第30話 グリフォン

 目覚ましなんてないけど、皆の寝起きはいつもいい。大抵アシオーさんが一番早いけど、今朝はリティーナが最初に起きた。緊張で熟睡できなかったのかもしれない。目がちょっと腫れぼったかった。

 眠そうな目をこすり、リティーナは荷物から清潔な布と木製の歯ブラシを取り出した。近くの小川に行って顔を洗って歯を磨く。キャンプの近くに水場があると、こういう時にありがたいんだろうな。女の子だし。

 

 リティーナがキャンプに戻ると、もう皆起きていて、朝食の準備を整えていた。

 朝の挨拶を交わした後、言葉少なに朝食と支度を済ませた一行は、荷物をまとめて登山を再開した。

 道中、魔物の襲撃は頻繁にあった。結界を張れるのだから、道全体にも施せばいいのにと思ったんだけど、魔物を退けることもグリフォンに会って王の資質を示すための条件なのかもしれない。

 道なりに進み、いくつか洞窟を抜けて、ようやく頂上が見えてきたころには太陽は中天に位置していた。頂上は断崖絶壁になっていて、眼下にウェリスを一望できた。絶景で、ゆっくりと景観を楽しみたいところなんだけど、今はそれどころじゃないよね。


「グリフォン、いないね。どっかでお食事中?」

 ルルディさんが拍子抜けしたようにつぶやいた。

「いいえ、来る」

 リティーナが目の上に手をかざしてまぶしそうに空を見上げる。太陽の光でよく見えないけど、上空を旋回していたらしい大きな影がゆっくりとこちらに近づいてくる。

 やがて、その全容が明らかになった。

「――グリフォン」

 巨大な鷲の上半身に、獅子の下半身。伝説の、鷲獅子。

 大きさは、ぼくが自分の目で見た中では一番大きい動物園の象を超えている。全長十メートルくらいあるんじゃないか。

 大きさもだけど、全身から放たれている威圧感がものすごい。これまで出会ったどの魔物とも違う。聖獣としての強い存在感と迫力があった。CGなんかじゃない、本当の、生きたグリフォンだ。あっちでは架空の存在の聖獣が、今、ぼくの目の前にいる。この体験だけでも、こっちに転生してよかったと思えるくらいの感動だ。

 

 グリフォンは、他の者には目もくれず、じっとリティーナを見つめている。リティーナは、おずおずと口を開いた。

「あ、あの……」

「おいおい、今度の王候補はこんなに小さな女の子なのかよ。まぁ、ありっちゃありか。少なくとも、外見は合格だな。深緑の瞳ってのが何より面白い。新しい波、来てるんじゃあないの」

 ……あれ? なんかこのグリフォン、ノリが軽くないか。もっとこう、厳格で持って回った喋り方を想像していたんだけど。

「……あ、いえ、わたしは、王位を望むためにあなたに会いにきたわけではありません」

 グリフォンの態度に驚いたのか、戸惑ったようにリティーナは言った。

「は? じゃあ何のためよ」

「あなたに試練を授けてもらうためです」

「試練って、王になりたいわけでもないのに? 物好きだね、お嬢ちゃん。しなくてもいい苦労なんて、しなくていいんじゃないの。今時そういうのはやらないだろ。肩の力を抜いて、もっと気楽に行こうぜ」

「い、いえ、そういうわけには……」

 リティーナは完全に押されていた。まさか伝説のグリフォンがこんなに砕けた態度で来るとは思っていなかったのだろう。もっと厳格でおっかないのを想像していたに違いない。ぼくだってそうだった。

 

 二人のやり取りを見かねたのか、ケントニスさんが口を挟む。

「恐れながらイードルム様、こちらにおわすはウェリス国第一王女にして、神託を受けし『勇者』、リティーナ・スティーリア様です」

 そういえば、ケントニスさんはグリフォンと面識があるんだった。イードルムというのがグリフォンの名前らしい。

「わざわざありがとよ、ケントニス。でも見りゃわかる。そういう気配が立ち上っているからな。このお嬢ちゃんは、間違いなく勇者だ」

 ノリは軽いがさすがは聖獣、なのかな。

「わかっていたのなら、お戯れはおやめください」

「悪いな。俺とまともに話してくれる人間なんて、滅多にいないからな。麓の奴らは拝むばっかでさ、つまらないんだよ。それに、真面目な子を見るとからかいたくなる。かわいければ、特にな」

