第3話




 翌日、大学で一緒にカラオケに行く人間を募りつつ授業を終え、INAPOに向かった。その途中、ヒバリはビルから出てくる千代原と出くわした。


「あれ? 千代原さん!」

「おお、ヒバリさん」


 黒手袋に包まれた手を挙げて応える千代原に、ヒバリは駆け寄る。

 シキョウといい宮月といい癖が強い大人ばかりの中で、千代原は由貴の一件からヒバリを気遣ってか何かと連絡をしてくれており、接しやすい安心出来る人間だった。


「学校終わりかな?」

「はい。千代原さんはどうしたんですか? 何か、事件とかですか?」

「うーん……そうだね。とは言っても、吸血鬼は関係ないかもしれないんだけど」


 曖昧に頷く千代原。寒いのか両手を擦り合わせて、安心させるような笑みを浮かべた。


「そう不安げな顔をしないで。誰かが死んだとか、そういうことではないから。宮月さんが話してくれるから行くと良い。それと風邪に気をつけて。女の子のオシャレはわからないけれど、ヒバリさんは少し薄着過ぎるね」


 千代原はヒバリのデニムジャケットを指して、今度は困った風に笑った。笑顔の似合う男だ。綺麗な笑いジワが年齢相応に薄らと刻まれている。ヒバリが「はい」と返すと、千代原は最初に会ったときと同じように肩を叩いてそのまま去っていった。


 ──癖なのかな。


 優しく叩かれた肩を一瞥する。人肌の温度が移ったような感触が、そこに残っていた。




 オフィスに入ると、妙に慌ただしかった。中央付近のデスクに、宮月を中心に職員が集まって、シキョウも日が沈む前だというのに仮眠室から出てきている。窓のカーテンが閉じられているのはそのためだろう。


「あの、外で千代原さんに会ったんですけど……」


 声をかけると、宮月が顔を上げた。ずれた丸眼鏡を鼻筋に乗せ直しながら、彼はヒバリを手招きする。モニターの陰になって見えなかった手元には、資料らしきものが数枚握られていた。


「なんや、新宿近辺でここんとこ行方不明者が出てるみたいなんよ」


 はい、と手渡される資料。行方不明者のリストらしい、顔写真と共に名前や所在地、最後に目撃された場所などの簡単な情報が載っていた。ページを捲っていくと、最後の用紙に『吉岡ゆういちろう』という男性の名前と写真があった。


「吉岡さんって……」

「そう、うちで雇うてる提供者。家にも行ってみたんやけど何日か前から留守みたいで、家族も居場所わからへんみたいなんや。いなくなっとるのは若い子も何人かいて、家出やらかもしれへんのやけど人数がここ一ヶ月でグッと増えとってや。ボクら夜に新宿うろちょろしはるでしょ。見かけたら教えてほしおすって」


 デスクチェアに座りながら宮月はそう言ったが、仕事ついでに頼まれてほしいという内容と、職員達の深刻そうな表情はどうにも釣り合っていない。


「……それだけですか?」


 探るように、宮月の軽薄な雰囲気のある顔を見詰める。彼が短く溜め息を溢したのを、ヒバリは見逃さなかった。彼はヒバリには答えず、シキョウに視線を投げた。それに応えるように、シキョウが口を開く。


「……実態の見えない行方不明事件は、吸血鬼が関わっていることが多い。ハーメルンの児童集団失踪事件なんかがそうだ」

「ハーメルン……『ハーメルンの笛吹き男』? 童話のですか?」

「実際にあった事件だ。子供の血が好物な吸血鬼が大勢さらって全員殺した。洞窟と森で合計十五人。当時同じ地域に生きていた吸血鬼がそう証言している。……千代原が私達の元に来たのは、暗にその可能性はないかと訊きたかったからだ」

「かんにんなヒバリちゃん、これシキョウ君の被害妄想入ってるさかい。実際は組織的な犯罪とか、大きな事件かもしれへんって話。吸血鬼って断定してるわけちゃう」

。宮月、君ではなく私だ。……気分が悪い」


 シキョウの反論に、宮月はお手上げ、というように両手を上げてデスクチェアでくるりと回った。二回転したところで、彼は「はい、お話これでおわり。お仕事しましょ」と言って、集まっていた職員達は解散した。


