#29 きょうだいということ

 次の日、土曜日。誠弥と秋はお見舞いに巧人の家を訪れていた。高校から歩いて五分程の場所にある槙野家は一際目を引く敷地の広さで、実は校舎の一定の場所からも見えるのだが、いざ目の前にして秋は驚きを隠せないでいる。


「広……。これ、ぜーんぶ巧人ん家? 何世帯か一緒に住んでんじゃねーの?」

「タクの家族しか住んでないよ。俺も初めて来たときは秋と似たようなこと思ったなぁ。これが大学病院の医者クオリティか……ってね」

「オレん家何個分あんだ……? 妹とか弟に見せたらお城と勘違いしそう」


 誠弥がインターホンを鳴らす。すると「はーい」と女性の声がした。巧人の母親が応答したらしい。


「わざわざ来てくれてありがとうね、杜松くん。あら、あなたは……」


 出迎えた母親はこれから外出するのか、ナチュラルながらしっかりと化粧をしている。


「はじめまして! オレ、柞木秋って言います! えっと、巧人とは同じクラスで……友達っす!」


 誠弥の半歩後ろに立つ秋は緊張しているのか、ぎこちなく話し動きも少し硬い。しかし、秋の屈託くったくのない笑顔を見た母親は柔らかく微笑んだ。


「そう、あなたが。柞木くんね、いつも巧人がお世話になってるみたいで」

「お世話なんてそんな! 勉強教えてもらったりオレの方が世話になってるくらいっすよ!」

「ふふ、そうなのね。巧人なら今は部屋にいるから顔を出してあげて」


 母親に招かれ玄関に入ると、秋はまた目と口を大きく開きオーバーなリアクションで驚いてみせた。


「当たり前だけど中も広い! 迷子なりそう……」

「大丈夫よ。巧人の部屋は階段を上がって左手から二番目のところだから。杜松くんは分かるわよね?」

「はい」

「じゃあ、センセーについてく!」


 二人揃って「お邪魔します」と言い、靴を脱いで家へ上がる。目の前にないのなら階段は一体どこにあるのか、秋はきょろきょろしていた。


「もう少ししたら仕事で出ないといけないから、巧人のことよろしくお願いしてもいいかしら?」

「それはもちろんですよ」


 入ってすぐ右手にあった階段を上っていく誠弥と秋を見守り、母親は「何かあればすぐに連絡してね」と伝えた。

 二階も三人で暮らすには十分すぎる程のスペースがあり、階段から左右に長い廊下が続いている。さらに、階段はまだ上へと伸びている。秋にとってはもはや未知の世界で、首を上下左右に忙しなく動かしている。


