ポークカツレツ①

 食堂車に乗ることになりました。そう挨拶するとコックたちは口を揃えて

「ハチクマという、とんでもない奴がいるから気を付けろ」

などと警告するので、どんなコックなのか尋ねてみると、本当に、とんでもないコックだった。


 滋賀は大津の生まれだが、大御所コックに田舎者の滋賀作と馬鹿にされたので、今は郷里の言葉を捨てて奇妙な東京弁で喋っているそうだ。

 このホテルに来る前は東京や横浜の小さな洋食屋を転々としていたとかで、腕を見込まれ後継ぎに、と頼まれた途端に辞めてしまう。

 自ら志願してホテルのレストランから列車食堂に移ったが、パントリー時代には料理に悪戯を仕掛けていたという。どんな悪戯かは知らないが、他の者より配膳が遅いのは確かだったそうだ。


 しかしハチクマが乗った食堂車は、いつも評判がいい。最初はコックの腕だと思われていたが、調べてみるとパントリーのハチクマが原因だと判明。多くの列車食堂コックの顔を潰して、誰よりも早く異例の若さでコックに取り立てられた。

 厨房を取り仕切っている今でも悪戯癖が治ることはなく、しばしば支配人に呼び出されているという。


「だから、巻き込まれないように気を付けろ」

 確かに困った変わり者だが、ねたみも大いに含まれているようなので、話半分くらいが丁度よさそうだ。跡継ぎに指名された途端に逃げるのは迷惑な話だが、きっと肝が小さいのだろう。

 まったく甲斐性のない奴だ、そんな情けないのがコックだとは笑わせる。


「あと、まかないを作らせてくれないぞ」

 コックを目指す者として、それは許せない行為だった。思わず目頭や奥歯に力が入ってしまい、話を聞かせてくれたコックたちが尻尾を巻いて逃げ出した。


 まかないは、修行中の者にとって貴重な練習の場なのだ。


 俺の実家は浅草の小さな洋食屋である。

「俺がひとりで切り盛りできるうちに、外の世界を見てこい」

と親父に言われて、このレストランの門を叩いた。

 だが広い厨房、十分な設備、大人数で回しているここは実家と違いすぎる。食堂車ならば狭く限りある設備で少数精鋭、実家の厨房に似ているだろうと思って志願した。


 乗ってみてガッカリした。


 今まで働いていたレストランの厨房で、下ごしらえを済ませたものを積み込んでいた。食堂車の厨房では、仕上げしかしていなかったのだ。

 ひとりで切り盛りしている親父の方が、はるかに立派だ。やはり実家で修行していた方が、よかったのではないか。


 きっとハチクマという男も、たいしたことはないのだろう。


 しばらくして、恐れていた日がやってきた。ハチクマと一緒に、厨房に立つのである。

 挨拶の際に、色々と溜まった鬱憤のせいで思わず睨みつけてしまったが、おかのコックのように逃げ出すことはなく、ずっと笑っていた。

「実家は浅草の洋食屋だというね。君で一体、何代目になるのだろうか」

 こんなのは東京弁じゃない、本を読んでいるような喋り方で気味が悪い。そう思いつつ「三代目です」と答えると、すぐに三代目と呼ばれるようになった。

 馬鹿にしているのかと思って奥歯を噛んだが、奴はへらへら笑っていやがる。


 だいたい、まだ二十歳を少し過ぎたくらいじゃないか。こんな軽薄で威厳のないコックなど、認めてなるものか。

「ポークカツレツ、ライスでおひとりさん」

 調理にしたって、あり得ないことばかりだ。

 箱に仕舞っている豚肉に、半端の白ワインを振りかけてあった。箱からカツレツ用の豚肉を取り出すと、厨房いっぱいにワインの香りがぷぅんと漂う。


 その半端を作ったのは、列車の揺れでうまく注げなかった俺なのだ……。


 パン粉は小さな箱ごと氷冷蔵庫に入れてある。何の意味があるのかさっぱりわからないが、とりあえず食材の配置がめちゃくちゃで、効率が悪そうに見えて仕方ない。

 俺がキャベツを切っていると

「腰の一方を台に押し付けたまえ」

 カッとなって力任せに押し付けていると、上手い上手い筋がいいなんて、おべんちゃらを言ってきやがる。褒めたって何も出やしないぞ。


 井戸端じゃあるまい、カツレツを揚げながら話し掛けてきやがった。

「食堂車は一等車と同じ三軸台車を履いているから、二軸台車の二等、三等に比べると横揺れは少ないだろう。縦に跳ねるのは、やむを得ないが……ちょっと手を止めてくれ」

 列車は分岐器ぶんぎきを高速で通過し、ドシドシと横に揺れた。

「……うん、もういい。分岐器だけは敵わないな。これだけは景色や列車の状態で覚えるしかない」


 そう言いながらカツレツを引き上げたが、他のコックより早い。きつね色とは、こんなに黄色いのか。それを油切りのバットに立てると、俺の様子を覗いてきた。

「ふわぁ、糸のように細いキャベツだ! これは凄い」

 コックの癖にこれくらいできないのだろうか、それとも俺のことを三代目のお坊ちゃんだと舐めていたのか、とにかく見え透いたお世辞は、たくさんだ。


 放っておいたカツレツに包丁を入れているが軽々とした様子で、枯れ草を踏むような音がした。俺が刻んだキャベツの丘に立て掛けて、完成である。

「カツレツ美味かったよ。黄金色の衣なんて、なかなかお目に掛かれないな」

 そう。悔しいが、やはり美味そうなのだ。

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