2話 能ある兵は刃を研ぐ

 俺の任務の前準備は全てスフェーンがしておいてくれたらしい。


『城に入り込むために、エメを新人衛兵として送り込む。弱小貴族のそのまた下の貴族の出身っていう設定だから、多分扱いは雑だ。誰も気に留めないだろう』


 城下町を突っ切って、城の裏にひっそりとそびえる衛兵塔にたどり着く。

ボロ木の扉を開けると、俺のことを一瞥もせず慌ただしく動いているラピス兵たちがいたが……誰一人として武の才がある奴はいないと一目でわかるレベルだった。どいつもこいつも、図体はでかいんだが歩く軸がぶれまくっている。


(任務をこなす身としては、ありがたいことこの上ないがな)


 心の内は決して出さないように、胡散臭い微笑を浮かべ奴らに挨拶し偽りの名を語る。


「新人衛兵として参上いたしました。エスティー・ベルナーです」


 兵の一人が無造作に奥の棚を指さし、俺に紙を押し付けてきた。

 紙には城の東門へ行けと書いている。あの棚は、周りの様子を見るに制服が入ってるんだろう。

 思った以上に無関心なやつらを横目で見遣り、東門へ急いだ。


 到着した後でわかったが、ここの門はどうやら一番人が来ない場所のようだ。


 人が来ないというだけあって、現れる人間はみな訳ありだった。

 奴隷を罰する貴族が来たり、異端者として検挙された人間を連れてゆく兵が門の内側から出てきたり、胸糞悪い場面ばかり目にして気が滅入る。

 不快に思うのは奴らの行動の理由だけじゃない。奴隷も異端者も黒髪だったからだ。

 

(やっぱりブルート以外の国は、黒髪は下等……なのか)


 かつてこの地にいた古代民、その象徴とも言えるのが黒髪。

 侵略を進めた多くの国は宗教で古代民を異端とみなし、大虐殺を行い、それを正当化した。

 今でも、黒髪の虐殺は珍しくない。

 けど、古代民を助け、古代民に助けられた。そんな歴史を持つブルートじゃ黒髪は、偉大なる魔女と同じであるため縁起が良いとされている。

 ブルートでなければ黒髪の俺は、この年まで心臓が動いていたかどうかすら怪しい。


(茶色に染めなければ、城下町でお陀仏してたかもしれないな)


 信じる物の違いというのはやはり大きいと思い知らされる。


 凄惨な歴史を持った異国に来た、その緊張感を胸に刻み込み新人衛兵一日目が終わった。


 計画は次の段階へと移る。

 仕事が終わったタイミングで、すれ違った兵から、修道院内の教会で開かれるメッサという集まりに参加するようにお達しを受けた。

 標的の姫は、そこの神官。まずは奴の姿を拝むところから始めるのだ。

 メッサとやらに関してもスフェーンから前情報はもらっている。


『ラピスは宗教に関してかなり厳しい。メッサに参加しないときつい罰が待っている……こっちでいうとサバトみたいなものだけど、あんなに緩くないからね?くれぐれも気をつけること』


 ブルートの宗教のサバトは経典を歌にのせて唱える集会だ。今まで比べる対象が無かったから気がつかなかったが、参加しなくてもお咎めなしというのはそうとう緩いんだろうな。

 教会に入った瞬間もそのことを改めて思い知った。既に座ってる奴らは分厚い本を手に持ち、能面みたいな不気味な顔で微動だにしない。

 慣れない緊張感で居心地が悪い。少しでも遠ざかりたいと、俺はたまらず隅の席に腰を掛ける。

 ここに入れるだけで誉れ高き事らしいが、息をするのもはばかられるようなこんな空間、任務なんてなけりゃとっくの昔に立ち去っている。

 息が詰まる雰囲気とは対照的に、教会は開放感を重視したのであろう天井が高い建築で、大理石でできた柱、窓には細工に時間と技術をかけたであろう色彩豊かなステンドグラスがはめ込まれている。

 目がちかちかするほど派手だ。この教会にかけた費用だけで一生暮らせる金が手に入りそうなくらい。


いろいろと…叩けば埃が出そうだ…


(ラピスでのサイファーの仕事は尽きそうにないな)


 そういえば別件で来たらしいスフェーンは何の任務だろう。と、あいつからもらった懐中時計を開きふと考えた。

 カチカチと音を鳴らして長針は17時を指す。すると、教会の鐘が鈍い低音を響かせた。

 どうやら会が始まるらしい。

 祭壇横、木の扉から出てきた3人の神父たちは、分厚い本を台に置くと、ぶつくさと何か喋りだす。

 ……スフェーンが言うには古いラピス語らしいが、ぼそぼそしてるくせに変なアクセントが付いてすごく聞き取り辛い。

 それに


(今日の神官は、こいつらだけか…?)


