第32話 兄

 次の光景は、どこかのパーティ会場みたいな所だった。舞踏会でも開けそうな大きなホールに、たくさんの着飾った人々がいる。この世界の人々で、こんなに華美な服を着ている人たちは、まだ見ていない。たぶん貴族だと見当をつける。

「――ああ、これね」

 リティーナが懐かしそうに言う。

 

 目の前の光景の人々の間に、どよめきが広がった。出入り口に人々の視線が集中する。何事かと目を凝らして、ぼくは驚いた。きれいなドレスを着たリティーナがいたのだ。側にはローブを着たケントニスさんが控えている。

 リティーナは、さっきより成長していた。十歳くらいだろうか。今のリティーナもかわいいけど、小さなリティーナも愛らしくて実にいい……って、何を考えてるんだ、ぼくは。

「あれが噂の……」

「本当に深緑の目なのですね。陛下の子なのは間違いないのかしら」

「汚らわしい。由緒ある王家に深緑の民の血が混じるなんて」

「緑色のリザードマンとお似合いではありませんか」

 中にはそんな無礼な囁きも混じっている。

 

 人々のどよめきと露骨な好奇心の視線をものともせずに、堂々とリティーナは突き進み、ケントニスさんが後に続く。

 会場の中、ひときわ大きなテーブルの前に、一人の少年がいた。サラサラの金髪で、スポーツが得意そうなイケメンだ。あちらでならアイドルや俳優をやっていてもおかしくない。

 少年の前で足を止めたリティーナはドレスの裾をつまみ、優雅に一礼した。本当に王女様なんだな。

「兄上。この度は、十五歳の誕生日、おめでとうございます」

「おめでとうございます」とケントニスさんも頭を下げる。

 兄というと、この人がカリュプスさんか。まだ神託を受ける前だろうけど、すでに勇者の風格がある。

 

 カリュプスさんとリティーナは異母兄妹だと聞いている。カリュプスさんは正室の子で、リティーナは側室の子だ。実際にこうして見比べてみると、二人はあまり似ていない。

「ありがとう、リティーナ、ケントニスも。にしてもリティーナ、今日はずいぶんとめかしこんでいるね。ドレスがよく似合っている」

 カリュプスさんが褒めると、リティーナは渋面を作った。

「これはスウスが無理矢理に着せたのです。わたしの好みではありません」

「リティーナは、きれいなドレスは嫌いかな」

 ジブリキャラみたいなセリフをさらっと言いやがる。しかも全然嫌味じゃない。これだからイケメンは。

「動きにくいです。これでは剣がうまく振れません」

 リティーナが言うと、カリュプスさんはおかしそうに笑った。

「聞いたよ。ケントニスから一本取ったんだって?」

「はい。勝ちました」

「大したものだ。だからケントニスは剣を止めたのかな?」

 言われてみれば、ケントニスさんは剣を帯びていない。

「理由の一つではありますね。もう、剣に関しては、私が姫様に教えることはありません」

 そんなことないのに、とリティーナが小さくつぶやく。

「それで、剣の次は魔法を極めるつもりか」

「極めるなんて、とても。魔法を学ぶことは、昔からの夢だったので」

「そうか。協力できることがあったら、遠慮なく言ってくれ。ケントニスとスウスはリティーナの恩人だからな」

「王城の図書室を使わせてもらえるだけで十分ですよ」

「ならいいんだが。リティーナも、ケントニスを見習って魔道書でも読んだらどうだ。魔法は便利だぞ。簡単な治癒魔法が使えるだけでも、だいぶ違う」

「わたしは剣の方が性に合っています。ドレスが似合わないように、わたしに魔法は似合いません」

「ドレスは似合っているよ。髪と目の色にぴったりだ」

「兄上は、そうやって行く先々でいろんな女性を口説いているのですか」

 カリュプスさんは、口に含んだ飲み物を吹き出しかけた。

「誰から聞いた、そんなこと」

「アシオーです」

「あいつめ、余計なことを」

「どうやら本当のようですね」

「う、ま、まあ嘘ではない。――だがな、リティーナ、俺が見てきた女性の中で、お前が一番きれいだぞ。これも本当だ」

 リティーナは、わずかに顔を赤らめた。かわいい。そんなリティーナを見て笑った後、カリュプスさんは、表情を改めた。


「なあリティーナ。剣を捨てる気はないか」

「どうしたのですか、突然」

「前から考えていた。俺は、リティーナに剣を持ってほしくないんだよ。もっと言えば、リティーナが戦わなくてもいいような時代が来ればいいと願っている。深緑の民が、本当のウェリス人として受け入れられる世界だ。そうすれば、リティーナだって王城で一緒に暮らせる。お前の母親とも」

