平野水③
皿洗いの分際で何をしている、と言おうとするよりも早く、慣れた手つきでハンバーグを焼き、チキンライスを炒め、ハンバーグを裏返したので何も言えなくなってしまった。
「ビーフステーキをパンでおひとりさん、ビーフカツレツをライスでおひとりさん」
チキンライスを盛り付け、ハンバーグをオーブンに突っ込み、またフライパンを出して
「コック、フィッシュフライは揚がってます」
コックがフライを盛り付けチキンライスと一緒にウェイトレスに渡す。
滋賀作はビーフステーキを焼き、
パン粉をつけた牛肉を揚げ、
ハンバーグをオーブンから出して盛り付け、
ビーフカツレツとビーフステーキを裏返し、
ビーフカツレツを油から上げて包丁を入れ、
ビーフステーキとビーフカツレツを同時に盛り付けた。
「ビーフカツレツの中が赤いじゃないか」
「これが美味いんですわ」
カウンターに空いた皿が並んだ、注文の滞りが解消したようだ。
使ったフライパンを手にすると
「ほな、戻ります」
と言って、まずそれを洗って石炭レンジに置いてから皿洗いをはじめた。
ウェイトレスがカウンターに肘ついて、滋賀作に声を掛けてきた。
「あんた、やるじゃない。今までどこかにいたの?」
「はあ、小さな洋食屋を転々としていました」
「こら、下品だぞ」
とパントリーが注意するので
「はあい」
とウェイトレスが生返事をすると、入れ替わりにチキンカツレツの注文が入った。
悔しいことだが、滋賀作の揚げたビーフカツレツがキラキラと輝いて、美味そうに見えた。
衣が白すぎると思っていたが、食べる客の様子を見ると、本当に美味いようである。
しかし、あんな田舎者から学ぶことや屈服するようなことは絶対にないと、コックは口をへの字に曲げた。
パン粉をまとわせた鶏肉を油に入れて、揚がる様子を観察する。
裏返し、これは美味そうな塩梅になってきたと自画自賛である。細かく弾ける油の中で、パン粉が
もう頃合いだと油から引き上げてパントリーに渡すと
「さすがですね、美味そうですね、滋賀作のとは違いますね」
と褒めちぎっている。
自分が作ったものより美味そうと聞こえれば、当然気になる。
皿洗いの隙を見てチラリと覗いた滋賀作は、盛り付けられたチキンカツレツに目を丸くした。
ウェイトレスの迅速かつ丁寧な給仕に、滋賀作が声を掛ける
しばらくすると二等車のボーイが、血相を変えて食堂車に飛び込んできた。
客が、チキンカツレツに当たったそうだ。
航海から帰ってすぐ、従業員一同が支配人室に呼び出された。
ウェイトレスが、コックとパントリーによる嫌がらせや悪行三昧の数々を暴露すると、青ざめたふたりは別室へと連れて行かされた。
「いいの、私もうじき嫁入りするんだから。言いたいことは言った方がいいじゃない、ね? それに言うのも大事だけど、言いやすい雰囲気にするのも大事な仕事よ」
そう言い放ったウェイトレスは、鼻息荒く胸を張った。
「コックの話では新米パントリーが勝手にチキンカツレツを揚げたということだが、そうではないのだね。むしろ助けた方ではないか」
「そうです。チキンカツレツの注文が通ったとき、彼は皿洗いをしていました」
ウェイトレスのハッキリとした証言を聞いて、支配人は考える素振りをしてから、手にしていた紙を開いた。
「わかった、もういい。君たちに処分はないから安心したまえ。むしろ感謝している」
そっと胸を撫で下ろして退室すると、支配人が滋賀作だけを呼び止めた。ウェイトレスもレジも安否を気遣い、閉まった扉に耳を当てている。
「さっきも聞いたことで申し訳ないが、君が一品料理の時間に作ったのはチキンライスとハンバーグ、ビーフステーキとビーフカツレツの四品。そうだね?」
はい、と答えると支配人が手元の紙をじっと見つめて、それは残念だとつぶやいた。
「君にまた連絡したい、悪いようにはしないから安心したまえ。引き留めてすまなかった」
頭を下げて退室しようとすると支配人が思い出すように続けた。
「ああ、それと特急燕は水槽車を外して、給水を兼ねて静岡駅に停車するそうだ。走行中の交代が危険だというのが理由のひとつだ。だから、あのような危ないことは二度とするな」
はい、と言って深々と頭を下げた。本当に危険なことをしてしまったと反省していた。
「それと、わかっていると思うが、あのふたりのような勝手なこともするなよ。いいね?」
かつての支配人の言葉を思い出すと、寒気がして震えた。妙な様子のハチクマを心配して、三代目が顔を覗き込んできた。
驚いて目を逸らすと、隣の貨物列車が目について、更に驚いて飛び上がった。
あのときの水槽車が水運搬貨車となって、つながっていたのである。
「どうしました!」
「いいや、何でもない。ああ……初めて作った料理な、チキンライスやったかなあ」
普段は使わない郷里の言葉と、一品料理であることに驚かされた。
「定食じゃないんですか? あっ、わかった! お客の要望で定食の前に料理を出したんですね? 初めからハチクマさんらしかったのか」
あ、いや、と言葉を濁した。
あのときはまだパントリーだった。
始まる前からハチクマらしい話なのだが、それを三代目に言うのは申し訳なかった。
「違ったな、もう忘れてしまったよ」
ハチクマは、踏んでしまった嫌なものを誤魔化すような笑顔をしてみせた。
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