 スフェーンは一目でわかるはずだと言っていた。

 だけど、この教会の中に異質なやつは見当たらない。


(当てが外れたな)

 

 また次を狙うか。そう思った時だった。

 祈りをささげる信徒たちの背後、教会の扉が音を立てて開かれる。

 振り返って目にしたその光景があまりにも理解できないもので、自分の目を疑った。


 そこにいたのは女。

滑らかな黒のエンパイアドレスを身にまとい、両わきに従者を侍らせている明らかに上流階級の人間。

 従者の一人は鎧に身を包んだ騎士。もう一人のほうは女の顔を覆い隠すためだろうか、傘のようなベールを掲げている。

 布が垂れ下がったそれは腹のあたりまで女を隠し、女が歩くと一緒に侍女も歩き出す。

 向かう先は神父のいる祭壇。

 顔を隠した女を見て信徒たちはざわめきだす。


「……サンティエさまだ」

「珍しいな」

「おぉ、聖女様」

「ありがたや姫様」


 明らかに異質な精神を病んだ姫……

 常に顔を隠したあの女神官……

 周りの奴らの反応からも間違いないだろう。


(あいつだ……)


 最後の内乱の生き残り。

 精神を病み、政治の場から退いた姫…キャンディッド・ロワ・サンティエ。

 王族であるにも関わらず従者は細身の女一人、鎧の女騎士が一人。不自然なまでに守りが甘い。

 姫は従者を引き連れ祭壇へとのぼる。神父の呪文の終わったのを見計らって、ベールの内側から手を露にした。そのまま天に向かって何かを掲げたとき、民たちは呼応し深々と地に臥す。

 俺も真似して信じてない神に跪く。その最中、腕の隙間から聖女の手の中のものを確かに瞳にとらえた。

 こぶしほどの大きさの赤い宝石…


 ラピスでは女系の王の子孫に贈られる赤の秘宝。

 しかし、その真の姿はブルート宗教の神器。アコーニトの赤石。


 姫が石を懐にしまう刹那、きらりと光る長いチェーンがわずかに見えた。おそらく普段はネックレスとして身に着けてるのだろう……

 石をしまったのを合図にして神父たちは姫を守るように取り囲みながらいそいそと裏へ去っていった。

 と同時に始まりの時のようにまた鐘が鳴る。

それが終わりの合図だったようで人々は席から立ち上がり、続々と教会を出ていく。

 人の流れに紛れて俺も衛兵塔への帰路についた。


(あれが赤石の持ち主。上半身は見えなかったが、足首と手首はずいぶんとやせ細っていた)


 メッサに着てきたあのドレスは縁起の悪い黒。

 ……失った兄たちを思って喪服のつもりで着ているのかもしれない。

 

(……赤石は見つかった。あとは青石だけだ)


 来る暗殺に向けて準備を進めればいい……


「…………ハァ」


 自分でも無意識のうちにため息を吐いた。そんな俺とは対照的に道行く人々は能面を脱ぎ捨て、豊かな表情で俺を追い抜いていく。


「サンティエ様が来てくださってよかった」

「今年は豊作になるに違いない……」

「サンティエ様がお祈りしてくださる限りは、ラピスは安泰だ」

「あの方こそラピスの太陽。ラピスに必要な方だ」


 鉛のように足が重くなって、石畳の街中で俺はついに足を止めた。

 はるか遠くの紅い山々に溺れてゆく太陽から目が離せなくて、不快に胸がざわついた。






 衛兵塔に用意された部屋は一人部屋で、部屋というよりか物置に近い。

 床の石が剥げて赤土が見えるし、天井は斜めに迫っている。

 風の通りは悪く、行きどころのない暑い空気がこもって、来た早々なのに俺の額には汗がべったりとへばりついている。

 誰も寄り付かないという点だけは作戦を練るのにちょうど良かった。

 スフェーンに渡された書類にようやく目を通す。

 城の設計図と修道院の設計図一式、サイファーのつながりから来たものだからミリ単位で正確なものだ。

 侵入経路を考え図面をなぞる。決めるのにそう多くの時間はいらなかった。

 増改築を繰り返した修道院故、突起が多く上りやすい。外壁から標的の部屋の窓へそのままのぼれるだろう。

 思考の最中、紙面の端に黒い斑点が見えて、手で払うと


ムニっ


 指に当たった妙な質感に、慌ててその場から距離をとった。

よく見ると端にいたのはシミではなく、とぐろを巻いた黒い斑点模様の蛇。


「びっくりしたぁぁ!……なんだおまえどっから来た?」


 蛇は頭をくいっと持ち上げた。

 頭の先にはちょうど通れそうな細さのレンガの隙間。


(…これは偶然か?)