 グリフォンは器用に片目をつぶってウインクして見せる。リティーナがかわいいというのには同意するけど、からかうのはどうなのさ。小学生男子かよ。


「お嬢ちゃんは、ティエラとイエティスの娘か」

「そうです」

「だと思った。お嬢ちゃんの母ちゃんも美人だったぜ。おっかなかったけどな。イエティスの奴は尻に敷かれてるんじゃないのか」

「そ、そんなことはないと思います」

「ねえケントニス、このグリフォンって、本当にウェリスの守護聖獣なの?」

 ローブの裾を引っ張り、小声でルルディさんが尋ねた。疑いたくなるのも無理はないと思う。ぼくも最初の感動はどっかに吹っ飛んでいた。

「ああ、間違いないよ。エルフの嬢ちゃん。きみも別嬪さんだな。どうだい、俺の背中に乗って空の散歩としゃれこまないか」

 ばっちり聞こえていたらしい。グリフォン――イードルムさんが答えた。

「……っ。え、ええ、それはどうも、ありがとう。せっかくだけど、散歩はまた別の機会に」

「イードルム様、今はそれよりも」とケントニスさんが再び口を挟む。

「わかってるよ。深緑のお嬢ちゃんの試練だったな。別に受けてもらうのは構わないが、何のためにだ?」

 

 リティーナは背中からぼくを抜き放つと、グリフォンに掲げてみせた。

「わたしと、この剣の力を引き出すためです。魔法鍛冶師のオリクトさんから、この剣はわたしの精神と深く関わっていると聞きました」

 イードルムさんは目を細めて、ぼくをじっと見つめた。魂の奥底まで見通されているような気持になる。

「ふぅん。面白い剣だな。女神ルクス・ソリスの仕業か。なるほど、確かにそいつはお嬢ちゃんの心の持ちようによって、強さが変わる剣だ」

 もしかしてイードルムさん、ぼくに気づいたんだろうか。試しに呼びかけてみたいけど、話の邪魔をしちゃ悪い。

「わたしは聖剣グラムと、魔王に勝たなくてはいけない。どうか、協力してはいただけないでしょうか」

「魔王はともかく、グラムだと?」

「はい。聖剣を持って旅に出たわたしの兄、勇者カリュプスは魔王に破れ、グラムは敵の手に落ちました」

「……そうか。だからお嬢ちゃんが新しい勇者に選ばれたのか。まったく、女神も罪なことをする。生まれつき試練を背負っているような子に更なる試練を課すのか」

 天を仰ぐと、イードルムさんは誰ともなしにつぶやいた。それから視線をリティーナに戻す。

「で、お嬢ちゃんは俺の試練がどんなものか、知っているのかい?」

「いいえ」とリティーナは首を横に振った。

「ケントニス、お前教えなかったのか」

 イードルムさんが咎めるように言うが、ケントニスさんは涼しげな顔だ。

「教えたところで、姫様の気持ちは変わらなかったでしょうから」

「ああそう、そういう子なんだな。だったら遠慮はいらないか」

「はい。どのような試練でも、受けて立つ覚悟です」

「威勢がいいのは結構だけど、下手したら精神がぶっ壊れて廃人だぞ。それでもいいのか?」

「精神、ですか」

 意外そうにリティーナが言う。

「そうだよ。試練って、もしかして俺と戦って自分の強さを証明するようなヤツだと思っていたかい」

「……思っていました」

 リティーナって、割と脳筋思考なところがあるよね。

「正直でいいね。けど、ハズレだ。王候補の奴と毎回戦っていたら俺の身が持たないよ。それに、加減してもうっかり殺してしまうかもしれないし、逆にこっちが殺されるかもしれない。王になる人間の中には、そういう化け物が稀にいるからな。深緑のお嬢ちゃんは、どっちかな」