「広くてなんだかどきどきしてくるよね、テーマパークとか来てる気分」

「あー、そーゆー感じなのかこれ……。何が楽しいのか分かんねーけどわくわくしてくる感じ、慣れなくて緊張もしてて全部から目が離せない」

「二階は家族それぞれの部屋と客室が二部屋と書斎があるんだったかな。この上にも部屋があるらしいけど、『怖くて行けない』って昔タクが言ってたから俺も入ったことない」

「へぇ、そう言われると気になる。でも、今は巧人のお見舞いが先だよな!」


 秋は言われた通りに廊下を左に進み、二番目に見えた扉をノックした。するとすぐに巧人の声が聞こえてくる。声を聞く限り、体調の悪さは感じられない。


「……悪いな、家まで来てもらって」


 パジャマ姿の巧人はその服装のせいか、顔色はいつも通りだが病人であることを二人に実感させる。


「いいって! 友達の見舞いなんて、来て当たり前だろ?」

「そうだよ、何も遠慮することないからね。体調はどう?」

「今朝には熱は下がった。まだ少し怠さはあるが、おおむね本調子だ」

「そっか、良かった。今は寝てた?」

「いや、昨日から寝過ぎてて全然眠くないから本読んでた」

「寂しくて眠れないってわけじゃない? でも、もう大丈夫だからね」


 巧人は「寂しくなんか……」と否定するが、その表情は誠弥には見えないところで緩んでいた。


「ま、元気なんだったらいつもみたいにしゃべろーぜ。はい、これ茜センパイからのお見舞いのお菓子!」


 秋はいっぱいにお菓子の入ったビニール袋を巧人に渡す。メモが貼り付けられていて、『おだいじに~』と小さな丸文字で書いてあった。


「茜川は家がかなり遠いから来れない代わりにって、昨日タクが早退したあとに買いに行ってくれたんだよ。月曜日、学校来られそうだったらお礼言ってあげてね」

「ああ」


 誠弥と秋を部屋に招き入れ、適当にテーブルに向かって座るように言うと巧人は「飲み物用意する」と言って入れ替わるように部屋を出る。一歩踏み出し扉を閉めようとしたところで二人に揃って「病人なんだから」と制止されベッドに戻された。


「ベッドにまで戻らなくてもいいだろ」

「いやいや、それじゃ気付いたら立ち上がってそうだし!」

「そうだね、俺たちはお客さんだからとかなんとか言ってさ」

「…………」


 二人の言うことがもっともすぎて反論する余地もなく巧人は大人しく脚だけ布団に入りベッドに座った。しかし、来客にお茶の一つも出せないと情けなくてもやもやして落ち着かない。もどかしさを感じていると、仕事へ行く準備を終えきっちりとした身なりをした母親が、鞄を片手に麦茶を持ってきてくれた。「夕方過ぎには帰ってくるからね」とだけ言い残し、母親は心做こころなしか急ぎ足で部屋を去っていった。


「ほら、お母さんが用意してくれたからタクの出番はないよ」

「てか、巧人って母ちゃん似なんだな。そっくりすぎて一瞬びびった」

「よく言われる」


 巧人は誠弥に勧められ、楓からのお見舞いの蒸しケーキを口にする。スーパーで買ってきたもののようだが、しっとりとしていて柔らかく優しい甘さが弱っていた身体に染み渡った。


「昼飯前にあんま食い過ぎんなよー。オレが美味い飯作ってやるからさ」

「秋が?」

「おう! 弟妹きょうだいが風邪引いたときにいっつも作ってる雑炊があんだ。食ったら元気百倍になること間違いなし!」

「元気百倍……すごいな。それは気になる」

「だろ〜? 作ってくるから台所借りるな」


 秋が食材を持って席を立ち部屋から出ると、誠弥は身体ごとベッドの方へ向き巧人の顔を見て口を開いた。


「ねえ。タクがちっちゃい頃、熱出したときに俺がおかゆ作ったの覚えてる? 分量間違えてすごいしょっぱくなっちゃったのに、タクは『おいしい』って笑ってくれて……」

「ああ。ちょうど昨日、保健室で寝てたときその夢を見たんだ。はっきり覚えてないからかふわふわしてたが、兄さんが作ってくれたおかゆはたしかに美味かったと思う」

「タクはあのとき熱が上がってぼーっとしてたから夢現ゆめうつつだったのかも。本当にしょっぱくて二口目にはなかなかいけたものじゃないひどい味だったから」

「兄さんが作ってくれたものなら、たとえどんな味でも何口でも食べられる……」


 虚ろながらはっきり覚えている、あのとき口いっぱいに感じた味。甘くてとろけるような味だったのは、間接キスの――誠弥の味が色濃いせいだったのだろうか。巧人にしょっぱさの記憶は全くなかった。


「好きな人が作ったものならなんでも美味しくなるってやつみたいだね」

「へ……?」


 間抜けた声が漏れた。窓からは真昼の日光が強く差してくる。背中が熱くなっているのに反して巧人は寒気を感じた。


「俺もタクが何か作ってくれたら、どんな出来でも全部食べちゃうと思う。きっと秋の弟妹も大好きな兄ちゃんが作ってくれた雑炊だから元気百倍になれるんだろうね。いや、秋の場合は本当に料理上手だからってのもあるだろうけど」

