第1話② 水瀬日菜と水瀬結月②

 朝から騒々しい二人の姉妹を見て、改めて俺は自分が決心したことを思い出す。


 ……そうだった。俺はこの子たちを……。


「ああもう。お姉ちゃんが大声出すから、光輝くん起きちゃったじゃん。もっと寝顔見てたかったのにー」

「は、はあっ!? 日菜、その態度は何!? あっ、いえ、光輝さん、すみません。妹が大変失礼なことを……!」


 傍若無人に振舞い、無邪気に笑い、自由気ままな妹。対して、一瞬声を荒らげるも、すぐさま素直に頭を下げる品行方正な姉。顔立ちも性格も、絵に描いたような対照的な姉妹だ。

 ……二人して超絶可愛いという点だけは共通してるけど。


「い、いや。それは別に……。それよりも結月さん、これは……ってか、なんで二人して俺の家に……」

 

 早めに言い訳しておくと、俺はこの子たちと同居しているわけではない。コンプライアンスやモラルにうるさい昨今、たとえストーリーを手っ取り早く進めるための舞台装置にしてご都合設定であろうと、最低限のエクスキューズは必要だ。

 ……もうとっくにアウトな気がするけど。


「だってカギ開いてたし。光輝くん、いくらアパートの共用玄関がオートロックだからって不用心じゃない? 内部からの侵入は防げないんだからさ」

「だからって、許可もなく入っていいわけないでしょ!?」

「いや、お姉ちゃんだって勝手に入ってきてるし人のこと言えないじゃん。しかもここ寝室だよ?」

「私はインターホンちゃんと押したの! ここのドアも開いてたし……なのに、光輝さんの返事がなかったから心配になって……」

「だからってそそくさと一人暮らしの男の家に忍び込むお姉ちゃんもなかなかだと思うけど」

「日菜……それ以上言うようなら今日のおやつ抜きだからね」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ! 最近やっと食欲が戻ってきたのにー!」


 そんな凸凹姉妹の漫才のような、それでいて平和な家族ならではやりとりに、俺はやっと、心の奥底からほっとできた。


 だって彼女たちは……。


「……まったく。日菜さん、朝っぱらからやめてくれよ。心臓に悪いって」


 それはそれとして、いまだに胸の奥が脈打っていた。それは、必ずしも驚愕から来たものだけではなくて。……やっぱアウトかな?


「…………」

「え、な、何?」


 なぜか、彼女にじっとりとした湿度の高い視線を向けられる。しかも、どことなく不機嫌そうに。


「光輝くん、だからその“日菜さん”ってのやめてよ。10コも年上の男の人にさん付けされるってめっちゃ背中痒いんだけど」

「いや、このご時世それはダメだろう。いくら10代の年下の子でもさ」


 大の男が、親戚でもない未成年の少女を気軽に呼び捨てにしたら犯罪っぽくない? 最近だと学校の教師とかでも許されないんじゃないの? いや知らんけど。


「今のジェンダー社会、女性を呼び捨てとかちゃん付けで呼ぶなんて即セクハラで訴えられること請け合いなんだぞ? 俺は危ない橋は渡らない」

「そんなこと言っちゃって。ただ女子を呼び捨てする機会に乏しかっただけじゃないのー? 光輝くんってどうて……ピュアっぽいし」


 日菜さんはニヤニヤとからかうように言う。あとそれマジでやめて。シャレにならないレベルで傷つくヤツだから。


「……ノーコメント。どっちについても」


 後者は……うん、プライバシー保護を断固として訴えるが、前者についても見事なまでに図星だった。中学時代、気になっていた子にドキドキしながら試しにちゃん付けで呼んでみたら、「え? 何それ? 馴れ馴れしくてキモイ。止めてくんない?」と真顔で拒否された時のトラウマが甦ってきた。


「まず安全、リスク回避優先のその考え方自体が典型的なモテない男って感じ。いい男はそんな環境でもさらりとカッコいいこと言えるんだよ?」

「因果が逆だ逆。モテないからこそリスクを回避しないと身の安全が脅かされるんだよ」


 イケメン無罪って言葉の通りだ。つまりブサメン有罪ってことだ。


「だいたい、高校生のガキンチョ相手にそんな下手に出ちゃって。男のプライドとか傷つかないの?」


 日菜さんは肩をすくめ、どこか偽悪的にそんなことを言う。

 だが、俺にはまったくもってピンとこなかった。漫画風に表すなら「???」って感じ。


「いや、全然? 年下の未成年相手だからってイキってマウント取れるようなキャラじゃないって。そんな資格があるほど立派な男でもないし。だいたい、日菜さんは別にガキじゃないだろ」

「えっ?」

「水瀬があんなことをして本当に大変だったのに、ちゃんと結月さんと話し合って自分のこれからの生き方をしっかり決めたんだ。なかなか高校生でできることじゃないよ。少なくとも、俺が日菜さんと同じ年の頃だったら絶対に無理だった」


「……光輝くん」


「同情でも憐れみでもなくて、立派だと思ったから君たちに手を貸そうと思ったんだ。それは理解してもらえると嬉しいかな」


 口下手な俺にしては珍しく、流れるように誉め言葉が滑り出してきた。きっと、何一つ偽りのない本心だからだろう。

 日菜さんはくるりと背を向けた。


「な、なんで急に真面目になってそういうこと言うかなー? に、似合わないよー」


 その頬は年頃の娘らしく、瑞々しく熟れた赤で染まっていた。

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