ノッカー鉱山

第50話 サンテ・ポルタの真昼

 自室のベッドで目を覚ましたわたしは、カーテンから差し込む強い真昼の光が眩しくて目を細めた。

一瞬、自分がどこにいるのか分からず、動きを止めてぼうっと考える。

薬草の香りのする庭へと続く窓は開け放たれ、カーテンがゆっくり揺れている。

時折風が強く吹くと、ざあっと森の葉擦れの音がここまで届いた。

そうだ。

今朝はやくにヴォジャノーイの森から戻って来て、しばしの仮眠を取っていたのだった。

前の世界では、休日はいつもこんな感じの目覚めだったな。

ここに来てからは夜明け前か夕方にしか目を覚ましたことがなかったので、真昼の光が窓から差し込んでいる目覚めがなんだか懐かしく感じる。

もしかして、この世界のことは全て夢なのではないだろうか。


 わたしは頭に突然浮かんだその考えを確かめるように、もう一度目を閉じてみる。

ベッドに横になったまま瞼の裏に太陽の陽を感じていると、前の世界となんら変わらないように感じた。

ゆっくりと再び目を開ける。

部屋を見回すと、ベッドの横のキャビネットの上に置いてある、レスの鱗とアルから貰った割れた魔石が、前の世界とは違う場所だと主張していた。

しかもわたしの右手には、濃い痣が残ったままだ。

わたしは全てが夢でなかったことに、何故かホッと胸をなでおろした。


小さなクローゼットから、サムージャとディワーリが仕立ててくれた黒いガウチョパンツとアイボリーのブラウスを一着ずつ選んで着替える。

食堂へ洗い替え用が届いていたのだ。

最後の仕上げにエプロンをつける。

ヤオの刺繍はよほど強力なのか、エプロンだけは傷ひとつついていなかった。

クローゼットに仕舞ってある帽子も、幾度となく飛ばされたのに新品同様だ。

改めて加護の力の有り難さを感じた。

一方で、刺繍されていない服は酷い有様だった。

ボロボロになってしまった服を一枚ずつ広げて確認する。

折角サムージャとディワーリが仕立ててくれた服だから、きれいに繕ってまた着られるようにしようと思ったのだ。

確認したところ、パンツは焦げ跡がいくつか、木の枝にひっかかってほつれたところが少し。

あと焦げて大穴が空いてしまったところが一箇所ある。

これを不器用なわたしの腕で直すととんでもなくみすぼらしくなるだろうが、まぁ部屋着にはなる。

だがブラウスは、もう直せそうになかった。

全体的に火の粉が飛んだせいで穴がいくつもあき、大きく破れてしまっているところもある。

おまけにあちこちに頑固そうな泥汚れまで染み付いていた。

がっかりした気持ちとふたりに申し訳ない気持ちが入り混じり、わたしはまた深いため息をつきながら汚れた服をまとめて抱えた。

一度洗ってみて様子を見るしかない。


 自室から出て、バスルームに続くドアを開けようとしたところで、アルに声をかけられた。

「アリス、今はアブソレムが使ってるぜ」

「あ、そうなの。ありがとう」

アルは食堂から水を持って来たところらしく、喉を鳴らしていかにも美味しそうに飲んでいる。

彼は加護を使いすぎて疲労が強かったため、リュドが使っていた簡易ベッドで仮眠を取っていたのだ。

今の顔色を見る限り、もう疲労はかなり抜けたようだった。

「アル、少しは眠れた?あんなベッドでごめんね」

わたしはアルと連れ立って食堂に入り、アピの火をつけて湯を沸かす。

「バッチリ眠れたぜ!俺、どこでだって寝れるのが自慢なんだ」

店から運んで来たらしい、三脚目の椅子に腰をかける。

こうお客が多いと、食堂にも店にも椅子は二脚ずつしかないのがいよいよ不便になって来たな、と思う。

冷たい石の冷蔵庫を開けて、パンとベーコンの残りを確認する。

スープもつければ、なんとか3人分のランチにはなりそうだ。

わたしは寝起きの水を飲んでから、庭へと続くドアの前にかけてあるハサミを手に取ってアルに声をかけた。

「ランチのハーブを採りに行くけど、一緒に来る?」

彼は二つ返事で立ち上がった。


 庭へ出ると、陽がさんさんと降り注いでいて、草花の歓声が聞こえるような陽気だった。

わたしはハーブガーデンに行く前に、池に寄ってルサールカに声をかけることにした。

彼女は探すまでもなくすぐに見つかった。

アニとアカラの祭壇のそばのほとりに上半身を投げ出し、身体中で陽の光を浴びているところだった。

正しくは木の葉越しの陽だ。直射日光はルサールカの体には毒らしい。

