第41話 魔女のクッキー

探し出してもらった帽子を被りなおしたちょうどその時、湖からザバザバと水をかき分ける音が聞こえた。

沈んでいた人を担いで、兵士たちが戻ってきたのだ。

岸辺で待機していた兵士が忙しなく行き来して、助け出した人たちを地面に寝かせている。

トーマとともに駆け寄ると、皆一様にぐったりとしていて息もしていない。

揃いの鎧を着ている服装からして、皆今日沈められてしまった兵士だ。

もしかして間に合わなかったのだろうか?

どうしたものかとアブソレムを振り返ると、彼は大匙くらいしかない小さなカップに何か液体を注いでいた。

先ほど調合していた液体だ。

「これを順に飲ませなさい。気をつけて。二度は飲まさないように」

わたしがカップを、トーマが液体の入った瓶を受け取る。

「わかったわ。これは何なの?」

アブソレムは一番近くに横たわっていた兵士の側に屈み込み、指で口を開けたり目を開けたりして何かを確認している。

「強い酒にバーベインのエキスを混ぜこんだものだ。彼らはルサールカの毒に侵されて仮死状態になっている。一口ずつ飲ませてやれば大丈夫だ」

アブソレムの言葉に頷き、一番端にいる兵士の頭近くに座り込む。

どうにも飲ませにくかったので、頭を持ち上げて膝の上に乗せて首を反らせ、口を開けさせた。

カップを傾けて一杯分の液体を流すと、一呼吸置いてから勢いよく咳き込みだした。

「気がついたわ!」

わたしとトーマは顔を見合わせて喜びの声を上げる。

咳き込んでいる兵士はすぐに体を起こし、うめき声をあげながら周りをキョロキョロと確認し始めた。

もう心配ないらしい。

わたしたちは泳げない兵士たちに飲ませ方を教えて、役割を代わってもらった。

彼らは普段から訓練されているだけあって、二人ひと組になって素早く酒を飲ませていく。

わたしたちがやるよりずっと早そうだ。


「すごいわ!今朝、バーベインを摘んでおいて本当によかったわね」

嬉しくなってアブソレムにそう言うと、彼はにやりと笑った。

「しかしこれでバーベインは全て使ってしまった。毒蛇が出ないといいな」

ああ、そうだった!

バーベインは、そもそも毒蛇の解毒剤として作ってきたんだったわ。

わたしが蛇がいないか足元を気にしてフラフラしていると、近くに戻ってきていたトーマが声をかけた。

「アリス、君、服が濡れたんじゃないか?」

「え?」

服を見下ろすと、確かに兵士の濡れた頭を乗せたため、おなかから膝にかけてびしょ濡れになっていた。

だが既に泥だらけで所々焦げてしまっている服だ。

多少濡れてしまってももう気にならない。

「まあ濡れたけど、別にいいわよ?」

折角サムージャとディワーリが縫ってくれたのに、こんなにすぐダメにしてしまうとは。

次に2人に会う時はどんな顔をしたらいいのだろうか。

しかし、ヤオの刺繍の守りが効いているらしく、エプロンには汚れひとつついていない。

おかげで前から見ている分には、いくら服が濡れていても見えはしない。

そこまでひどい格好ではないだろう。

「ごめんね。城に戻ったら、新しい服を贈らせてもらえる?」

新しい服?

うーん。この場合、もらってしまっていいのかな?

対価なしに気軽に物のやりとりはしてはいけないことになっているけれど、今回服を汚したのは確かにトーマや、兵士たちのせいだとも言える。

そうなると、新しいものを仕立ててもらってもいいのかなぁ?

わたしがアブソレムに目線を送ると、彼は少し考えてから一度だけ頷いた。

今回は無償で仕立ててもらってもOKらしい。

「ありがとう!それは助かるわ」

それを聞いて、トーマはホッとしたようだった。

「よかった。それじゃ、母上が懇意にしている仕立て屋を紹介してもらうことにするよ」

「えっ?いや、それじゃなくて、全く同じ服が欲しいんだけど。だめかしら?」

こちらの反応が思ってもみなかったものだったからか、トーマはポカンとした顏をしている。

でも、お妃様が着ているような服を仕立てて貰っても、着ていくところがないんだもの。

わたしのここでの毎日といえば、庭仕事に野菜の収穫、森を駆けずり回って妖魔の退治だよ?