 俺の頭の中にある可能性が浮かび上がったその時、蛇は姿勢を崩した。そこには一枚の紙が置かれている。

 記されていたのは短い手紙。


『青い石は現王の胸元に輝いている。

 抱えきれぬ困難ならば、私と分かちましょう。

 赤い石のことだけを考えてください』


 差出人は…


「ゴッシェ…もう一人のサイファーか」


 サイファーは情報伝達や施設潜入のために動物の力を借りる時があるということはスフェーンの相棒とガキの頃から一緒に遊んでいたから知ってるが……ゴッシェってやつの相棒はこの黒蛇か。


 しかし、この手紙……どうする


(協力するって、本気で言ってるのか)


 青い石は王の持ち物、赤い石と同じで命ある限り離れない。

 王殺しをこんな簡単にしゃれたセリフで安請け合いするなんて……


「サイファーにとっちゃ朝飯前か……?コードネームがゴッシェってだけあって肝が据わってやがる。

 お前もそう思わねぇか?」


 今にもしゃべりだしそうなほど表情豊かに、黒蛇はゆったりと瞬きをする。そして返事を促すように鎌首を向けるから、俺は羽織っているマントをちぎって、ペンを握った。だけど、続きを書くのはどうも躊躇ってしまう。


「……本当に、こんなこと頼んでいいのか」


 言葉の意味を分かっているのか、蛇は頷くように頭を上下させる。

 意を決して俺はメッセージを記した。

 書き終えて間髪入れずに、黒蛇は口を開き俺の手から布切れをさらって、レンガの隙間へと消えていく。

 再び一人になった部屋で俺は斜めの天井を仰ぎ見た。

 不快な暑さに慣れてきたのか、額にへばりついていたはずの汗はどこかへ消えている。


 ゴッシェに宛てた手紙にはこう書いた。


『三日後、新月の夜にやる』


 





~修道院 奥の院~


 陽が昇る毎に神に祈りを捧げ、常に神に従順な存在であろう。

 ここに集まるのはこのような志を持った同志ばかり。

 祈りの家を一人歩く、銀の鎧に身を包んだ白い髪の女騎士は長い睫毛に縁どられたディープバイオレットの瞳を冷たく重い銀の大戸へ向けた。

 二度、深く礼をして合掌ののち扉を開け、上へ上へとつづく石造りの螺旋階段を踏みしめる。

 たどり着いたのは最深部、北の塔の頂き。

 この国で最も神聖な聖女の部屋である。


「姫、今日こんにちのお祈り……お疲れさまでした」


 女騎士が跪き敬意を示す相手は黒いドレスにベールのついた帽子を深くかぶったうら若き乙女。

 王の血を捨てた姫君、キャンディッド・ロワ・サンティエである。


「神聖なる王の石のご加護を民草にも平等に分けて差し上げるなど」

「民が貧しさに苦しんでいます。今も彼らの声が聞こえるのです。

……叔父様の政治もうまくいってないようですし」

「愚かな宮廷の者どもなぞ捨て置けばよいのです。姫はもう少し天からの恵みを受け取るべきですわ」


 その言葉が暗に示す内容に気が付いたのかキャンディッドはバツが悪そうに女騎士の視界の外へ逃れる。


「……護衛はあなただけでよいのです。祈るだけの私には、今我が手にあるもので十分なのです」

「……あなたは優しすぎます。この前だって反宗教組織を名乗るものにお命を狙われた……あなたが命じなくても、わたしが適当な兵を見繕います」


 キャンディッドが首を縦に振ることはなかった。女騎士もこの結果が分かっていたのか不服そうな顔をしてはいるがそれ以上は言葉を続けない。


「……月の命が短い。コリン、新しい月が出るまで休暇としなさい。

わたくしは夜通し祈りを捧げます」

「……かしこまりました」


 運命の日は、もう三日後。













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