四冊目 池袋ウエストゲートパーク その四

 ♪


 今思い返すと、どうして電気も通っていなさそうなこの家のチャイムが鳴ったのか。

 単純に電池式だったんだろうな。大分古い家だったし、後から取り付けたんだろうね。きっと。草の伸び具合を見るに、住人が完全にいなくなってからそう時は経ってなかったんだ。長くても二三年そこらだったんじゃないかな。

 ぴたり、と声が止む。

「罠?」

「こざかしいな。やつの使いそうな手だ。いいだろう。よし舞ちゃん。それ持って。正面からいってやろうよ」

「ねえ、今日のそれはなんなの? あと正面から三人行く意味ある?」

「わたしぃ、後ろにいていぃ?」

「いいから! 行くの!」

 がらがらと音を立て半分ほど玄関が開いた。

 そこに、ミイラが立っていた。

 瞳を除いた顔を包帯で雑に覆い隠し、さらに両足も包帯で覆っている。黒のタートルネックセーター。同じく黒のキュロットを履いていることからかろうじて同じ女の子だと分かった。白黒のコントラストが目に痛い。靴だけ真っ赤な長靴でそこだけ酷く浮いていた。目線は少し上。年上かもしれない。雑に巻かれた包帯の奥から覗く瞳は酷く眠そうだった。

 右隣。ミイラの影からショートカットを覗かせている。猫背でおっかなびっくりこちらを伺っている。深緑のレインポンチョを着ていた。下は生足。何かは履いてるんだろうけど、なんにも履いてないように見えた。

 左隣。さくらんぼの髪飾りを付けたツインテールの女の子。こちらは一際背が高かった。ツインテールの上に無理やりNYと書いた青の野球帽を乗せていて、ペンギンのロゴが入った黄色いパーカのチャックを上までぴっちりしめている。下は動きにくそうな細いジーンズ。格好だけは男の子みたい。赤青黄。信号機みたい。上にあったせいで顔はよく見ていなかった。

「トリックオアトリート!」

 私の声は酷く弾んでいたと思う。正直正面にいるミイラに最初はびっくりしたけど、すぐに私の仲間だと思った。この子もきっとハロウィンやってるんだって。

 しかし反応は返ってこない。どころか、時間が固まったみたいに三人ともぴたりと体を硬直させていた。よしもう一度。

「ト、トリックオア」

「きゃあああああああああああああああ」

「きゃあああああああああああああああ」

「きゃあああああああああああああああ」

 呪文を唱えることは叶わなかった。女の子たち三人の悲鳴がその場に響き渡って、私はその甲高い声にびっくりして思わず三歩ほど後ずさり、

 そして逃げた。


 ピンポンダッシュ。


 知らず知らずのうちに私がやってしまった人生初めての悪事である。

「お、追え! ほら! 泣いてないでロケ花! 舞ちゃんかんしゃく玉! 体に当てちゃだめだからね!」

「ひっく……ひぐ……うん。あれぇ? えぇっとぉ、あれぇ? ろうそくどこだっけぇ?」

「もう! グズ!」

「いえっさー隊長!」

 振り返ろうとした。けれどカボチャのせいで振り返ってもさっぱりわからない。より視界を悪くしただけ。私は石柱に体をぶつけながらも、めちゃくちゃに腕を振り動かして走った。

 すぐに足音がした。

「は、はあっ、ひぐっ。ひゃあ!」

 ぱあんっ! と破裂音が足元で鳴った。今まで経験したこともないような大音量に涙が引っ込む。家にいると時々聞こえてくる猟銃の音。それがすぐ、間近で。ヤバい。とんでもない場所に入ってしまった。相手は銃を持っていた。撃たれる。怖い。助けて。お母さん。

「こっち」

「うひゃあ」

 歩幅が全然違うのだろう。ノッポの子。その子に後僅かで追いつかれるというところで、ぐいっと横から腕を引かれた。

 坂下に建つ斜向いのお家。そこに引っ張り込まれたらしかった。石柱は無かったけど同じく石塀に囲われたお家。表札はこちらもなかった。あっちと違って二階建てだ。瓦屋根とざらざらな土壁の昔ながらの日本家屋。だけどやっぱり草ぼうぼう。こっちの方が酷かった。

 影に誰かがしゃがんでいた。女の子のようだ。女の子はしーっと顔の前に指を立てる。私はハッと口を抑えようとして、そこにカボチャがあるのに気付く。カボチャがペチンと音を立てた。

 恥ずかしくなってとりあえずしゃがむ。目の前に女の子の顔がある。

「ストーップ!」

「わきゃあ」

「危ないなー。もお」

「もしかしてあのカボチャ。罠だったのかも」

「罠?」

「こうしている間に……戻らなきゃ!」

「まってぇ!」

 ぴったりと塀に張り付き息を潜めた。どうやら三人とも戻っていったらしい。私は体育座りで蹲って盛大にため息を吐くと、改めて正面に向き直った。目の穴の奥にいる私をじっと見つめている女の子――女の子でいいのかな? 雪の結晶柄のぼんぼんの付いたニットキャップを被って、白のタートルネックセーターで鼻先まで覆うようにしている。そのせいで視認できる顔のパーツはぱっちりとした左右の瞳と赤い頬周りくらい。下は白のキュロットだったからそれでかろうじて女の子だと思った。足元は青の長靴。流行ってるのかな、その格好。

「だれ? なにその格好? どこから来たの? このへんの子?」

 口元を覆ってるせいで声がくぐもって聞こえる。助けてくれたとはいえ、興味深気にまっすぐこちらを見つめてくる瞳に居心地が悪くなる。

「あっちから」

 私は山の上を指差した。塀の影で全然見えない。案の定女の子は首を傾げただけ。

「なにやってるの?」

 なにかの遊びをやっているんだ。かくれんぼか、鬼ごっこか。初めて話す相手への緊張と、今のこのわけわかんない状況よりも、そちらへの興味が勝る。

 が、このとき彼女から返ってきた言葉は私の予想を大きく外れていた。

「戦争」

「せんそうってなーに?」

 当時私は戦争という言葉の意味を知らずにいた。最も、目の前の子も知ってるかどうか怪しかったが。女の子は言う。

「一緒にやる?」

「なにを?」

「戦争ごっこ。楽しいよ。一緒に遊ぼ」

「うん!」

 一も二もなく頷いた。カボチャでズレてなんにも見えなくなるほどに。

 一緒に遊ぼ、その一言に相手の持ってる武器のことなんて頭から抜け落ちてしまった。


 ずれてしまった。いそいそとカボチャの中に手を入れて位置を修正した。

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