8話 渇望

 切なる願いを聞き入れてくれたのがうれしかったようで、じいさんは町の酒屋で俺と飲んでる間ずっと号泣して、何度も何度も感謝の言葉を口にした。

 俺も俺でじいさんに礼を言いたいくらいだが、素性がばれぬようにそっと口をつぐんだ。

 酔いつぶれたじいさんと宿屋で別れ、俺は奴との交渉をもう一度やり直すため修道院に帰った。

 なぜかあのコリン・ホワイトが帰ってきた俺を見て、何か言いたげにしていたのも不思議だが…あいつがコリンを傍に着けずに、銀の扉の奥の螺旋階段にたたずんでいたことの方が不思議だった。

 黒いドレスを夜風にはためかせ、奴は俺の方に向き直る。


「逃げなかったのですね」


 顔を覆い隠していた黒いベールを上げ、爛々と光る赤と紫のオッドアイだけが夜闇に浮かび上がる。


「逃げても自由は手に入らないからな」


 俺の言葉の後、部屋に入る奴に続き、俺たちは再びあの日のようにこの部屋で対峙した。

 少しの静寂の後、最初に口を開いたのは俺だった。


「結論から言う。交渉に応じる」

「さて、何を考えてきたんです?」


 腕を組み俺を見据える……奴に気付かれないように、俺はマントの下の短剣の柄をギュッとつかんだ。

 殺す日の夜よりも、緊張している。だが、高鳴る鼓動の理由は違う。

 意を決して俺はその言葉を紡ぐ。


「俺の目的はただひとつ。お前を殺して自由になることじゃない。

 あの国から自由になって、ある人を見つけることだ」


 懐からあの嘆願書を取り出して奴の前に突き付けた。


「国境の農村で人さらいが絶えないらしい。俺の探している子も国境付近でいなくなっちまった…だからまず、ここから探してみたい」

「…つまり、護衛はするから自分の協力もしろということですか」


 これが、俺の出した新たな選択肢だった。

 自由が手に入らないと思っていた。だけど、今俺はブルートじゃなくてラピスにいる。

 言わば、半分は自由だ。

 なら、このチャンスをものにしてみせたい。

 完全に自由になる日は遠いかもしれない、だけどそんなもん待ってられねぇ。

 だから、こいつに交渉を持ち掛ける。

 俺にも協力しろと語りかける。お前だって自由を渇望する気持ちがわかるはずだから。

 真剣な声音であいつに話しかける。


「いつお前のお迎えが来るかは知らないが、何年だろうが俺なら守り通せる」

「国はどうだますのですか」

「なんとかするさ、お前がこの契約で受け入れるならな」

「………」


 問答の末、奴は俺の手から嘆願書をさらうと一枚一枚丁寧に読み始めた。


「人さらいの原因解明と…さらわれた農民の救助、ですか」


 目を通し終えると、奴は星明りを背負って俯いた。

 表情はわからない、首を縦に振ることもしない。

 やっと見つけた新しい選択肢、あきらめさせるわけにはいかない。

 俺は勢いよく頭を下げ、やつに懇願した。


「頼む」


 それだけを言った俺に、奴は何を思うだろう。ふっと息を吐きだした音がしたその後、頭を下げたままの俺に問いかけた。


「…彼女が、どんな姿でもいいのですか」


 その言葉に、胸がつぶれそうになった。

 …考えないわけではなかった。だけど、覚悟を今のうちにしておけと言われたみたいで、もしと想像しただけで一切の希望を失ったような心地がした。

 目の前の感情に惑わされそうになったが、俺は深く呼吸をして奴の言葉の意味を読み取った。

 肯定した、ならばそれだけでいい。

 それだけで覚悟など決まった。


「骨になっていても、俺を忘れていても、どんな姿でも会えればいいんだ。

 俺は、血のブルート兵じゃない。いつだって俺はエスティー・ポードレッタだ」


 奴の前に跪いて、ダガーと短剣を掲げ、俺は自分のすべてを絞り出すようにつぶやいた。


「俺と契約しろ。身代わり女」


