ハッピーエンドに、どこか哀しみの香り

「小説を書く」というテーマに対して、小説を書かなく(書けなく)なるエンド、それもハッピーエンドを持って来られるとは予想もしていませんでした。そのアイデアだけでも、あっぱれものですよ。
 尾八原さんはテーマに対して”裏”を取られた訳ですが、ここで一つ問題があります。テーマの裏を取るというアイデアが安直な目的になってしまっているか否か、です。分かりにくい言い方ですよね。すみません。
 例えば、叙述トリックやミスリードによって読者を欺き、驚かせるという小説効果がありますよね。これらは上手く嵌まれば、作品の魅力を際立たせる技です。しかし、それらの技で読者を驚かせることを目的とされた小説の中には、途中で意図が透けて見えるものや、ねらい通りに驚かされたものの、そこに感慨はなく、却って興ざめするような経験を私は何度かしました。
 少しは言いたいことが伝わっていると嬉しいのですが、つまり、「テーマの裏を取る」というテーマのユニークな解釈で書かれた小説が、成功しているか否か、ということです。言い換えるならば、ユニークな解釈に一人酔いしれた小説に陥ってしまってはいないか、ということです。
 いや、随分と剣呑な前置きとなってしまっていますね。
 私はこちらの小説は、そういった意味でも成功していると思います。なにしろ面白かったですし、素敵でした。当然興ざめすることはなく、感慨を得ました。
 なによりも魅力的であると思いましたのが、ハッピーエンドに、どこか哀しみの香りが残された点です。
 それと余談になりますが、「過文症」という架空の病の設定には、サヴァン症をお持ちの方が時折、人々が驚く絵を描かれることを下敷きにしているように思いました。どうでしょう? 違っていました?

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