PAの金貨

橘 永佳

プロローグ(1)

 その扉を一言で表すなら、堅牢がふさわしいだろう。

 月明かりに浮かぶ両開きのそれは、巨像を運び込むのを目的としたのかと思うほど大きく、また、一目で重量が推し量れる程度には物々しい外観だった。

 ここ300年ほどは侵入を一切許していない、文字通りの難関であるが、それ以外にはそもそも通過できるように造られていないのだから、城内に入りたければこの正門を通る他にはない。

 城内。そう、これは城だ。

 ただの四角い巨大な箱のような建物だが、卓越した防衛能力を誇る城。人間の豪奢なものとは対を成す、完全に実用性重視に振り切った造り。

 魔獣の主たちが作り上げた居城。

 もっとも、今は“主たち”ではなく“主”だが。

 1000年近く前は7柱の悪魔が主として君臨していたが、ついには最後の1柱を残すのみとなった。その最後の1柱を打ち倒すことが人間の悲願となって久しい。

 最後の悪魔“怠惰のエリー”打倒が、“人間の盾”を標榜するイーティニス聖皇国の悲願なのだ。

 とはいうものの、実際のところは、人間国家では最高の戦力を誇るイーティニス聖皇国でさえも、城の正門にすら到達出来ていないのが現実なのだが。


 その扉に何かがぶつかった。


 と思った瞬間に、轟音と共に爆裂した。

 300年の拒絶を真っ向からぶち破った衝撃は、そのまま意思を持つかのように、一直線に進んでいく。

 無味乾燥とした回廊を、枯れて色あせた広間を、溜まりに溜まった鬱憤を叩きつけんとするかの如く凄絶な自己主張をもって抉り、突き抜けていく。

 その指向性の爆撃は真っ直ぐに向かっていた。

 城主の元へ。玉座へと。

 正門への着弾から音よりも速く玉座の間の扉まで届き、かつ爆砕した衝撃波が、もうもうと粉塵を巻き上げる。

 その中から、その音速と共に――いや、中に潜り込んだままで突き進んできた巨影が飛び出した。


 宙に浮かぶ玉座に被さる影。


 大きさにして人の5倍近く、ゴーレムを人間の体型で言うところの痩せ形まで削り込んだような、細身の機兵。

 その巨体が、まるで似つかわしくない、途轍もない敏捷さで腕を振るう。

 肩に担ぐように構えた片刃の大剣を両手で上段から、神速の袈裟斬り。

 音速超えの速度、巨体の超重量、それらの利点を一切殺さずに放たれる一刀。そこから生まれる衝撃は、正門を吹き飛ばした爆撃と並ぶ、いや、それを超える威力となって玉座を強襲した。


 刹那、玉座を通り越して床、背後の壁まで、ごっそりとクレーター状に窪む。


 例えば、透明な隕石が衝突した瞬間を切り取ることが出来るのなら、まさに同じ光景となるだろう。当然にして、次の瞬間には爆音が響き渡った。

 視界を埋め尽くす粉塵の中で、強襲した機兵は、正確にはその操縦者は、明確な手応えを感じ取っていた。

 確実に直撃。

 紛うことなく、掛け値無く最大最高の威力。この城が更地になっていないことが間違いなほどの一撃だった。

 ――だった、というのに。


「うん、見事だね」


 斬撃をモロに喰らった当の本人の口調は、まるで筆記試験の答案を採点する教官のようだった。

 機嫌が良さげなのは、言葉通りその“答案”の出来が良かった、ということだろう。

 白のシャツと黒の長いタイトスカート、羽織る白衣。いずれも驚くほどシンプルなデザインだが、故に“教官”の美貌が際立つとも言い切れよう。長い黒髪と切れ長の黒い瞳が美しい、無駄のない美女。人間の中では背が高い部類だ。

 そう、人間の女性の姿。


 最後の悪魔、“怠惰のエリー”


「秒速1km弱の速度で飛ぶ巡航ミサイルを障害物を除去しながら先導し、300km以上先の目標に正確に当て、さらにその爆発に紛れてここまで直進して、速度と重量を全て乗せた一刀を命中させる。機体の運動性能、魔力の出力量、それらの制御、共に申し分ないね。たいしたものだよ」