「……シキョウさんなんかあったんですか?」


 早々に背を向け仮眠室に向かったシキョウの背を見ながら、ヒバリは宮月に問う。彼は頰杖を突いた姿勢でヒバリを見上げ、わざとらしく唇をとがらせて悩む素振りをする。


「本人に訊いてほしおす。一応約束なんや、かんにんな」

 何を指しての約束なのかヒバリにはわからなかったが、宮月の言う通り本人のことなのだから本人に訊けばいいと納得し、ヒバリはシキョウを追った。




 ヒバリは単純ストレートな性格である。ノックもそこそこに仮眠室の扉をやや勢いよく開くと、「シキョウさんなんかありました?」と突撃した。

 ベッド脇の棚の前で髪を結び直していたシキョウは突然の訪問者に身を固め、あからさまに面倒臭そうな顔を晒した。その拍子に指から外れて飛んでいったゴムを拾いにいくついでに、彼はヒバリから視線を逸らす。


「……質問の趣旨がわからない」

「だって、『行方不明事件』でしょう。鈴木由貴のときみたいに咬傷があったわけでも、血が抜かれていたわけでもないのに、変に気にするじゃないですか」

「説明しただろう。過去にそういった事件で吸血鬼が関わっていたことがあった」


 ゴムがどこに飛んでいったのかわからないのだろう。動体視力が優れる吸血鬼でも、背中に目があるわけではない。棚やベッドの上に首を伸ばして探すシキョウに、ヒバリは続ける。


「だったら『捜査に協力します、同じようなことにならないよう尽力します』でいいじゃないですか」

「君には関係ないことだ」

「嫌なことでも言われました?」

「言われていない」


 ヒバリはベニヤ板で塞がれた窓に近付き、その足元に落ちていた髪ゴムを拾い上げた。軽くほこりを払うと、それをシキョウに差し出す。


「じゃあ、何が『気分が悪い』んですか?」

「ッしつこいな君は」奪うように、シキョウはゴムを取った。「目障りだ。まとわりつくな。必要なとき以外私に話しかけるな」

「必要なことだから訊いてます。私だけよくわかってない感じだったじゃないですか」

「鬱陶しいと思われているのがわからないのか」

「鬱陶しい……どの辺ですか?」

「自分の胸に手を当てて考えろ」

「胸に……手を」

「そうだ」

鼓動いのちを、感じます」

「違う。そういうところだ。ふざけているのか」


 若干ふざけた自覚はあった。シキョウはそろそろ怒鳴り出しそうな雰囲気だったが、なんとか耐えたようだった。肩より少し下辺りまで伸びている髪をいつものように一つに括りながら、目を伏せている。紫水晶の眼は、自分の中で的確な言葉を探るように、うろ、とふらついた。


「……吸血鬼が事件を起こした、可能性が、ある」


 押せば結構チョロいなこの人──胸の内でひっそりそう思ったものの、暫く続きの言葉を待ったが、シキョウがそれ以上語ることはなかった。彼は髪を結び終えると、ハンガーにかかっていたコートを手に取る。

 なんとも少ないヒントだが、これ以上話してくれないのなら考えるしかないだろう。


 ──吸血鬼が起こしたかもしれない事件……。


 だから何だ。シキョウには関係のないこと──ヒバリはそこまで思考を回して、いや、と思い至った。シキョウもまた吸血鬼だ。無関係というわけにはいかない。


 ──仲間が疑われるのが『気分が悪い』?


 なんとなく、シキョウの態度はそれとは違う気がした。一族に容疑がかかることが不愉快なら、ハーメルンの笛吹き男の話をしたときにフォローが入りそうなものだ。

 一つだけ、気になる発言があった。


 ──「千代原は真っ先に私の元に来た」


 シキョウの言葉の文脈を記憶の中でなぞって、ああ、とヒバリは納得した。


 ──か。


 千代原が、何故INAPO東京支部の責任者である宮月よりも先にシキョウの方に話をしたのかはわからない。オフィスに入ってたまたま近くにいただけかもしれないし、何か意図があったのかもしれない。ただ、シキョウにとっては、まるで「そんな心当たりないよね」と事件の関与について確認されたように──疑われたように、感じたのだろう。


「……、そういうわけじゃないと思いますよ」


 ヒバリが言うと、シキョウは険しい顔で振り返った。


「……再度言うが」

「はい」

「君が凄まじく嫌いだ」

「私もあんま好きじゃないです」


 舌打ちでも飛ばしそうな表情のまま、シキョウは部屋を出た。ヒバリもそれに続く。


 ──シキョウさんが気にするのはわかるけど、宮月さん達のあの態度……。


 険しい表情が並んだオフィスの風景を思い出し、ヒバリは首を傾げる。


 ──シキョウさんがそう感じたように、皆もシキョウさんを疑ってる?


 白い後ろ姿は、その疑問に答えてくれそうになかった。

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