 それはブルート兵の血の契約。

 武器のすべてを掲げ、主人となるものに忠誠を誓うというもの。

 奴が作法を知ってるかは知らない、だけど…黙ったままゆっくりと歩みだし

 奴は俺の剣に手をかざした。

 それは、作法通りのもので…


「いいのか」


 魂の抜けた表情でそれだけをつぶやいた俺に、奴は初めて笑いかけた。


「契約成立です。頼みましたよ、エスティー」

「あ、あぁ…」


 やりとげた、その事実が急に実感を持って胸にガツンときて、俺は掲げていた剣とダガーを取り落としてしまった。


「はぁぁぁぁぁぁ~…!」


 全身の力が抜けてしりもち着いた俺に奴は両の手を差し出して握手を交わした。


「契約成立にあたって、私のことはちゃんとキャンディッドと呼んでください」

「は?知らねぇのか?ブルートじゃ主人は契約者に本当の名前を教えるもんなんだぞ」

「ここはラピスですよ。ラピスのルールに従ってください」

「わーったっつのキャンディッドさま」


 やっとほしかったものに手を伸ばすチャンスが与えられた。


「やっと、あいつを探せるんだ…ラピスのルールくらい守ってやるよ」

「そうですか」


 キャンディッドは素っ気無くそう言うだけだった。

 言葉を交わさない俺たちの間を温かい夜風が吹き抜ける。

 この国の貧相な自然も悪くない、そう思えるようになった。








 契約を結び、俺は修道院に用意された自室に戻ってまた手紙と向き合っていた。


「うまい嘘……うまい嘘だ」


 もうすぐグリシャが手紙を回収しにやってくるだろう。それまでに何とかしないと。

 今まではなんやかんやで進む方向が定まってなかったけど、今は目指すものがある。

 このくらい乗り越えていけるはずだ。

 そう決意を新たにいざ手紙を書こうとすると、バルコニーに続く窓からコツコツと音がした。


「まずい、グリシャもう来たのか」


 あいつはでかいから、人目につかないようにいったん部屋に入れよう。そう思って窓を開けるとそこにいたのは


「ゴッシェの黒蛇…!」


 相変わらずお行儀よくお辞儀をして、黒蛇は部屋の中にするすると入ってきた。


「そういえば、ゴッシェにはkeの手紙しか書いてなかったっけな…だけど~…手紙はあの書きかけの奴しかないし…」


 そうやって迷っていたのがいけなかったんだろう。

 俺がぐずついているうちに黒蛇は懐から顔をのぞかせていた書きかけの手紙を見つけ、次に目を向けたときは口にくわえバルコニーへと到着してしまっていた。


「おいおいおい!ちょっと待て!それはまだ」


 だが俺の制止は意味もなく、黒蛇はまたお辞儀をしてバルコニーから身を投げて行ってしまった。


「えー…あ?こういう時どうすればいい?」


 追いかけるべきか考えバルコニーにいると今度は…

 肩を貫く激しい痛み…


「いだだだだだだだ!!!やばいお前も来たのか!」


 案の定俺の肩に大型猛禽類が羽休めしていて、目ざといグリシャは部屋の中に広げられた本国への手紙を見つけたんだろう。

 真っ白な中身は鳥目で認識できなかったみたいで、翼をはばたかせ、おれのかたをはなれると手紙をつかんで夜空へ飛んで行ってしまった。


「おーーーーーい!!グリシャ!それなんも書いてねぇって!!」


 すると今度は夜中に叫んだ弊害が俺の身に降りかかってきてしまい…


「夜中に騒がしいぞベルナー!何時だと思ってる!!」

「今忙しいんだよ!なんでてめぇまで出てくるんだコリン・ホワイト!」

「様をつけろ下っ端!」

「おい!マジでどうすんだよこれはぁぁぁぁぁぁ!!」


 コリンの怒号と俺の叫びは、ラピスの満天の星空に吸い込まれた。




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