 所々に理解できない単語が混じっているが、称えられていることは機兵の操縦者にも理解できた。

 苦笑する操縦者。


「仕留め損なった相手に誉められても素直には喜べないな。実際、このエアザットの力だよ」


 機兵――エアザットの中からの男の返答。

 その低く張りのある声は、スピーカー越しにも悠然と、飄々とした雰囲気を明らかにしていた。

 人間の仇敵を前にしての落ち着きぶりから、くぐってきた場数が窺える。

 ただ、少なくとも彼にとっては、その言葉に偽りも謙遜もない。

 聖皇国に彗星のように現れた天才魔術具開発者、聖皇国宮廷付研究所長が造り上げた対悪魔用巨大魔術具。それがエアザットだ。

 乗り込んだ人間の魔力を爆発的に増幅させ、仕組まれた様々な各種攻撃・防御・補助魔術具をもって対象を殲滅する巨像。既に証明したように、膨大な魔力で音よりも速く飛び、武芸の達人たる操縦者の動きも滑らかに再現して玉座の間の半分を抉る。

 言うなれば、論外な増幅機能と凶悪な魔術具を備えたフルプレートアーマーを着た巨人になったようなものだ。


「ersatz? いや、ちょっと違うか。まあ、魔力量はそのエアザット?という機体の性能かな? 私に迫る規模を出力出来るとはね。君たちの技術レベルから二段三段飛ばしたぐらいでは不可能だと思うんだけれど。どんな技術革新があったのか、非常に興味深いな。しかしだ、その機体をここまで操って見せたのは君の力量、謙遜することもないだろうに――ええっと――」


「――ああ、グレン・レッドグレイヴだ。グレンでいいぞ」


 小首を傾げる悪魔、エリーの意図を汲んで操縦者、グレンは応えた。


「そうかい? ではグレン君、改めて君は誇るべきだよ。私の体をここまで破壊したのだからね」


 そう言いながら、ちょいちょいと自分の胸元を指さすエリー。

 白衣の下の白いシャツを緩み無く押し上げている実に豊かな双丘。

 その片方が潰れていた。

 胸どころではなく、右肩から左脇腹へと斜めに、エアザットが振るった片刃の大剣が食い込んでいる。いや、ほとんど両断していると言っていいだろう。何しろ刃は背中まで貫いており、つながっているのは文字通り腰の“皮一枚”でしかないのだ。

 ただし、切り口から鮮血もなく肉の断面もない。あるのはただ鈍い光だけ。

 悪魔はいわゆる肉の身体ではないという伝承は、どうやら本当らしい。

 空中でゴーレムのごとき巨体の機兵と正面から相対し、己が身の丈の倍以上ある刃渡りの大剣に袈裟切りにされながらも、サイズ的にはただの人にしか思えない悪魔は意にも介さず辺りを見回す。


「私の皮膚には分子運動の急激な変化を減衰する魔力回路と通常状態を脅かす量の運動エネルギーを相殺する魔力回路が合計64層常時展開していてね、大きくなければ隕石でも止めてしまえるんだけれど、それを力ずくで押し切られるとはね。城の正門やこの部屋も、一応16層は展開しているんだけれど、それが余波だけでこのざまだ。全く、見事な一撃だよ」


 確かに、グレンはエアザットで増幅した大魔力をひたすらエアザットの膂力や推進力に注ぎ込み、それを一刀に全て乗せきった。

 “弧影こえい 三日月みかづき”、全てを一刀に乗せて鋼をも両断する彼の得意技。


「そのエアザットとやらの胸元、盾に金貨の国章ってことはイーティニス聖皇国なんだろうけれど、あの国の剣術はそのレリーフ通り盾あっての技じゃなかったかな? 少なくとも、片刃の剣を両手で持つことは無いはず。というか、これは刀だよね?」


 最後の一言に、エアザットの大剣がぴくりと揺れる。その反応を確かめてから、エリーはさらに続けた。


「君、転移と転生のどちらだい?」

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