お上品なスカートなんてとてもじゃないけど履いていられないわ。

「ええと……。じゃあ、その服を仕立てた店を、後でリュドに紹介してもらえる?」

「もちろん!本当にありがとう。この服じゃないと色々と不便なのよ。助かるわ!」

ニコニコと返事をした時、湖からフウゴが助け出されたのが目に入った。

担ぎ上げているのはリュドだ。

トーマはふたりに駆け寄っていき、アブソレムとわたしだけがその場に残された。

地面には、ここに着いた時にいたのと同じくらいの人数が既に助け出されていた。

アブソレムが人数を数えている。


そして景気のいい掛け声とともに、アルが一度にふたりの人を抱えて湖から上がってきた。

ふたりは普段着を着ている青年で、兵士ではなさそうだ。

「アル。下はどんな感じだ」

「いやー、ここに一緒にきた奴ら以外で助かりそうなのは、こいつらだけだな。あとはもうダメだろう」

アブソレムの問いかけに、アルが服を絞りながら答える。

「ダメって、どういうこと?」

「えーと、足がな。ちょっとな……」

アルはもごもごと歯切れが悪い。

足がどうかしたの?と不思議に思っていると、アブソレムが「ルサールカは、獲物が逃げてしまわないように足から溶かす」と教えてくれた。

「……足が溶けているのなら、確かにもう助からないでしょうね」

わたしは湖の底に広がっているであろう景色を想像して、口元を押さえた。

「残念だけど仕方ないな。それにしても泳ぐのなんて久々で、めっちゃ腹減ったわ」

アルは地面に足を投げ出して座り、夜空を仰ぐ。

「あ、それならクッキー焼いてきたわ。食べる?」

ごそごそと薬箱からクッキーを取り出すと、アルに一枚渡す。

「わあ、めっちゃ嬉しい。ありがとう!」

素直に笑顔全開で喜ぶアルとは対照的に、アブソレムは呆れ顔でこちらを見ていた。

「いつのまに焼いた?ピクニックにでも行くと勘違いしていたのか?」

「そんな憎まれ口を叩くなら、あなたにはあげません!」

「いらないとは言っていないだろう」

わたしは差し出されたアブソレムの手に、クッキーを一枚乗せた。


クッキーを1枚食べたアルとアブソレムが、怪訝な顏をして首を傾げている。

もしかして、美味しくなかったのだろうか。

「アリス、何か混ぜたな?」

「うっ。……はい、混ぜました」

わたしは居心地悪く、ソワソワ動きながら素直に答える。

アブソレムが怖くて、目を合わせられない。

「何を入れた?」

「ええと、アブソレムが今までに教えてくれたハーブをいくつか……。ボリジにソレル、それからエルダーだったかな?」

そのままアブソレムが何も返事をせず黙ったままなので、おそるおそる視線を上げる。

すると意外なことに彼はいつもの呆れ顔でなく、驚いた顏をして口を開けていた。

「すごいな。完璧じゃないか」

「へっ?」

突然の褒め言葉に頭がついてこず、とんでもなくまぬけな顔をしているのが自分でもわかった。

「ボリジで気分が晴れ、ソレルで疲労回復。そしてエルダーで体を温める。よく学んでいるな」

「うん、アリス、これすごいぜ!一枚食べるだけで相当楽になるよ」

アブソレムとアルが口々にクッキーを褒めてくれる。

わたしは見覚えのあるハーブを端からぶち込んだとはとてもじゃないが言えず、曖昧ににへっと笑った。


アブソレムが残りのクッキーの枚数を確認すると、トーマに何かを伝えに行った。

トーマに一枚クッキーを渡して、食べさせている。

彼は食べた途端にパッと顔を上げた。

「すごいなぁ、アリス。ちゃんと魔女様なんだな」

離れたところからその様子を一緒に見ていたアルが、そう呟いた。

ぼんやりと地面に座り込んでいる。

わたしはすぐ隣の大きめの岩の上に腰掛けた。

「うーん、でもアブソレムが教えてくれた薬草を混ぜただけよ」

トーマはクッキーの包みを受け取ると、リュドと共に兵士に配り始めた。

全員分はないので、特に衰弱の激しい人たちに優先して配っているようだ。

「いや、でも普通の人が同じものを作ったって、ああはならないぜ」

「そうなの?」

「そりゃあそうさ。魔法使いだから、ここまでよく効くものが作れるんだ」

わたしはアルの言葉をぼうっと頭の中で反芻して考える。

