カレーライス③
「おう! 久しぶりだな。ここにいるっていうことは、また何かやったのか?」
「君がいて助かった。
「それで、何の用だ?」
「不要のフライパンにカレーライス、生卵、あと七輪を貸してくれ」
またこいつは変なことを言い出す、そう眉をひそめつつ頼まれものを集めてハチクマに渡した。
「いずれ大砲の弾にでもなって国に
「古兵なんだ、せめて上等兵にしてやれ。カレーソースは冷めていていいのか? それになんだ、七輪って」
「いや、助かった、ありがとう、ありがとう」
カレーライスが載ったフライパンと生卵をそれぞれの手で掴んだまま、七輪まで器用に持ち、扉を尻で押して、こそこそと厨房を出ていこうとした。
「おい、ハチクマ!」
とんでもない姿勢で立ち止まったので、いつまで経っても変わっていないことに安堵して、つい吹き出してしまった。
「
ハチクマは悪戯っぽく歯を見せて笑い、去ってしまった。
失礼します、と言って支配人室の扉を尻で開けて入ってきた。本当に失礼な奴である。
かなり無理な姿勢でフライパンと七輪と生卵を持ってきたので、支配人は動揺して、とりあえずフライパンと生卵を受け取った。
「おい、まさかここでやるのか」
「厨房で作ると、厨房全体がカレーの匂いになってしまいます」
自分が何をやったのかわかっているのか!
と言いかけたが、せっせと窓を開けて七輪の炭を火箸で突いていたので、言う気がすっかり失せてしまった。
七輪の上にフライパンを載せ、あとは先日さんざんやった要領でカレーとライスを焦げ付かないように混ぜていく。
始めの手順が異なるが、今日は緊急事態なので仕方がない。
支配人室いっぱいにカレーの匂いが広がって支配人の鼻を、胃袋を刺激した。その匂いは開け放たれた窓から外へ、扉の隙間から廊下へと漂って、周辺の人間を無差別攻撃していた。
カレーライス爆弾があったとしたら、日本人はきっと戦意を喪失してしまうだろう。
「あ!」
「どうした! ハチクマ」
支配人が身を乗り出した。
「皿がない」
「取ってくる」
支配人が廊下へと駆けだした。
息を切らせて持ってきた皿に、十分混ざったカレーライスを盛り付けて、中央にくぼみを作り、卵を割り落とす。
この手順を支配人は、夢中になって見つめている。
レストランの古株コックが釣り上げられるものをすべて釣り上げて、支配人室に飛び込んできた。
「ハチクマが匂いを撒き散らすから、レストランの注文がカレーライスばかりだぞ。貴様、何をしている!」
「すまない、取り込み中だ」
「バカモン! 出ていけ!」
まさかの支配人の一喝に、コックは尻尾を巻いて厨房へと逃げ帰った。
「しまった」
「今度はどうした!」
「ウスターソースがない」
「もういい!」
厳めしく皿を奪い取り、カレーライスを
ハチクマが言われた通りに退室して扉が閉まった途端、支配人の顔がほころんでいった。
口角が上がり目尻は下がり、時折「んふっ」と嬉しそうな鼻息を漏らしている。こんなカレーライスがこの世にあったのかと、心から喜んでいる様子である。
しかし食べ進めるうち、何か物足りない気がしてきた。
何が足りないのか、列車食堂支配人として分析せずにはいられない。
コクと深みのある味のカレーソースがライス、そして生卵と混ざり合うことで、
しかし、欲しているのは辛さではない。あるに越したことはないが、あとから加えるのは筋違いというものだ。
そうだ、香り。
これに加えるならば……。
甘さだ、果実のような甘い香りだ。
果実の香り、新たな刺激、それを引き出す調味料とは一体何だ。
ウスターソースだ!
新たな刺激として、果実の酸味を加えるのだ!
ハチクマが無いと言っていた意味が、ようやくわかったぞ。ウスターソースは必須なのだ。
食欲に負けて、ハチクマを追い出した自分自身が
だが、下がるように言ってしまったからには、後悔しても仕方がない。
生卵の抱擁によって、まろやかに変貌を遂げたカレーライスを、最後のひと口まで堪能しようではないか。
だが……
しかし……
しかし……
やはり、ウスターソースが欲しい。
「支配人、ウスターソースをお持ちしました」
とうとう支配人は、渇望に
ちなみに
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