第23話 アリスの庭散歩

いつものように食後のお茶を飲むと、アブソレムは箒と紐を持ってさっさと森へと行ってしまった。

あんな軽装で鶏小屋が立つほどの薪が集められるのだろうか。

わたしは不思議に思いながらも食器を片付けてから食堂側の庭へ出た。

歩きながら、ノートへ庭のおおまかな地図を書こうと思ったのだ。

扉を出るとすぐ左手にはハーブ畑がある。さきほどカエルを放したところだ。

カエルが飛び出してこないように祈りながら、足早に道を抜ける。

その先はたくさんの小道に分かれている。湖側の道を通るとおしゃべり花の方へ出るようだ。

おしゃべり花の先には妖精の木、オルダーと湖が広がっている。

わたしは通ったことのない側の道を進んでみることにした。

この方角のずっと奥には、サンテ・ポルタの玄関があるはずだ。

だが玄関にはたどり着けなかった。

木々が邪魔して気がつかなかったが、どうやら庭はぐるりと垣根で囲まれているらしい。

垣根は椿だったり、細い尖った針状の葉だったりと様々だ。

中には実をつけている垣根もある。

「どうしてこんなに季節がバラバラなのかな」

わたしは思わず独り言を言う。

トマトが生っているのに寒椿が咲いているなんて、奇妙でまるで夢の中のようだ。

垣根沿いにずっと歩いてみようと思い、しばらく行くと曲がり角に差し掛かった。

右手にはオルダーの木が遠くに小さく見える。

思っていたよりもこの庭はかなり広いようだ。

曲がり角に沿って曲がり、またしばらくまっすぐ歩く。

垣根は不自然なほどまっすぐで、きれいに整備されていた。

今度は右手に湖が見えた。垣根側の湖のほとりは沼地になっている。

板で作られた通り道が沼地の上を通っている。

ノートに沼地の場所を書き込みながら、少し止まって風景を見た。

蓮のような花が浮かんでいる。

よくみると、おたまじゃくしがたくさん泳いでいた。

大人のカエルは干物にされてしまったけれど、ちゃんと卵を産んでいたのね。

もうカエルを買う必要はないと、アブソレムが戻ったら教えてあげなければ。

沼地を抜けると、昨日トーマと座った東屋が見えた。

ここで湖は終わりだ。

その先には藤棚があり、低木がいくつか植えられている。

藤棚の下で少し休憩しようと息をつくと、すぐそこの垣根の上に子供がふたり登っているのが見えた。

垣根に登るなんて!落ちたら大変だ!

わたしは思わず駆け寄って、下から声をかける。

「危ないわよ、あなたたち!」

こちらを揃って見下ろすふたりは、まったく同じ顔をしてクスクス笑っていた。

10歳くらいだろうか。陽に透けて顔が見えない。

「聞こえないの?危ないから降りなさいって!」

わたしはそう叫ぶように注意する。

垣根は2メートル以上ある。落ちたら絶対に怪我してしまうだろう。

「どっちに降りるの?」

片方の子が笑いながらそう言った。

鈴のような声をしている。

「どっちって、どういうこと?」

わたしの言葉にいちいちクスクス笑っている。

なにがおもしろいのだろうか。少し腹が立ってきた。

「こっち側に降りる?あっち側に降りる?」

今度は先ほどと逆側の子が口を開いた。声までまったく同じだ。

「どちらでもいいから降りなさいって!」

「指定してくんなきゃ降りられないよ」

「ああ、もう。じゃあ、こっちに来て!」

わたしがそう叫ぶと、2人は手を繋いですくっと垣根の上に立つと、まるで階段を1段降りるような気軽さで垣根から音もなく降りて来た。

なに!?まさか、妖精?

「大丈夫?どこも怪我していない?」

怪我がないか様子を確認していると、2人は手を背中の後ろで組んでこてんと首を傾げて見せた。

「どっこも割れてないよ。もし割れてたら直せないもんね」

「王様の馬と家来がみんなでかかっても直せないもんね」

なにやらよくわからない会話をニコニコとしている。

とりあえず、無事のようだ。ホッと安心して息をついた。

改めてみると、2人は本当に同じ顔、同じ服装をしていた。

髪はたまご色に輝いていて、耳下の長さで切りそろえられている。

ふたりとも膝丈の黄色いズボンを履いていて、アイボリーのブラウスには首元に大きなリボンがついている。靴は革が磨かれピカピカだ。

良いお家のお坊ちゃんとお嬢さんだろう。

「君たち、2人だけなの?親御さんは?」

そう聞くと、クスクス笑って顔を見合わせた。

「僕たちは僕たちだけだよ、常識知らずのアリス」

「そうだよ。赤ちゃんみたいな常識知らずのアリス」

突然の暴言に、わたしはびっくりして固まってしまった。

常識知らずですって?

