方が、一般的には異端なのだろう。
「じゃあ、今夜はこれで。また明日にでもゆっくり話をしよう」
「……はい」
「またな」
「はい。また……」
ヒラヒラと手を振って、俺は自室に入る。玄関先で少し待つと、また藍川が元気良く「ただいま」を言っている。健気すぎて泣けてくるね。
「……もう無茶はするなよ」
切にそう願って、俺はひとまず半額幕の内弁当を食べることにした。
そして、その翌朝。
今日は金曜日だから明日は休みだぜやっほい、とか思いながら家を出て、階段を下りたところで声をかけられる。
「あのっ」
「ん? お、おお。藍川さん。今から学校?」
「はい。その……昨日は、ありがとうございました」
ぺこりと丁寧に頭を下げてくる。揺れる黒髪が綺麗だな……。
「お礼を言うためにわざわざ待ってくれてたの? 嬉しいけど、無茶しないでくれよ?」
「それは大丈夫です。無茶とかじゃないです。青野さんが家を出る時間も知ってましたし、昨日はゆっくり休みました。……と言いますか、色々と気持ちが切り替わって、ゆっくり休めました。実は、ちょっと不眠症気味でもあったんですよね……」
「……そっか。それは良かった」
心なしか表情が柔らかくなっているように思う。疲れがかなり取れたのだろう。……俺が家を出る時間を把握されているのは、お隣さんだから仕方ないな。
「でも……その、本当にいいんですか? あのお金……」
「ああ、いいよいいよ。本格的に働き出せば、あれくらいはそこまで大金でもない。そりゃ、誰かに盗まれたとかだったら痛いけど、ちゃんと納得できる使い方をしているから何も問題ない」
「そうですか……。本当にありがとうございます」
「ん。こんななんの変哲もない社会人が、ちゃんと誰かのためになれるっていうなら、それも俺の喜びさ」
藍川が微笑んでくれる。実に素敵である。やはり、疲れた表情など似合わなよな。
「それで、あの……昨日、ゆっくり考えました。今までのことも、これからのことも。それで、確かに、このままじゃダメなんだって、気づきました。気づいたというか、本当はわかっていたのに、それを見ないようにしていたんです。
青野さんに指摘していただけて、良かったです。青野さんに止めていただけて、私、考え直すことができました。
支援してくださるというお話、もし本気でおっしゃっていただけるのなら、お願いしようと思います。……私たちを、助けてください」
もう一度、丁寧に、丁寧に、頭を下げてくる。非常に照れ臭い。
頭を掻きつつ、俺は軽い調子で、そんなの当然、と伝わるように答える。
「うん。わかった。いいよ」
藍川が顔を上げる。また泣きそうだったけれど、悲しそうではない。
「ありがとうございます。本当に……助かります」
「ん。細かいことをきちんと決めたいところだけど……お互いあんまり時間はないよな。相川さんは、いつなら時間ある? 俺は、会社にいる時間以外は基本的に大丈夫だけど」
「私は、明日の夕方なら大丈夫です。バイトは六時までなので」
「そっか。じゃあ、それから少し話そう」
「はい」
じゃあまた明日、と別れようと思ったのだが。
「あの、駅に行くんですよね? 私もなんです。一緒に行きませんか?」
「お、おう……?」
女子高生に同行を提案された。あれ? これ、大丈夫? おっさんと女子高生が並んで歩いてたら、それだけで通報とかされない? お金は渡すつもりだけど、不純異性交遊とは全く関係ないんだけど?
俺のためらいをどう解釈したか、藍川が慌てて付け足す。
「あ、ごめんなさい。急ぎますよね……。私、足は速くないですし……」
「いやいや、大丈夫。電車が遅れても平気なように、だいぶ余裕を持って出てるから。じゃあ、行こうか」
「……はい」
駅までの道のりは、ゆっくり歩くと十五分程。流石に人通りのある場所でお金の話はしにくいので、他愛もない話に終始する。
俺は、自分がとある会社で営業職をしていることや、その会社の雰囲気、家に帰ってから読んでいる漫画の話などをした。
藍川は、コンビニバイトで奔走していることを主に話してくれた。思っていたよりやることが多様で大変だとか、たまに変わったお客さんが来て大変だとか。
藍川がどうして妹と二人暮らしをしているのかなど、深い話はしていない。お互いにまだよく知らない関係だし、そういうのは少しずつだろう。ただ、連絡先は交換して、いつでも連絡が取れるようになった。
いつもより少し遅れて駅に到着。途中まで行き先は同じだったので同じ電車に乗って、藍川が先に電車を降りた。気安く手を振って去っていったのは大変可愛らしいのだが、今の俺は周りからどういう風に見えているのだろう。女子高生と仲良くするおっさんって、無条件でいかがわしいことをしているように思われるよな……。
何もやましいことはありません、あれは親戚の子です、みたいな風を装って、俺は電車の時間をやり過ごした。
……もしかして、これからずっと一緒に通勤通学することになる、とかはないよな? 個人的には全然嫌じゃないし、もちろん心躍る話だが、通報されないか割と本気で心配だ。
悩ましい。けれど、藍川から誘われたら断れる気もしない。
何もやましいことはないのだと、痛くもない腹を探られないように、距離感は大事にしていかないとだな……。
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