「わたしは、あなたをどうこうしようとは……」

「抑圧された鬱憤は我知らず身の内に蓄積され、凶暴さを育む。気づいてないだろうが、お嬢ちゃんには狂戦士じみた部分があるぜ」

「わたしが、狂戦士……?」

 

 バーサーカー、ベルセルク。敵味方の区別すらつかず、見境なしに戦場にいる者を皆殺しにするという伝説の戦士だ。

 リティーナの戦いぶりを思い返すと、確かに危うい部分がないわけではない。特に、先日のスケルトンとの戦いの際はそれが際立っていた。

「俺が人間に課す試練は、そういった、自分じゃ知らない、無意識に目を逸らしている部分も浮き彫りになるっていうものだ。廃人っていうのは脅しじゃない。事実、耐えきれずそこの崖から飛び降りた王族もいたくらいだ。お嬢ちゃんの場合は、ガチでエグめの狂戦士になる線が濃いな。そしたら、多分元には戻れない。それでも、試練を望むか?」

 グリフォンが問う。本当の狂戦士になる可能性を突きつけられても、リティーナは迷わなかった。

「――望みます」

「よし、いいだろう。覚悟は本物だな」

「ちょ、ちょっとリティーナ、本気なの?」

「そうだぜ姫さん、考え直すなら今だ」

 ルルディさんとアシオーさんが揃って顔色を変えた。無理もない。ぼくだって、本音を言えばやめてほしい。でもきっと、リティーナは――。


「ケントニス、ルルディ、アシオー。三人にお願いがあるの」

「なんでしょうか」

 真っ先に応えたのは、ケントニスさんだった。

「わたしがだめになって、あなたたちに襲いかかるようなことがあったら、その時は迷わず殺して」

 そう、リティーナは、絶対に意志を曲げないだろう。これがどんなに残酷なお願いか知っていても。

「わかりました。責任をもって、姫様をお止めします」

 ケントニスさんはためらわず、リティーナをまっすぐに見据えて言い切った。

「おいケントニス、本気で言ってるのか」

「私は姫様を信じますよ。あなたは信じないのですか」

「そりゃ信じたいけどよ、万が一っていうこともあるじゃないか」

「万が一が起きた時のためのお願いなの。ね、アシオー」

 リティーナは、アシオーさんに真摯な目を向ける。黙っていたアシオーさんだったが、やがて根負けしたのか、吐き出すように言った。

「ああくそ、わかったよ。やってやるさ。その代わり、俺にできるのはせいぜいサポートくらいだ。姫さんとやり合ったら一瞬で斬り倒されるのが関の山だからな」

「ありがとう。ルルディも、いいよね」

「あたしは、リティーナと殺し合いなんてしたくないよ」

 うつむいたルルディさんは、消え入りそうな声で言った。

「ルルディ、でも、わたしは」

 ルルディさんが顔を上げた。泣き笑いみたいな顔だった。ぼくまで泣きそうになる。ルルディさんにとって、リティーナは相棒であり親友だ。殺し合いをするかもなんて、考えたくもないだろう。

「わかってるよ。リティーナは言い出したら聞かないものね。――きっとやり遂げてね。応援してるから」

 それでも、彼女はリティーナを信じて拳を突き出す。リティーナはうなずき、拳を打ちつける。それから、イードルムさんに向き直った。


「さて、こっちはいつでもいいぞ。お嬢ちゃん」

「お待たせしました。よろしくお願いします」

「ああ。んじゃ、始めるぜ。こっちに来な」

 リティーナが近づくと、イードルムさんは鷲の爪を掲げた。

「ウェリスが守護聖獣、イードルムの名のもとに、王の血を持つものに、試練を与えん」

 呪文を唱えるような独特の言い回しだ。実際に魔法のようなものなのかもしれない。イードルムさんは、光り出した爪をリティーナの頭に乗せる。

「無事に帰って来いよ。剣共々な」

 そこでぼくの意識は暗転した。

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