というか、どうして名前を知っているの?

そこでピーンと閃いた。この子たちが今日のお客様?

「……もしかして、君たちがドルジュ家の?」

2人はまたお互い顔を見合わせて、ニッコリ笑った。

「そうだよ。僕はアニ・ドルジュ」

「僕はアカラ・ドルジュ」

やっぱりそうだったんだわ。アブソレムを呼びに行かなくてはいけない。

「はじめまして。わたしはアリスよ」

「知ってるよ、物知らずなアリス!」

「赤ちゃんみたいなアリス!」

2人はその場でくるくる回り、キャッキャと盛り上がりながらまたも暴言を吐く。

わたしはまたもや少しイライラしてきた。

いけない、いけない。子供相手に腹をたてるなんて、よくないわ。

「物知らずって、どうしてそんなこと言うの?」

わたしはイライラを抑えてそう聞く。

2人は声を揃えて「アブソレムが手紙で言ってたよ」と言った。

もう、やっぱり犯人はアブソレムか!

「アブソレムがねー、アリスはロータスのことを知らないから教えてやってって」

「そう。だから僕たち会いに来たんだよ」

そういうことか。確かに、ロータスのことは何も知らない。

もうこの際だから物知らずと言われてもいい。話を聞いておこう。

「そうね。わたし、何も知らないの。教えてくれる?アニ」

わたしは先ほど自分のことをアニと言った子の方に話しかけた。

2人は立ち止まると、揃ってキョトンとした顔をしている。

「アニのことわかるの?アリス」

「え?そりゃわかるわよ。どうして?」

「アニとアカラわかる人、アブソレムだけ」

ああ、どうして見分けがつくのかという事を言っているのか。

わたしは2人をじっくり見比べてみる。

確かにものすごくそっくりだけれど、顔の輪郭が少し違うし、なによりふたりは性別が違うはずだ。10歳ともなれば、性別の違いは感覚でわかる。

「そうなの?アニは女の子で、アカラは男の子よね」

わたしの言葉に2人はパアッと表情を明るくした。

「そう!アニとアカラ違う」

「アリス、やっぱり魔法使い!」

私の手を片方ずつがそれぞれ握り、ブンブン振り回す。

握手のつもりらしい。

「みんな僕たちのことわかんない」

「ママもわかんない」

どちらもとても嬉しそうだ。

鼻歌を歌いながら、両手を繋いだまま歩き出す。

どうやら懐かれたらしい。手がポカポカと温かい。

「アブソレムに会いに行く」

「お店に行く」

「アブソレムは森へ行っているから、手紙を送って呼び出しましょう」

「そうする~」

2人を見分けてから、別人のように良い子になった。

手を繋いで歩くと、ちょうど胸のあたりに頭がくる。

弟と妹ができたようで、とてもかわいい。

「アリス、ロータスのこと、本当に知らない?」

アニが右手側でそう聞いた。

「そうなの。教えてもらってもいい?」

「うん、いいよ」

今度は左手側でアカラが言う。

「ロータスは光のご加護。成長の光だよ」

「草や木を育てるのが得意だよ」

2人とも、えっへんと胸を張っている。

……なんだかものすごくかわいいじゃない?