薄緑色の美しく長い髪がバーベインの群れの上に広がっている。

腰から下は池の中に入っていて見えないので、こうしているとヒトにしか見えない。

しかもとびきり美しいヒトだ。

「ルカ、おはよう」

立ったままルカの顔を見下ろすと、彼女は眩しそうに横たわったまま目を開けた。

「おはよう、アリス。とてもいい日ね」

彼女は体を起こすと、後ろにいるアルにも挨拶をした。

アルはルカの美しさに緊張しているようで、ぎこちなくつっかえながら挨拶を返す。

「こんなに穏やかな気持ちで陽の光を見たのはどれくらいぶりだったかしら。ここは素晴らしいところね」

ルカは自分で編んだらしい花の冠をわたしに渡しながらそう言う。

その顔は憑き物が落ちたように穏やかなものだった。

「少しは眠れた?というか、ルカは眠るの?」

「ええ。うとうとしたくらいだけど眠ったわ。この葉の上が静かで良いわね。少し潜ってみたけれど、池の底から森の中の湖や町向こうの川まで繋がっているみたいよ。ニンフやヴィラがいた痕跡が残っていたわ」

ニンフやヴィラ?

わたしはノートを取り出してメモをしながら、後でアブソレムに聞いてみようと思った。

「それにしても妖精たちが多くて騒がしいわ。森の精もいたし……」

「そうなの?もしかして騒がしくて落ち着けない?」

心配になってそう聞くと、ルカはゆっくり首を振って笑った。

「むしろホッとするわ。今までとっても寂しいところにいたから」

わたしはホッとして、ノートに「森の精」とメモを追加した。


「そういえばあなた、アルと言った?あなたに会いたがっている妖精がいたわよ」

ルカの言葉に、アルがパッと表情を明るくして反応した。

「本当か?もしかして、それはリリスかも!」

「まあ、名前までつけているの?私が言うのもおかしいけれど、あんまり妖精に近づくと魅入られるわよ」

わたしは吹き出して、ノートに「アルはまだ妖精にご執心、注意」と書き込む。

久しぶりに穏やかな時間が流れていた。


 ルカと話した後、わたしたちはハーブガーデンで赤玉ねぎとイタリアンパセリ、それからズッキーニとインゲン豆を収穫した。

ズッキーニはアルが好きだと言って、満面の笑顔で採ってきたのだ。

野菜を抱えて食堂への道を歩いていると、前を歩くアルが言いにくそうに口を開けた。

「昨日はごめん。突然で、驚かせただろ」

どうやら、願いの魔石のことを言っているらしい。

「驚きはしたけど、ありがたいわよ。魔石を集めるのは難しいと聞いていたから」

「そりゃ難しいだろうな。全ての加護の魔石を集めるなんて、ほとんどおとぎ話の類だ。俺は見たことがないし、まわりの奴が作ったって話も聞いたこともないな」

「そう。そんなに難しいのね」

アルは足元のぬかるみを軽々と飛び越えた。

常に加護の力を使っているのか、滞空時間がぎょっとするほど長い。

わたしも真似をして飛び越えようと、足に力を入れる。

「願いの魔石を預けるのってさ、自分の命を預けるのとほとんど同じだからな。普通は本当に信頼している奴にしか渡さない」

「え!?」

驚きのあまり、ジャンプの踏切のタイミングを間違えた。

ちょうどぬかるみに落ちてしまいそうになる。

慌てて目を瞑ると、ふわっと足元に風が通り、体を持ち上げた。

アルが加護を使ってくれたらしい。

「なんでわざわざ泥の上に飛び込んだんだ?」

「そんなことするわけないでしょ、びっくりしたのよ!命を預けるって……、どういうこと?」

「え?まさか何も知らないで願いの魔石を集めてたのか?願いの魔石は、魂を切り分けたものだ。使おうと思えばいくらでも悪用できるし、最悪殺すことだって簡単だ。聞いてるだろ?」

アルは驚いたように眉間に皺を寄せている。

そしてすぐ近くのベンチに腰掛けた。

わたしも少し呆然としながら、それに続く。

赤玉ねぎがベンチの上にごろりと転がった。

「その反応……。聞いてないのか。てっきりアブソレムから聞いていると思ってたよ」

「アブソレムからは、すべて集めたら願いが叶うということと、集めるのが難しいということだけしか聞いていないわ」

アルは目をぐるりと回して大きくため息をつく。

「そうか。まぁあのアブソレムがそうするんだから、何か訳があってのことだとは思うけど……。そもそも願いの魔石ってものは、子供に渡したり、婚約者へ渡したりするんだ。それは聞いてる?」

