第5話


ルゥルカの名前が呪文の一部分だと気付いたのは外道たる行為を何度も繰り返した時だった。


 スラム街では知らなかったがルゥルカの通り名は幾通りもあった。死者を冒涜する事から禁断魔法に名を連ねる屍魔法を操り、各国に無敵の兵士を売り付ける闇の売人、死神等、呼び名は数多くあるが、一番世に浸透しているのは『屍商人』という通り名だ。

 ルゥルカという名も偽名で、その名は代々受け継がれていくものらしい。

 ルゥルカは、その名と屍魔法を伝授する人間を探していたようで、ジルを弟子にすべく、この隠れ家に連れてきた。

 拉致された理由が理由だったので最初は驚いたがジルとしても親友を助けるには力が必要なため、弟子として屍魔法を習得すべくもがいた。


 その結果、二年の歳月が経つ頃には、一人で屍兵を作り上げれるようになれた。


 今日も一人で死体を作り直している時のこと。仕入れなら戻ってきたルゥルカがジルに向けて新聞紙を投げよこしてきた。


「何これ」


 ルゥルカは答えない。元より、屍食鬼グール作製時しか喋らないのだから仕方がないと新聞紙を読む。商売に必要不可欠だと叩き込まれたので難なく読むことができた。

 だが、そこに羅列された文字は予想もしていない内容だったのでジルは固まった。


「……アベル」


 アルトリアスに一人の女王が即位した。

 女王の名前はアデライト。先王の庶子である彼女は長い間、まつりごとから遠く離れた地で暮らしていたが先王が亡くなり、後継者もいない事から女王として王家に迎え入れられた、と記されている。


「無事だったんだ」


 じわりと浮かぶ涙を拭い、ジルは新聞紙に載った写真を撫でた。煤けた灰色だと思った髪は本来なら美しい黄金だったようだ。あの時より長く輝く髪に王冠をいただいたその姿は、かつての面影があった。


「良かった。……いや、良くはないな」


 ジルは眉間に皺を作る。アベルは女王として君臨する事を望んでいないはずだ。スラムにいた時、彼——否、彼女は元の生活に戻る事を嫌がっていた。ずっと、ジルと一緒に暮らしたいと言ってくれた。

 その言葉に嘘はない事は、短くても共に過ごした時間から理解している。


「待ってて、アベル」


 ジルの手の中で新聞が歪に曲がる。


「俺が必ず助けるから」


 ジルは丸めた新聞を部屋の角へ放り投げると机へと向き合った。アベルを救うには国を相手に戦うという事だ。スラム生まれの塵にそんな知恵も力もないのは赤子でも分かる。

 だから、ジルはまず力をつけなければならない。今以上に力をつけて、知恵を深めなければならない。


「ルゥルカ、俺にあんたの全てを教えてくれ」


 幸いなことに、力と知恵を授けてくれる人物は直ぐ側にいた。




 ***




 ジルはそっと瞼を持ち上げた。懐かしい思い出に心を揺り動かされながらも現実から目を背けるわけにいかない。

 あれから五年の歳月が経った。『ルゥルカ』の名を継いだジルは、同じく引き継いだ襤褸ぼろのローブに身を包み、頭を下げた体勢を保っていた。


「顔をあげなさい」


 頭上から降り落ちる玲瓏れいろうたる声音は、昔と変わらない。

 ジルは熱くなった瞼に力を込め、涙が溢れないように堪えた。今すぐにでも駆け寄り抱きしめて、自分がジルだと名乗りたい衝動を理性のみで抑え込む。


「君の噂はよく聞いているよ」


 王座に腰掛けた女王は力強くも優しい眼差しでジルを見下ろした。


「屍商人さん?」


 ジルは答えない。『屍商人』は喋ってはならないと言われているので頷くだけに留めた。


「君は覚えていないかもしれないけど、私達は昔、会ったことがあるんだ」


 ジルが無言を貫いても女王は気にも留めていないようで楽しげに言葉を続ける。


「……いや、覚えているから私に会いに来たのかな」


 女王はジルの背後に視線を送った。

 そこには先日、戦場で戦死の聖騎士長が跪いていた。その目に正気がない点を除けば、生者と何ら変わらない。戦場で負ったはずの傷も汚れもなく、門兵が驚きながら迎え入れたのも不思議ではない。


「君の望みは何だい? 金か?」


 ジルは首を振る。


「わざわざ聖騎士長を届けに来たわけじゃあないだろう。君のは戦場を左右させる程に価値があるのに」


 これには首を縦に。肯定の意を示す。

 生者と違い恐怖や痛みを感じない屍兵は一体につき、数十万の価値がある。アベルのためなら喜んで無償で差し出すが、ジルの本来の目的はまったく別のものだ。

 ジルはローブ越しに手を自分の胸に置き、次にその手を女王へ差し出した。

 すると、女王はゆっくりと両目を見開かせた。


「……私の力になってくれるとでも言うのかい?」


 ジルは頷く。


「ははっ、これはまた心強い味方ができた。君がいれば、私のも叶うはずだ」


 アベルの目的とは何だろうか? ジルはその姿を盗み見た。あの頃の面影が残る美貌はどこか物寂しげな影がさしている。今にもその輝く紅玉から涙が滑り落ちそうだ。

 次の瞬間、女王がぱっと長い睫毛を持ち上げたと同時に寂しげな色は消散していた。自信に満ち溢れた美貌を喜色に染めた女王は、輝く紅玉の瞳でジルを睥睨へいげいした。


「君を私の犬にしてあげる」


 上から降り注ぐ言葉にジルはこうべを深く下げた。



 この日、屍商人は女王の犬となった。

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