「そうなのね。ロータス派の神様はどなた?」

「ロータスに神様はいないよ」

「えっ!?そうなの?」

アカラは道すがら、落ちている大きめの枝を拾って、辺りをバシバシ叩きながら歩きだした。

「うん。ロータスは自分を成長させるためにあるんだよ」

「そう。すべての生き物の中に小さな神様はいるけれど、ロータスの主たる神様はいないんだよ」

わかるような、わからないような話だ。そういう宗派もあるのか。

「自分を成長させるって、具体的にはなにか修行したりしているの?」

わたしが聞くと、2人はうーん?と首をひねった。

「シュギョウってなに?」

「あ、ええと……。何かを成し遂げるために行う鍛錬、かな?」

「あ!アブソレムだ!」

わたしの言葉を聞き終わらないうちに、2人は食堂のドアの前にアブソレムの姿を見つけて、突然駆け出して行った。

わお。アブソレム、大人気。

「アニ。アカラ。どこから入ってきた」

アブソレムは箒に紐を結んで、薪の束を紐にくくって運んで来たようだ。

足元には大量の薪が積み上げられている。

「庭を越えて来た!」

「垣根から降りられなくなって困ってたら、アリスがきて、おいでって言ってくれた~」

……とても降りられなくて、困っているようには見えなかったけど。

「垣根はこちらの許可がないと越えられない。アリスが通りかからなかったらずっと降りられなかったぞ」

「わかった、もうしないよ」

「うん、気をつけるよ」

アブソレムの回りをちょろちょろと歩き回りながら2人は素直に返事をしている。

彼のことをよっぽど信頼しているらしい。

「お茶を飲むか?すぐに取り掛かるか?」

「どうしよっか、アカラ」

「すぐやろっか、アニ」

「え?なにをするの?」

てっきり2人は、わたしの先生として来てくれたと思っていた。

庭でなにをするんだろう?

「ついてくればわかる。こちらに来なさい」

アブソレムはそう言うとさっさと庭の中央に向けて歩いていった。

アニとアカラはアブソレムよりも先に走り出している。

勝手知ったる庭、と言う様子だ。

着いたところは食堂のドアから一番近いところにある湖のほとりだった。

エルダーの木、おたまじゃくしの沼地、東屋、すべて見渡せる。

木々や蔦が少なくて、視界がひらけているから見晴らしがいい。

湖ギリギリの場所に、簡単な作りの祭壇のような台があった。

1メートルくらいの大きさで、高さはさほどない。

2人はそこまで駆けていって、一息に飛び乗った。

「なにをするの?アブソレム」

「いいから見ていなさい」

アブソレムは近づいてよく見ようとするわたしを手で制した。

仕方ないので、彼の隣でノートを広げる。

何が始まるのか見当もつかないが、しっかり記録に残しておこう。

アニとアカラは手を繋いで、両手を前に突き出した。

「我々はロータスの光の加護を得たるものなり」

2人が鈴のような声を合わせてそう言った途端、ぶわっとあたり一面に光が溢れた。

わたしは驚きで声が出そうになるのを懸命に堪える。

「春の女神、さゆひめさま」

庭のところどころから光があがる。

振り返ると、野菜畑のいちごの所からも光が上がっていた。

「夏の女神、つるひめさま」

また別の所からの光が加わる。今度はトマトとボリジも光っている。

「秋の女神、りゅうひめさま」

「冬の女神、うたひめさま」

そこまで言うと、もう庭中のすべての植物が光っていた。

底知れぬ恐怖を感じて隣のアブソレムの腕をがしっと掴んでしまう。

「我らの友の庭に、ご加護をお分けください」

2人がそう言うと、とても目が開けていられないほどに光が一瞬だけ強くなった。

次に何が起こるか予想ができず、わたしはアブソレムの腕に両手でしがみつく。

「はい、おわったよー」

そのアニの暢気な声に一気に緊張がほどけていった。

一体今なにがあったの?なにが終わったの?

「助かった。実付きが少し悪くなっていたんだ」

台から飛び降り、走り寄ってきたアニとアカラに、アブソレムがお礼を言う。

「いいよー。アブソレムにはいつもお世話になってるもん」

アカラが笑ってそう返す。アニはくるくる回り出してしまった。

お礼を言われて嬉しくて仕方ないと言う感じだ。

「では、お茶を出そう」

彼がそう言うと、2人はワーイと言ってまた店のほうへ駆け出していった。

わたしは何が起こったのか全く理解できず、アブソレムの脇腹をつっつく。

「ねえ、今のはなんだったの?」

「つつくのをやめろ。今のが光の加護だ」

「それはなんとなくわかるけど……」

何気なく、先ほど光っていたいちごを観察してみる。

昨日見たときよりも、なんだかツヤツヤぴかぴかしている気がする。

「この庭にはあらゆる季節の植物が実っているが、それは光の加護をこうして分けてもらっているからだ」

見てみろ、と指差された先には今朝採ったばかりのマグワートがある。

「あれ?今朝は花がついていなかったのに、もう咲いている……?」

「そういうことだ。花だけでなく、春の若芽も、秋の種子もついているだろう」

本当だ。よく見ると、いろいろな状態のマグワートがそこにはあった。

なんていうファンタジー。季節を無視した奇妙な庭の謎が解けたわ。

「あの子たち、あんな小さいのにこんなことができるなんて、すごいわ」

わたしは花と種子を交互に見比べて呆然とそう言った。

「言ったと思うが、彼らは我々とは時間の流れが違う」

「それってどういうこと?」

アブソレムは店の方へ歩き出しながら言った。

「アニもアカラも、私たちよりも何倍も年上だ」

「えっ!?」

わたしは驚きすぎて、思わず叫び声をあげたのだった。

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