それは聞いてる、と頷きながらポケットからノートを出す。

願いの魔石について教えてくれる気らしい。きちんと書き留めないといけない。

「じゃあ、何故渡すのかは聞いているか?」

「それは聞いてない」

あー、とアルが手で顔を覆ってため息とも悲鳴ともつかない声をあげた。

「アブソレムのおっさん、そういうとこ意外と適当だよな。はあ」

それは確かにその通りだと思う。

心からの肯定として大きく頷いた。


「掻い摘んで話すけど、それでいいか。俺もあんまり詳しくないんだけどな。……願いの魔石はその人の魂の欠片だ。一生に作れる数には限りがある。大抵ひとつかふたつだ。これは加護の大きさによって違うし、そもそも作れない者もいる。そして願いの魔石には、強い守護の力がある。俺が前にクズ魔石に軽く加護を込めたやつを渡したろ?あれの強力版って感じだ」

「え、あの石だって相当強かったわよ。あれがなかったらきっと死んでいたもの。それよりも強いのね?」

「間違いなく強い。というか、魔石自体の守護の力も強力だけど、それ以上に魔石の製作者は、魔石を渡した者を全力で守ろうとするって方が正しいかな」

「守ろうとする……?」

わたしはうまく理解できずに、メモを取る手を止めた。

「さっきも言ったけど、願いの魔石はその人の魂の欠片なんだ。わかりやすく言うと、その人の持つ加護の力を切り分けているようなもの。だから石を持つ者が殺されたり、石を壊されたりすると、込めた分の加護の力が消えてしまうんだ」

「えっ!?」

た、大変じゃないの、とあわあわと呟くと、アルは真剣な顔でこちらをじっと見つめた。

「そうならないように、製作者は石を持つ者のことを全力で守るんだ。だからこそ、自分の子や婚約者に渡す。お前を守るっていう誓いのようなものだな」


 どうしよう。

やっぱり、思っていたよりもずっと重いものだった。

加護の強さがどれだけこの世界で重要視されているか、少しはわかったつもりだ。

だからこその重さに、わたしは細かく震える手でペンをぎゅっと握った。

「聞いてもいい?魔石を作った段階で、加護の力は弱くなるの?」

「いや、それはない。切り分けているだけだから、それでけで弱くはならないよ。持ち主が死ぬか、石が壊されるかしなければ大丈夫だ」

ということは、元の世界に帰ってしまったらどうなるんだろう?

万が一死んだ扱いになるのならば、アルの加護が減ってしまう。

だがこんなことはさすがに聞けない。あとでアブソレムに相談しなくては。

ここで、ふとある疑問が浮かんだ。

「どうしてアルはみんながいるところで魔石のことを願い出てくれたの?これだけ危険なものだもの、本当は人にはあまり言わないもののはずよね?」

ああそうだな、とアルは腕組みしてベンチの背もたれに体を預けた。

「普通は言わないもんだけど……。アリスはヴォジャノーイの森で大活躍だったろ?それをトーマも、その側近たちも見てる訳だ。もしかしたら、アリスを手に入れたいって思う奴らが出てきてもおかしくないだろ?だから釘を刺しておきたかったんだ」

あまりにも意外な答えが返ってきたので、わたしは面食らった。

「どうしてそんな……」

「俺はさ、俺たちの大切な森を助けてくれて、本当に感謝してるんだ。でもそれと同じくらい、アブソレムが一人じゃなくなって楽しそうなのも嬉しい。アリスのことは気に入っているし、幸せになってほしい。アリスは今のままで幸せだって言ってたろ?だったら、王族に取り込まれたりせずに、このままサンテ・ポルタで、幸せに暮らしてくれたらいいなって思ったんだ」

鼻の奥がツンとする。

アルがなぜここまで妖精に好かれるのか、分かった気がした。

危ういほどに優しすぎる。

わたしは少し赤くなったアルの耳をみて、何も言えずに転がっている赤玉ねぎを拾った。

何か一言でも話せば、このまま泣いてしまいそうだった。

アルはわたしがここにいてくれたらいいと言ってくれた。

わたしの願いが元の世界に帰ることだと知れば、悲しむのだろうか。

まるで自分がアルを裏切っているような気がして、目を瞑った。

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