魔法使いだから薬効が高い?まさかそんなスキルがあったとは。

本当なのか、後でアブソレムに聞いてみなければ。


ある程度皆が回復したところで、アブソレムとトーマが何やら相談を始めた。

遠くてよく聞き取れないが、竜が何やら、男が何やらとポツポツ聞こえる。

わたしは今後の予定が知りたくて、岩から立ち上がるとおしりをはたいて近寄っていった。

「アブソレム、トーマ」

「ああ、アリス。クッキーありがとう。すごくよく効いたよ」

トーマはいつもの王子様スマイルでニッコリ笑った。

服装がボロボロでなければ、お城で午後のお茶を飲んでいる時のように寛いで見える。

さっきまであんな死闘を繰り広げていたのに、王子様ってすごい。

きっとわたしにはわからないほどの修羅場を、たくさんくぐり抜けてきたんだわ。

「いいえ。お粗末様でした。それでこれからどうするの?」

「体力をかなり消耗したものもいるから、ここから先は少数精鋭で進もうと思う」

わたしの問いにはアブソレムが答えた。

「そうだね。それではリュドは疲労が強い兵士たちを連れて集合場所へ……」

「いや、リュドにはこのまま進んでもらいたい」

トーマの指示をアブソレムが遮る。

「リュドを?いいけれど、それだと皆を先導する者が」

「フウゴに任せたらいい。帰りは同じ道を辿るだけだ。そこまで危険もない」

それを聞くと、慌てたフウゴが口を出してきた。

「いや、私はトーマ様の護衛です!お供しなければ!」

「君はこの森に入ってから、少しでも何かの役に立ったか?護衛という意味では、うちのアリスのほうがよっぽど有能だったぞ」

アブソレムの血も涙もない言葉が、ナイフのようにズバッと刺さった。

フウゴは唇を噛んで眉を寄せるだけで、何も返してはこない。

ていうかわたし、トーマの護衛ではないんですけど。

とりあえず、腕組みして鼻をフンと鳴らすことで不満を表現しておいた。

「それではフウゴ、頼むね」

「……承知しました」

フウゴは渋々といった感じで踵を返し、衰弱した兵士たちを集めだした。


「どうしてリュドを?」

トーマがアブソレムに尋ねる。

顔色こそ変わらないが、すぐ隣のリュドも耳を傾けてじっと聞いている。

「彼がミナレット派だからだ。ハシバミ竜に人探しを頼む。リュドには指定された場所まで飛んで行って、彼を連れてきてほしい」

「人探し?」

「ああ。ルサールカがずっと待ち焦がれている想い人だ」

ルサールカの想い人!

彼女が待っているたった一人の男とは、恋人だったのか。

わたしは突然のロマンスに胸が高鳴るのを感じた。

「恋人をずっと待っていたの?わあ。やっぱり相手は精霊なのかしら?」

「いや、人間の男性だ」

わたしはロマンスに踊っていた胸が、スッと冷えたのを感じた。

「え?人を彼女へ引き渡すの?」

「だからそうだと言っているだろう」

折角彼女が人を襲わなくなったのに、どうしてわざわざ生贄のように引き渡さないといけないのだろう?

わたしの納得していない顔を見て、アブソレムはため息をついた。

「いいか?ルサールカは元々人を襲うことのない無害なものだ。だが、恋仲になった人間に捨てられた時だけ人を襲うようになる。それをやめさせるには、元凶の男を連れてくるしかない」

「でも……、人よね?引き渡したら、死んでしまうのよね?足が溶けたりして……。誰も渡さないで済む方法はないの?」

「ない」

アブソレムはキッパリと言い切った。

「元凶の男が恋に落ちた時は、ルサールカは魅了を使っていない。男は自分の意思で恋に落ちたのに、一緒にいるのに嫌気がさしたか恐れたか、何かしらの理由で自分勝手に逃げ出したのだ。自分で蒔いた種だ。責任を取ってもらうしかない」

わたしはまだ割り切れない気持ちになり、黙り込んでしまった。

「魔法使いは中立だ。人を優先するあまり、精霊や妖魔たちを邪険にしすぎてもいけない。ルサールカが人の女だったら、君はなんの迷いもなく男を引き渡すだろう?」

アブソレムはアルのほうへ歩き出しながら、わたしの肩を軽く二度叩いた。

「どちらにせよ、男を引き渡さないと翌晩にはまた人を襲い始める。腹をくくれ」

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