「きょうだい、だからか……」

「うん。きょうだいだって大好きな大切な人でしょ。俺たちはそうじゃない?」

「いや、そんなことない。だが……俺は本当の弟じゃないのに、どうして兄さんはずっと俺の傍に居続けてくれるんだ?」

「うーん……どうしてだろうね。考えたこともなかったな、それが当たり前になってたから」


 誠弥はベッドに腕を置いて巧人を見上げ、はにかんだ。部屋に貼られた世界地図のポスターや望遠鏡、勉強机、その隣の本棚に飾られてるヒーローのフィギュア。巧人と過ごすことは、それらが八年前から何も変わらないことと同じなのだ。


「俺には血の繋がった……タクの言うところの本当の兄弟はいないし、タクが俺にとっての唯一の〝弟〟だから、本物とかそうじゃないとか関係ないんじゃないかな。だから俺はタクの傍にいる、これからも。タクがいやになるまではね」


 誠弥は「答えになってないかな……」と頭を掻きながら巧人の反応を見た。表情の変化に乏しい巧人は首を縦にも横にも振らないので、心の内が読めない。


「……俺が〝兄弟〟辞めたいって言ったら?」

「俺たちが本当の兄弟じゃないからそんないじわるなこと言うの?」

「そうじゃない……ただ単にどうするのか訊きたいだけだ」

「そのときはきっぱり〝弟〟離れするよ。兄ちゃんが執着してちゃ面目が立たないからね。は生徒の一人、高校を卒業したらただの顔見知りの知り合い」


 巧人の頭にいつかどこかで聞いた言葉が浮かんだ。「これだ」と言えるものがない――それはとても悲しくて不安定で心の拠り所を失った根無し草のようだ。誠弥にとって巧人は〝弟〟か生徒で、そうでなければ――。赤の他人なのだ。

 〝兄弟〟なんて偽物の関係も、教師と生徒なんていつかは終わる関係も捨てて、永遠に続く本物の恋人になりたい。一番伝えたいことは言葉にならず、代わりに涙が一筋頬を伝った。


「あれ、寂しくなっちゃった? 俺もそんなのいやだよ。だから、タクがその涙を流してくれる間は俺から離れたりしない。約束する」


 誠弥は小指を差し出した。巧人は自分の小指をぎこちなく絡め、結ばれた指をじっと見る。誠弥に触れられた、その小さな達成感で気分が高揚し、もっと誠弥を求めてしまう。空いていた左手で差し出された誠弥の手に優しく触れる。そしてゆっくりと開かせ、指を一本一本絡め取り強く握った。頬が紅潮し、どきどきが止まらない。ただそれが堪らなく幸せだ。


「ふふ。ただの知り合いになんて、なりそうにないね」


 誠弥の微笑みが日の光に照らされ輝く。握られた手の指を優しく折り曲げ握り返すと、繋がれたままベッドに置き、背を向け楽な姿勢をとった。


「手なんて久々に繋いだね。すっかりおっきくなったけど、甘えん坊なところは変わってないみたいで嬉しい。こんなにぎゅって握って……可愛いなぁ」

「兄さんは、手を繋いでもいやじゃないんだな……」

「いやなわけないじゃん。兄ちゃんは頼りにされたり甘えられると嬉しいんだ、長男のさがが根付いてるんだよきっと」

「じゃ、じゃあ……もっと――」


 もっと触れてていい? そう言いかけた声が喉に引っかかる。なんとか押し出そうとする反面、きっと許可される権利を都合良く行使こうししてしまうことを恐れ、喉元に違和感が残り続ける。

 苦しくなってきたところに秋が土鍋を持って現れる。どきりとして誠弥から手を離し、救われたように息を大きく吐き出した。

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