 取りようによっては現政権批判ともとられない言葉に、周りにいた人々が眉をしかめた。

「カリュプス様、少しお言葉が過ぎるのでは」

 案の定、胃が弱そうなおじさんがたしなめるように言った。

「何がだ。深緑の民はもう解放されているのだぞ。差別を受けるいわれなどないのに、一向に無くなる気配がない。お前たちの責任でもあるだろうが」

「いや、それは」

「昔の因習を引きずって、新しい風を受け入れようとしない。頭でっかちのせいで、深緑の民は……」

「カリュプス様、ここはそのような場ではありませんよ」

 ケントニスさんが、静かにいさめた。

「――そうだったな。失礼した。ありがとうケントニス」

「いえ、出過ぎた真似をいたしました」

 周りを見渡し、ケントニスさんは軽く頭を下げる。誰かが、トカゲ風情が、と小さな声で言った。たちまちカリュプスさんの顔が険しくなった。

「誰だ、我が国が誇る剣聖を侮辱したのは。恥知らずは前に出ろ」

「いいのです、カリュプス様」

「よくはない。お前が侮辱されたのだぞ」

「あなたのお祝いの席なのですよ。私が侮辱されたことなど、些事です。あなたのお怒りには値しません」

「しかし……」

「ケントニス、兄上の顔も見たし、もう帰ろう。これ以上わたしたちがいたら、迷惑がかかってしまう」

 ケントニスのローブの裾を、リティーナが引っ張った。

「そうですね。それではカリュプス様、私たちはお暇いたします」

「……すまない。ケントニス、リティーナ。俺にもっと力があれば」

 カリュプスさんは心底無念そうに言った。リティーナとケントニスは一礼し、その場を後にする。人々は再び、何事もなかったかのように談笑に戻る。その中でただ一人、カリュプスさんだけが悔しそうに唇を噛みしめていた。


「ケントニスが悪く言われて、あの場で一番怒っていたのはたぶんわたしだった。ケントニスが兄上を諫めなかったら、わたしが怒鳴っていただろうね」と、今のリティーナが言った。

『うん。リティーナなら、間違いなくそうしていたね。殴りかかっていたかも』

 目に浮かぶようだ。

「どれだけすごい実績を残しても、生粋のウェリス人じゃないってだけで色眼鏡で見られる。そういう意味ではリザードマンも深緑の民も同じかもしれない」

 リティーナは寂しそうな横顔を見せる。

「南方から来たケントニスは傭兵だったの。母上と同じ部隊――寄せ集め部隊だったらしいよ――に配属されて、ベレーギアとの戦で目覚ましい活躍を見せた」

『リティーナのご両親と一緒にレグアズデに登ったんだよね』

 それだけ信頼されていたってことだ。

「戦後の武術大会でも優勝したの。母上との決勝戦、すごかったらしいよ。わたしも見たかったな」

『ティエラさんも強そうだったけど、ケントニスさんってもっと強いんだ』

「望めば、高い地位を得ることだってできたはずなのに、ケントニスは何も望まなかった。最後まで一傭兵であり続けた。そして、わたしが生まれたのをきっかけに、わたしの世話役として王宮から離れてしまった。ケントニスはやさしいから、もしかしたら、わたしを憐れんでくれたのかもしれない」

『憐れみっていうのは違うと思うよ。ケントニスさんは、純粋にリティーナを気にかけていたんだ』

 

 ケントニスさんの愛情は、これまでの旅の中で十分に理解できた。それはリティーナにだって伝わっているはずだ。だって、わかりにくいリザードマンの表情の変化を見分けるくらいなのだから。

「わたしは、ケントニスの枷になってないかな。ケントニスが得られたはずの栄光を、奪ってないかな」

『そんなことない。考えすぎだよ。ケントニスさんは、自分の意志でリティーナの近くにいることを選んだんだ』

 届いてほしいぼくの言葉は、リティーナに届いてくれない。どうにかならないのかな。

 眼前の光景が揺らぎ、消えていく。

『……先に進もう』

 ぼくが言うと、リティーナは何かを振り払うかのようにかぶりを振って、再び歩き出した。

 少し進んだところで、三つめの輝きが見つかった。輝きが像を結ぶ。

 

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